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2019年1月2日 (水) 15:43時点における最新版
(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ
6年ほど前の1996年6月、偶然にその個人情報誌『じゃマール』をある喫茶店で初めて見た。
数千人の名もない(?!)人たちが、個人情報を掲載している。
パラパラ見ていると「登校拒否をしています」「通信制高校生です」「大検を受けたいので……」という言葉のあるメッセージがいくつかあった。
私が知っている人も2人見つけた。
穀文くんはその1人だ。
彼の名前は、以前私が編集にかかわっていた『こみゆんと』誌上に投稿しているのを見て知っていた。
別のもう1人川崎さんにも連絡したが、私の考えた取り組みには参画しない旨の返事が届いた。
その一方で、私自身もその『じゃマール』誌に個人情報を投稿した。「通信生・大検生の会」をつくろうと。
8月4日に第1回の集まりの機会を持った。
会場の神奈川県民センターの会議室に集まったのは穀文君とその友人2人と私を含めて全部で5人だった。
穀文くんの友人の1人は那飾(なかざり)くんという。
もう1人の参加者が熱川くんである。
実はある新聞社の記者も来ていたのだが、あまりの参加者の少なさにバカらしくなったのか、しばらくしていなくなっていた。
熱川くんは熱血漢である。
高校時代に教師のやり方が気にいらなくてけんか、そして退学。
大検を受け合格。
その初会合のときは、ある夜間大学の法学部の学生だった。
1997年に卒業し、いまは法律事務所で働いている。
高校をやめたあと、自宅に近いところで、大検生などを集めて教えているサークルがあり、熱川くんもそういうものをつくりたい、そういう場に参加したい、と言っていた。
初会合でどんなことを話したかはもうかなり忘れてしまった。
特に何かを決めたというものではない。
この会合の調子は、それなりの発展を示しているいまも残っている。
会って話をする、それ自体が目標みたいなものだ。
交流とか情報交換とか言えばいいのだろう。
その役割について私は、当時はあまり気づいていなかったように思う。
私の気持ちでは、8月4日のこの会合は、通信生・大検生の会を設立する準備会のようにするつもりのものだった。
通信生・大検生の会という名称も、会の固有名詞というものではなく、通信制高校生と大検生たちが集まる会という、一般名詞のつもりであった。
けれどもその後、正式に通信生・大検生の会を旗上げする機会はなかった。
8月4日以降、その1996年は8回くらい交流の場を持った。
参加者はだいたい4、5人、多くて8人だった。
年末には会員は23人になったが、一度も会ったことのない人が多数を占める。
会報も8回ほど発送しているが、「通信生・大検生の会」という会名自体が会報名であった(98年の春に会名を「こみゆんとクラブ」に改称)。
結局、通信生・大検生の会が固有名詞のようになった。
不登校情報センターの当事者の会がいつから始まったものかと問われると、この5人が初めて会合をもった8月4日を持ち出すしかなくなっている。
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