カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


Center:(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成: ===(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ=== 6年ほど前の1996年6月、偶然にその個人情報誌『じゃマール』をある喫茶店で初...)
 
 
(2人の利用者による、間の3版が非表示)
1行: 1行:
 +
{{topicpath | [[メインページ]] > [[:Category:不登校情報センター|不登校情報センターについて(業務案内)]] > [[:Category:不登校情報センター・出版物|不登校情報センター・出版物]] > [[:Category:『引きこもりと暮らす』|『引きこもりと暮らす』]] > {{PAGENAME}}  }}
  
===(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ===
+
==(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ==
 
6年ほど前の1996年6月、偶然にその個人情報誌『じゃマール』をある喫茶店で初めて見た。<br>
 
6年ほど前の1996年6月、偶然にその個人情報誌『じゃマール』をある喫茶店で初めて見た。<br>
  
37行: 38行:
 
結局、通信生・大検生の会が固有名詞のようになった。<br>
 
結局、通信生・大検生の会が固有名詞のようになった。<br>
 
不登校情報センターの当事者の会がいつから始まったものかと問われると、この5人が初めて会合をもった8月4日を持ち出すしかなくなっている。<br>
 
不登校情報センターの当事者の会がいつから始まったものかと問われると、この5人が初めて会合をもった8月4日を持ち出すしかなくなっている。<br>
 +
 +
[[Center:〔1〕通信生・大検生の会とこみゆんとクラブ]]<br>
 +
[[Center:(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ]]<br>
 +
[[Center:(2)回覧ノートの顛末]]<br>
 +
[[Center:(3)同人誌からの人生デビュー(?!)]]<br>
 +
[[Center:(4)体験者から相談員(?!)へ]]<br>
 +
[[Center:(5)NHK学園を卒業した風凪さん]]<br>
 +
[[Center:(6)人生いつも模索]]<br>
 +
[[Center:(7)通信制高校生のグループ]]<br>
 +
 
[[Category:『引きこもりと暮らす』|1-1-1]]
 
[[Category:『引きこもりと暮らす』|1-1-1]]

2019年1月2日 (水) 15:43時点における最新版

(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ

6年ほど前の1996年6月、偶然にその個人情報誌『じゃマール』をある喫茶店で初めて見た。

数千人の名もない(?!)人たちが、個人情報を掲載している。
パラパラ見ていると「登校拒否をしています」「通信制高校生です」「大検を受けたいので……」という言葉のあるメッセージがいくつかあった。
私が知っている人も2人見つけた。
穀文くんはその1人だ。
彼の名前は、以前私が編集にかかわっていた『こみゆんと』誌上に投稿しているのを見て知っていた。
別のもう1人川崎さんにも連絡したが、私の考えた取り組みには参画しない旨の返事が届いた。
その一方で、私自身もその『じゃマール』誌に個人情報を投稿した。「通信生・大検生の会」をつくろうと。
8月4日に第1回の集まりの機会を持った。
会場の神奈川県民センターの会議室に集まったのは穀文君とその友人2人と私を含めて全部で5人だった。
穀文くんの友人の1人は那飾(なかざり)くんという。
もう1人の参加者が熱川くんである。
実はある新聞社の記者も来ていたのだが、あまりの参加者の少なさにバカらしくなったのか、しばらくしていなくなっていた。
熱川くんは熱血漢である。
高校時代に教師のやり方が気にいらなくてけんか、そして退学。
大検を受け合格。
その初会合のときは、ある夜間大学の法学部の学生だった。
1997年に卒業し、いまは法律事務所で働いている。
高校をやめたあと、自宅に近いところで、大検生などを集めて教えているサークルがあり、熱川くんもそういうものをつくりたい、そういう場に参加したい、と言っていた。
初会合でどんなことを話したかはもうかなり忘れてしまった。

特に何かを決めたというものではない。
この会合の調子は、それなりの発展を示しているいまも残っている。
会って話をする、それ自体が目標みたいなものだ。
交流とか情報交換とか言えばいいのだろう。
その役割について私は、当時はあまり気づいていなかったように思う。
私の気持ちでは、8月4日のこの会合は、通信生・大検生の会を設立する準備会のようにするつもりのものだった。
通信生・大検生の会という名称も、会の固有名詞というものではなく、通信制高校生と大検生たちが集まる会という、一般名詞のつもりであった。
けれどもその後、正式に通信生・大検生の会を旗上げする機会はなかった。
8月4日以降、その1996年は8回くらい交流の場を持った。
参加者はだいたい4、5人、多くて8人だった。
年末には会員は23人になったが、一度も会ったことのない人が多数を占める。
会報も8回ほど発送しているが、「通信生・大検生の会」という会名自体が会報名であった(98年の春に会名を「こみゆんとクラブ」に改称)。
結局、通信生・大検生の会が固有名詞のようになった。
不登校情報センターの当事者の会がいつから始まったものかと問われると、この5人が初めて会合をもった8月4日を持ち出すしかなくなっている。

Center:〔1〕通信生・大検生の会とこみゆんとクラブ
Center:(1)情報誌の出会いから当事者の会の結成へ
Center:(2)回覧ノートの顛末
Center:(3)同人誌からの人生デビュー(?!)
Center:(4)体験者から相談員(?!)へ
Center:(5)NHK学園を卒業した風凪さん
Center:(6)人生いつも模索
Center:(7)通信制高校生のグループ

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス