阿波国慈恵院
阿波国慈恵院
所在地 | 徳島県 |
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社会福祉法人風土記〈37〉阿波国慈恵院 下 人生を切り開く力を子らに
保育園の庭にある山口義晴2代院長のレリーフと保育士と園児たち
阿波国慈恵院は、1951(昭和26)年制定の「児童憲章」①児童は人として尊ばれる②児童は社会の一員として重ぜられる③児童はよい環境のなかで育てられるーーを基本理念として、以後創立記念の節目ごとに、施設、環境の充実に取り組んできた。
また1968(昭和43)年には地域の要請もあって、乳児保育園を併設した。
現在、120人が通っているが、来年4月から認定こども園になる。
青木貴子園長(51)は「家族と一緒に子どもを育てていくことが大事。この地域は昔から木工に関係する仕事場の多いところで、2㌔四方に四つの保育園があります。
この子らがどんな時代にもへこたれずに、生きていく力を育てたい。この園が地域の拠点と考え相談事業も始めました」と語る。
同園卒園生の川添美佳保育士(36)は、「『先生大好き』と笑顔で飛びついて来る時はうれしいですね。園児と散歩していて『どこの保育園?』と聞かれ、慈恵院ですと答えると、『あーあそこな! 知っとる』 と言われた瞬間、とても誇らしいですね」。
児童養護施設には54人が住んでいる。
太田敬志施設長(54)は、「慈恵院で養育してきた子どもたちはこれまで1000人を超えています。直接支援している保育士、児童指導員は大学、専門学校で学び、福祉や教育の資格を有しています。近年、被虐待児や発達障害児の増加傾向があるため、職員は専門性を高める必要が生まれ、施設内外の研修にも力を入れています」
(1974年復刊の『阿波国慈恵院だより』第88号・2018年2月刊)。
別の施設で25年の経験がある太田施設長は微笑を浮かべながら語った。
「ある日、突然電話があったんです。『私、結婚するんです。彼は母子家庭なので婚姻届の証人のところがお母さん。私は両親がいないから、証人になってもらえませんか』。喜んで証人になりました」。
続けて「今の子は、フェイスブックなどで卒園後も連絡を取り合っています。ただ、連絡のない子が心配です」。
そして、創立者・北条義雄の熱い思いを受け継ぎたいという藤本栄美児童指導員(41)は「児童福祉法(昭和23年施行)ができる60年も前に、法律もない、公費もいただけない中で多くの子どもを受け入れてきた。この気概に応えたい」と語る。
神応寺住職の武田琢円が阿波国慈恵院の分院として1957(昭和32)年に創設した「宝田寮」(阿南市長生町)は64(昭和39)年、社会福祉法人として独立している。
児童養護施設には33人が入寮している。
宝田寮の京寛和房4代理事長(左)と八木宏明4代寮長
慈恵院で児童が100人いた時代の1965年から94年までの30年間、大学の先輩でもある山口憲志第4代理事長(宝田寮第3代理事長)と苦楽を共にしてきた京寛和房宝田寮第4代理事長(76)は、「北条義雄はもっと語られるべき福祉の先駆者です。賀川豊彦(大正・昭和期のキリスト教社会運動家。神戸市生まれ。1888〜1960)と比べてみても。山口憲志のことですが、子ども、職員に優しく、理不尽なことを言ってくる人には厳しく、実に小気味良かった。安心して仕事に打ち込めました」と述懐した。
福祉とは違う世界から来た八木宏明第4代寮長(57)は、「若い時にこけた自分ですから、こける子、こけそうな子の気持ちが少しは分かるんです」と前置きして、「昭和50年代は、まだ中卒就職がありました。施設からも近い小松島港から大阪にフェリーで渡るんですが、別れ際に『ここに帰って来るなよ』言うんです。すると、なぜ? という顔するんです。胸が詰まりました。その子に自立してもらいたいとの思いからでしたが、まだ中学生でしたからね。これからも一人ひとりの子どもの背中に、『自立して幸せになれよ』とエールを送り続けます」。
また「福祉のパイオニアの慈恵院と同様、地域社会のニーズに応えていきたい。不登校児童の通所、母親、子どものシェルターの経験も生かしたい」と力強く語ってくれた。
なお、徳島市国府町には慈恵院と親交のある児童養護施設「常楽園」が14番札所の常楽寺域にある。
現在、全国に養護児童が2万6449人。徳島県は施設7カ所で定員340人、入所者246人(厚生労働省・2013年調べ)となっていることを念頭に置いて、山口智賢理事長(50)は、「折に触れて地元J2の『徳島ヴォルティス』の選手が子どもたちを応援してくれているんです」と顔をほころばせた。
「父(憲志)は、日ごろから『子どもは社会の子』と言っていました。いろいろな人によって育てられると。里親制度もその一つです。私たちは子どもたちが自立し仕事を持ち、温かな家庭を築けるよう見守っていきたい。そのためには、子どもたちの魂の叫びに職員みんなが敏感でありたいと思う。そして願うことは、卒院してから人生の節目節目で、阿波国慈恵院のことを思い出して、自分の人生を力強く切り開いてほしい。それが、寄付を頼みに行って罵倒されても『子どもたちのためにさせてもらうんだ』と一心に行動した創立者・北条義雄はじめ、歴代の院長、すべての職員の願いであり、地域の皆さんへの恩返しだと思います」と結んだ。
来年、創設125年の節目を迎える。
〔2018年06月28日 福祉新聞編集部【髙野進】〕