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体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(2)

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アルバイト体験記・対人恐怖との葛藤(その2)

著者:高村ぴの(女性・栃木県) 


 アルバイトの希望を店長にいうと『学歴』の事を始めに聞いてきた。当時、中学卒業したての私にとって、それは一番痛いところであった。

 中卒だが、翌年には通信制の高校生(学生)になることをいうと、顔を渋らせながら、『とり敢えず不採用、採用の返事はしばらくまってください』と返事待ちとなった。採用が決定したら正式な履歴書を持ってくるようにと言われその場を後にした。

 中卒ゆえ若すぎるから、採用は難しいと言わんばかりの空気に母も私も不採用かもしれないと思っていた。そのような、一週間ほど経過したある日、店長から「採用」の電話があった。

 だが当時働く意欲とゆうよりも私の場合、働かなければならないという気持ちの方が、正直自分の中で大きかった。いざ、本当に働くことになった時は、とても不安になり怖くなってしまった。

 『やっぱり働きたくないです』という言葉が、採用の電話を取った時に喉元まででていていますぐはっしそうであった。

 しかし、母のことをかんがえると中退をした挙げ句にまた裏切るようで、それはいいだせなかった。私が採用になったきっかけは、初めてその店に面接をしに行った時に応対してくれた感じのいいパートのおばさんが、人手不足で店も大変だからといって採用するよう店長に頼んでくれていたらしい。

 店長もパートのおばさんの押しの強さに負けて採用することになったのか定かではないが、後になってから店長から聞かされた。店は夕方5時から9時までの4時間勤務で、従業員はパートのおばさんたち2人と店長だけで比較的人数の少ない職務であった。だから煩わしい人間関係もないように思えるが、時々パートのおばさんとトラブルを起こすこともあった。

 それからこの店で4年間勤めることになったわけだが、店に入った当初は、妥協をしたり慣れるまでは苦労の連続で苦しいバイト生活だった。

 店は交代勤務で、夕方は店長と2人で店番をしていた。相手が相手だけに異常に気を使いながら働いていた。パートのおばさんにも気は使っていたが、2人のうち片方のおばさんが、私のことをまるで自分の娘のように優しく接してくれたので店長といるよりもまだそのパートのおばさんと店番をしているほうが、居心地はよかった。

 バイトは4年間ほとんど母の送り迎えで通っていた。祖母も私のことを心配してくれて母と一緒に送り迎えについてきてくれていた。

 でもバイトを始めた当初は、なかなか1人で店に入ることもできず、先輩であるパートのおばさん従業員に対するあいさつもろくにできなかった。また店に入ったとたとたんに4時間ずっとこのまま店にいられるかという不安から気分が悪くなった。

 私が働いていた場所は、スーパーの中にあるテナント店なので、体の調子と気持ちが、落ち着くまで、母と祖母にスーパーの方で買い物をしてもらって隠れていてもらっていた。

 私は、『もう大丈夫でしょう』といって帰ろうとする母と祖母に『あと10分、5分だけここにいて!』と頼んでいた。母と祖母の姿と駐車場に止めてある母の車が、知らぬ間になくなっているのを見ると発狂しそうなくらいに不安でいっぱいになった。

 人の目にさらされながら働くということは、私にとって過酷であった。いつも誰かにみられているとゆうストレスから、何度も胃が痛くなり動悸や手の震えも襲ってくるのでその症状が、落ち着くまで母や祖母にはいてもらいたかった。

 また、立った4時間の短時間労働でさえ苦痛で、時計を見てまだ終業時間まで何時間もあると気分が悪くなるために極力、時計をまめに見ない、仕事に集中して余計なことを考えない、時間も終業10分前に見る程度で腕時計は、特に気分が悪いときや精神的に不安定なときは、エプロンのポケットに外して入れておいた。

 そのような状態で長く勤められるのかと母たちも私も不安であった。私の心の病のことを薄々感じていたためか、とても理解のある店長の教育とパートのおばさんに助けられてなんとか店番をしていると気分が悪くなるということは、少しずつ克服した。自分でもそれは、コントロールを一人でできるようになった。

 店番をしている間、具合が悪くなったり、万が一、倒れたりしても周りに人はいるし、店長に正直に伝えればいい。そう考えられるようになってきてから余裕が出てきた。

 しかし、実際にそうゆう危機に何度も直面したが、私は学校の都合だけで自分の体や精神的なことが、理由で欠勤や早退は一度もしなかった。なぜならそのようなことをしていたら、私の場合、本当にきりがなく最悪の場合、クビにもなりかねなかった。それを恐れて我慢した。

 店で最初の仕事は、まず商品の場所を覚える事や整理整頓、掃除ぐらいで、レジは金銭的な扱いもあってやらせてもらえなかった。

 また接客も当然のことながらレジ全くの未経験なので、入社してから何日か過ぎた頃にやっと教えてもらえるようになった。

 だから時々、店の中を歩いているとお客様に商品の質について聞かれる程度で、接客らしい接客はなかった。

 また店長がいつもフォローしてくれたので助かっていた。洋服の知識も接客マナーも何も知らない私に丁寧に時には、厳しく店長は教育してくれた。うるさい人だと嫌になることもあったが、店長は年配の方だったので父親のように接してくれる優しい面もあり、高校の入学時には、入学祝いをくれたりパートのおばさんとトラブルを起こした時は、私をかばってくれた。

 結果的にそれは逆に、パートの人に反感をくらうことになることもあった。でもパートのおばさんもさっぱりした人だったので、後々まで私は引きずってもあまりしつこくいびられることはなかった。

 しかし、私は今でもそのいびりと注意の境界がつかず相手に対して間違った感情や誤解を抱くことがたまにある。

 そもそも過去にいじめられたことが、私の中で強いトラウマになっているので、なかなか目上や上司などの人に言われたことに対していい方へ解釈できない。そのためその人の顔を見ることさえしだいに苦痛になり人間関係もギクシャクが生じやすくて上手に人との関わりができない。

 お客様に対しても、それは同じことであった。接客を営む人間が私的な感情を持ち込むのは、もってのほかとも教育されてきた。十人十色、いろいろな人がいるのだから、いちいちそれを気にしていては働けないと接客をしている母にも言われていた。これに慣れるというよりもそう考え、妥協するまで何度も傷ついた。

 何度も辞めようとした接客とバイト先の人間関係の苦悩……。でもその一方でそれを乗り越えることのできた出会いや交流もあった。それが接客を今でも続けられる源になっているのかもしれない……。
(つづく)

体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(1)
⇒体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(2)
体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(3)
体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(4)
体験記・高村ぴの・アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤(5)

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