経済社会の変化がひきこもりを生み出している
(01)経済社会の変化がひきこもりを生み出している
投稿日時: 2023年10月19日
1995年9月、不登校情報センターを立ち上げたのは『登校拒否関係団体全国リスト』という、不登校・登校拒否に取り組む親の会、相談室、フリースクール等を網羅する情報誌を発行するときでした。
こういう情報誌を発行するのに松田武己個人名で出版するのは適当ではないと考え、編集担当者に申し入れてこの名前をつけた〈だけ〉というのが不登校情報センター設立の意図でした。
ところがこの後にいろいろな人が、特に不登校を経験した人たちからの問い合わせが続きました。
親からの相談も多く、名前だけの不登校情報センターに活動の実質がついてきたのでした。
当事者が集まる会(居場所)も翌年にはスタートしました。
不登校経験者の話をきいていくうちに、心理的な特徴を自分なりに理解し始めました。
彼ら彼女ら参加者たちの生育歴、家族関係、学校や友人関係の事情もわかってきました。
初めのうちはいろいろな人から相談がつづくと感じていただけです。
この意味をそう深くは考えることもありません。
やがてこうまで人が集まるには、社会的な背景があると考えるようになります。しかし、手がかりは特にありません。
あるときなぜか1983年ごろ、長野県の篠ノ井旭高校の若林繁太校長と話していたときの言葉が浮かんでいました。
「今までの教育は社会が貧しい時代の教育方法だった。これから必要なのは社会がゆたかになったときの教育方法になる」というものです。
そんなことがあってもどんな意味をもつのかはとらえられないまま時間が過ぎました。
不登校につづいてひきこもり経験者が居場所に集まってきます。
この人たちからは、教育(学校)の話だけではなく家族の話も多く出されます。アルバイトなど仕事先での話も出てきます。
こういう状態がつづいていくうちに若林先生の言う意味も私の中では重みを失っていたように思います。
実際に周りに集まる人たちは2000年当時で17、18歳から20代の人が大部分です。
それ以上の年齢の人は比較的少なく、その意味も深く考えられない時期がつづきました。
私が当時考えたのは、集まってくる人たちの精神心理学や身体科学の事情で、それと関連のある本を読み、周囲に集まる人の言動の意味を考えたのです。
ずいぶん後になった2017、8年ころ、経済史に関する本を読んでいたら「ひきこもり」という言葉がありました。
言葉以上の内容はほとんど何も書いていません。気になって他の本も見たのですが、、社会問題になっているわりには、深く研究されてもいないと、ちょっと失望しました。
探していくと、非正規雇用者の増大やブラック企業に関係する本に、ひきこもりという言葉が出てきます。
確かに優れた調査や分析でしたが、ひきこもり/不登校の社会的背景に直接にくい込んでいるわけではありません。
私の中に徐々にひきこもりと社会的背景、とくに経済社会の構造との関係を整合的に説明する必要性があると思い始めたのです。
改めて周囲に集まった人たちを思い起すと、基本的には1960年代後半以降に、特に70年代に生まれた人たちです。
これは偶然のことではない、そうなるだけの理由があると確信するようになりました。
不登校情報センターを始めた時期とはそういう人たちが何かを探し始め、動き始めた時期だったのです。
だから相談とか体験を話し始める場を求め、集まってきたのです。
1960年代後半以降とは何なのか、その経済社会的な事情を考えることになりました。
大きな変化がありました。高度経済成長期という大きな変化の時代です。
ここから日本の経済社会構造の変化が、社会的ひきこもりを生み出す客観的な条件になります。ここから始めましょう。