体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(4)
アルバイト体験記・対人恐怖との葛藤(その4)
著者:高村ぴの(女性・栃木県)
接客関係のバイトを続けて現在6年になる。
15歳で中学校を卒業してからすぐに入ったバイト先では、職場の人間関係や、少し心ないお客様とトラブルを起こし傷つくようなことも多くあった。一方でごくまれなことであったが、このような対人恐怖、人間不信嫌いで、接客できていない私をひいきし、気に入ってくれたお客様もいた。
ときどきパートのおばさんが休みの時に、昼間出勤して欲しいと店長に頼まれることがあった。普段は夕方5時から閉店時間の9時まで、1人で店番をしている。昼間からの出勤となると午後1時から閉店時間の9時まで、長時間働くことになる。
その前日は、なるべく体を休めて家ではほとんど横になっていた。普段のたった4時間の勤務さえやっと働いているという状態だったので昼間の8時間となると体が引きちぎれるくらいにキツかった。
週に5日勤務のうち、2、3回程度昼間出勤を半年間働いた。もちろんパートの人が休みで、店長も他に店を持っているので1人で昼間も店番を任されていた。
昼間は商品が入荷してくるので、レジをしながら品出しもやらなければならなかった。あっという間に気付くと時間がすぎていた。
そのため1人で店番をしていて不安になり、気分が悪くなるという発作も忙しさで忘れて無心になって仕事が出来た。忙しければ忙しいほど精神的には苦にならなかった。また昼間は、お客様の出入りも多くレジも1人では、間に合わない時もあった。
ある日、毎日、決まった時間にくる男性の老人のお客様と顔見知りになった。最初は、何も買わないのでどんな目的があって毎日、店に現れるのかと不審に思っていた。そのうち1人で店番をしている私に自分に合う服を探して欲しいと言われたり、年はいくつ(?)と親しげに話しかけてきた。
私もそれに応じてるうちにこの老人のお客様と親しくなっていった。あるとき、1ヵ月近く昼間出勤がない日が続いた。肉体的にも精神的にも楽だったが、その老人のお客様が、今でも毎日昼間、店に来ているのかと頭の隅で気になっていた。
それからしばらくして、また店長に昼間出勤出るように頼まれて出勤すると、相変わらずその老人のお客様は、毎日昼間だけ店に来ていた。
その老人のお客様と久々に会う。私の姿を見るなり今までに私が他人に対して見たことがなかったような嬉しそうな表情で私に会いたかったとニコニコしていた。その言葉を聞いて私は、とても素直に嬉しくなった。
心に壁があるために、いくらほめられても、優しくされても、それは貶されているのだとか、何か下心があるのでは、と私が惨めに見えるから無理して言ってくれているのでは、素直に人の優しさや温かさを、私は受け入れることができなかった。
だが、この老人のお客様の屈託のない笑顔を見た瞬間、素直に私は嬉しく感じることができた。これが、初めて人の優しさと温かさに触れた瞬間だった……。
接客もろくにできていなかった私を気にいって店に来てくれる常連のお客様も4年間続けていて、何人かいた。
それまで私を気にいってくれる人など絶対にいないとばかりしか思えなかった。いくらひいきにしてくれても、そう接してくれていたお客様にたいへん失礼なことだが、『私のどこがいいのだ』と心のなかでは、歪んだ考えをし、それらのお客様に対して距離を置いていた。
それでも『お姉ちゃんがいると買いやすい』といってくれるお客様やお客様が洋服選びに迷っているとき、お客様の方から選んでほしいと頼まれた際に選ぶのを手伝ってあげると『若い人は、センスがいいね、これからも若い店員に選んでもらおう』とほめてくれるお客様もいて、このような私でも必要としてくれている人もいるのだと少しずつ自信が繋がっていった。
小中学校時代にずっといじめられていた頃は、自分の存在さえ疎ましくさえ感じていた。いじめにより人に拒絶され続けていたことで、私は誰にも必要とされていない存在なのだと深く思い込み、やがてそれは私の心を蝕んでいった。
販売はあくまでもお客様と店員、接客というサービスの一環としてなり立っている。人間としての繋がりや支えといった深い交流ではないが、接客を通してそのように私を必要としてくれたお客様と出会ったことで、自分の存在も以前ほどは、疎ましく感じなくなっていった。
人に必要とされたり誰かの役に立つことが、私の喜びとなっていった。それが接客の唯一のいいところだと私は思う。
そう思えるようになってきたのだが、15歳から4年間続けたバイト先は、私を大きく変えてくれた。仕事や接客教育に対しては、厳しい店長だったが、普段は、まるで自分の娘のように優しく接してくれた。
また働きながら通信制の高校へ通うことに関しても理解があり、どうしても試験や学校行事の都合でバイトを休まなければならない時には何週間も休暇を取らせてくれた。
店が閉店することになった時に、私は不安になった。店長は若いからいくらでもバイト先は見つかるといってくれた。店が閉店する年に通信制の高校も自分と同級生の人たちよりも1年送れて卒業だった。就職や進学も何も考えず、取りあえず、通信制の高校を卒業してもその店で引き続きアルバイトとしてフリーターをしながらこの先はじっくり考えようと甘い考えをしていた。店が閉店すると聞いたときはショックで目の前が真っ暗になった。
当然どうせ長く勤めるつもりなら慣れた環境がいいと思っていたのだ。現実は、自分の思いどおりには、いかなかった。その実証として店の売り上げが、年々減少し、客の入りも私が入った頃に比べると少なくなっていった。
原因は、店の近辺に次つぎと大型のスーパーが進出してきたことや仕入れの担当者が変わって商品のデザインや質が、悪くなってしまったことが原因で売り上げが下がってしまった。実際にお客様にも『最近買いたいような洋服がないね』と何度もクレームを耳にしていた。
その結果、店は閉店となる。一緒に働いていたパートのおばさんは、店が最後の日まで働いていた。私は高校の卒業単位となる最後の試験があったので、休暇をもらうと同時に辞めることになった。
4年間、接客や社会に出て働くことの基本やマナーを勉強したのだからどこに入っても対応できる……。しかし、私の心の病や人間不信嫌いは、そう簡単には完治することができなかった。
糸が切れてしまった凧のように再び母と一から職探しに明け暮れた……。それでも接客関係の職に再び就くことには、抵抗がなかった。もう二度とあんな仕事はやりたくないとは、思わなかった。
でも私の中では、また慣れない環境で一から始めなければならないことに不安を感じていた。この先、本当に自分は歩いていくことができるのか……と。
なぜなら今まで自分の歩いてきた道を店を辞めた時に振り返った時にしっかりとした足取りがなかった。自分にもこの先は何がどうなってもやっていけるという確かな自信が全くできいなかった。私は、まだ不安の中にいたのだった……。
(つづく)
⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(1)
⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(2)
⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(3)
⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(4)
⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(5)