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(6)人生いつも模索
駒屋くんのことを書こう。
1996年秋、個人情報誌『じゃマール』をとおして会に入った。
中学時代にいじめにあい登校拒否。
定時制高校に入学したが中退。
引きこもりの時期があり、入会したころはアルバイトをしていた(26歳)。
駒屋くんは、口ベタでもの静かな青年。
ときたま手紙を書いてくれるが、そこには静かに自分の状態を観察し、将来を探す誠実な人物像が浮かんでくる。
人間としていい加減じゃない、正直に人生に向き合おうとしている、芯のある人間だ。
高校は出ていない。
職もいくつか変わった。
高校を出ていないために、職を変わらざるを得なかった彼の苦悩を考えると、こちらが苦しくなることがある。
1999年の春、「こみゆんとクラブ」の交流会があり、出席した駒屋くんはあまり話をしないで帰ったことがある。
このとき通信制大学の卒業を目前にしていた香畑くんも参加していた。
2人は帰る方向が一緒なので、帰る途中で話をしたようだ。
少ししてから香畑くんに会ったとき、駒屋くんが私と話をしたがっていたと聞かされた。
それで駒屋くんと連絡をとってみた。
彼のような場合、何をどうするのか、ということを探し出すのは、そうたやすいことではない。
彼と似たような状態にある人と一緒に考えていくのが、オーソドックスな接近のしかたのような気がした。
彼の個別の状態を一気に改善する方法や人はいるかもしれないが……。
駒屋くんは、個人情報誌『じゃマール』にメッセージを載せることになった。
「引きこもり、対人不安、不登校等で悩んでいる方、又経験のある方、男女年齢不問。連絡下さい。情報交換しましょう」というものだ。
4月から5月にかけて2、3回掲載された。
しばらくして聞いてみると、15、6人ぐらいから連絡があり、手紙を返したり、会ってみたりしているようだ。
男女半々で20代後半が多いという。
何か一つ動いてみると、よきにつけあしきにつけ様子が少しわかるものだ。
15、6人を対象に、手紙を書き続けるとか、個別に会って何かをし続けるのは、そう容易なことではない。
だれかと個人的な友人関係ができ、それだけで一つの出口が見えてくれれば、大成功ということかもしれないが、そうなるケースはそう多くはない。
それで8月なって、駒屋くんと会うことになった。
同じ席に、「通信制高校生の会」をつくりたい、という穀文くんも来ていた。
2人はテーマが違うわけだが、何かを始めようという点で一緒であった。
穀文くんは、なぜか友人関係が広く、一時は「文通魔みたい」と自称したこともある。
駒屋くんに、いま集まった人を中心に話のできる場を設けようとすすめてみた。
テーマを設けて、サークルみたいなものにし、会報みたいなものをつくらないと、一人ひとりには対応できないからだ。
駒屋くんが考えながら、話したことは、(1)年齢が25歳以上……かな、(2)引きこもりの経験があって……、(3)それに働く気持ちがあること……まー全部そろうということが条件ではないかもしれないけど……。
そのとき、駒屋くんから引きこもりについて、こんな話を聞いた。
家から一歩も出られないのではなく、ときどきは出ていることがあっても、自分に出る必要はあるのに精神的に出られない状態があれば、自分では引きこもりだと意識する、ということだ。
外から見て「なんだ結構外出しているじゃないか、引きこもりじゃないよ」とは簡単に言えない気がした。
さてこの3つの条件を持つ会の名称を考えたとき、穀文くんから「那飾くんが人生模索中の会をつくりたい」と言っていたという話が出た。
駒屋くんはそれを聞いていて、「人生模索の会」とすることに決めた。
その第1回の会合は10月16日にすることにした。
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