カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


食うために働くから承認のために働く

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2023年9月8日 (金) 13:47時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内, 検索
Icon-path.jpg メインページ > 不登校情報センター > 松田武己 > 社会的ひきこもりの起源 > 食うために働くから承認のために働く

食うために働くから承認のために働く

社会的ひきこもりの起源(2)
60年代に始まるとされる高度経済成長期以来の、日本社会は構造的に変化をしました。経済社会の大きな変化が日本人の存在のしかたに影響し変えてきました。
その一つの結果が社会的ひきこもりと考えられます。
経済社会の構造的変化を、この視点から組み合わせて説明するのは容易なことではありません。説明を終えるのはまだ先のことです。
ところが、経済社会の変化を受けた日本人の存在のしかたの変化は、すでにある程度納得のできる説明がされています。ここではその部分を先に紹介します。
2015年7月4日に私も参加する葛飾区子ども若者ネットワークの主催で斎藤環さんの講演会が行なわれました。
そこで斎藤さんはこう言いました。「旧世代は食うために働き、若者世代は承認のために働く」——―聞き書きのメモによるのでこの通りの表現ではないでしょうが…。
*ブログ「引きこもり居場所だより」(2015年7月 日)。
斎藤さんの話は、A.マズローの欲求段階説に基づくものです。マズローの説は広く承認されていますが、仮説の域は出ていないでしょう。
明確なエビデンスを提出して説明するのは難しいものですが、いろんな現象をうまく説明できると認められています。
欲求段階説を簡単に説明すると人間の動機を次の5段階に分けました。
1.生理的欲求(睡眠、飲食…)
2.安全の欲求(経済的安定、健康維持)
3.社会的欲求(所属、友達)
4.承認欲求(尊敬されたい、認められたい)
5.自己実現欲求(自力の能力を最大限生かしたい)

斎藤さんは、この旧世代は1「生理的欲求」が働く動機になっている、若い世代は4「承認欲求」が働く動機になっていると、対比して説明したのです。
この場合、私は旧世代を1960年以前に生まれた人、若い世代を1970年以降に生まれた人とします。60年代の10年間は移行期に生まれた人なります。
私が斎藤さんに賛同できるのは、いくつかの状態を説明できるからです。
校内暴力や非行の形で生徒が反抗していた時期に高校で先駆的な実践をしていた若林繁太さんの意見——「これまでの教育方法は日本が貧しい時代の教育方法だった。これからはゆたかな時代の教育方法が必要になる」とも一致します。
かつての生徒は不同意を反社会的な形(校内暴力や非行)で表わしたが、最近の生徒は非社会的な形(不登校やひきこもりなど)で表わす。前者は問題行動と言われ、後者は社会的病理と考えられています。
学校——とくに中学校や高校において生徒が明確に変化したのは1970年代の終わりから1980年代の初めにかけてです。
この期間に思春期を迎えた生徒たちの——1970年以降に生まれた生徒たちと1960年以前に生まれた生徒たちの行動の違いが表われています。

マズローの欲求段階説について私なりの理解を書いておきます。
私はマズロー自身が書いたものは読んでいません。2012年2月に広木克行さんが講演会で説明したときの感想——これも先のブログで書いています。
斎藤さんは2「安全の欲求」と3「社会的欲求」を抜かして、4「承認欲求」を若者の働く動機に対比しました。
2「安全欲求(経済的安定や健康維持)」、3「社会的欲求(社会的に必要とされる所属・友達)」が基本的には若い世代には確保されていることとして、4「承認欲求(尊重され、認められたい)」を挙げたと思えます。
*ブログ「引きこもり居場所だより」(2012年2月 日)。

私は長くひきこもり経験者に囲まれた生活を続けていたので、その感覚からこれを考えるといくぶんのズレを感じます。
もっとも私の周囲にいたひきこもり経験者が、ひきこもり経験者のさまざまな状態を平均的に表わしている保障はないので、それだけの偏りはあると認めて話さなくてはなりません。
世の中がゆたかになり、若い世代は経済的に安定したなかで子ども時代をすごしました。生理欲求と安全欲求はだいたいがかなえられた状態です。
ただ当時から経済的格差による貧困が一部に表われていましたし、やがてそれはひきこもり経験者である彼ら・彼女らに影響してきたのです。
ズレを感じるのは3「社会的欲求」です。社会的に必要とされる所属(学校や職場)、友人を得られていないのが、私が知る多くのひきこもり経験者の状態でした。
なぜひきこもり経験者がそうなったのかを追及していくと、4「承認欲求(尊重されたい、認められたい)」が子ども時代に経験できなかったことに行きつきます。
その結果、欲求段階の1つ手前の「社会的欲求」のところでハンディを負う事態が生まれているのです。
私は斎藤さんのこのあたりの考え方を読んでも聞いてもいないので、実際には意見は違わないのかもしれません。
それに加えて周囲にいるひきこもり経験者には5「自己実現欲求」は一般には高いと思えることでした。
もちろん「何をしていいのかわからない人」もいます。だから特徴的な説明ができることとします。
実現欲求が高く、承認欲求を求めているのにそれが満たされないなかで、周囲あるいは社会への不同意をひきこもり(社会と距離をおく、社会から撤退する)ということになります。
そして現在「8050問題」と言われる時期には、2「安全の欲求」に含まれる健康維持が、人によっては精神面から困難に直面しています。
不眠、過食、うつ状態にある人が少なからずいるのです。それは2「安全の欲求」の中の経済的安定を不安なものにします。
OSD(親が死んだらどうする)に続くのです。
これを生み出した社会はどういうことだったのか? この説明を社会経済の変化という面から試みていきます。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス