体験記・マッサージ・人間だもん
「人間だもん」
著者:マッサージ(福岡市在住、男、40歳)
人前で、恥をかきたくない。
私は、この思いに強く囚われて青少年期を送った。同級生の前で失敗をしでかして文句を言われないように、教師から注意を受けないように、緊張して授業に出、教室の席に座っていた。その緊張は小中高校、と年齢が上がるにつれて度合いが増していき、気持ちの余裕を奪い取っていった。
小学生の時、親の考えで日曜日に習い事に通わされた。私にとって日曜日は、週に一度巡ってくる、学校に行かなくてすむ心休まる日だった。その安息の日が潰されるのはかなわない。せっかくの休日まで、習い事とかで集団の中に入りたくはなかった。
「日曜日ぐらい、ノンビリしたい」
そう申し立てた私に、
「いつもノンビリしてるじゃないの」
親はそう答えた。私は返す言葉に詰まった。端から見れば、ノンビリしているように映ったらしい。
しかし私自身は<学校>という圧迫空間に連日身を置いて、子どもなりにシンドかったのだ。ちなみにこれが、心の悩みに関して親との間で意識の違いを感じた、最初の出来事だった。
余計な気を遣う集団生活が、とにかく嫌だった。だから林間学校や修学旅行は、行く前からひたすら憂うつだった。〝青春の楽しい思い出〟そういう世間の見方が、私には理解出来なかった。
ともかく参加したものの、旅先では、早く日が経ってくれ、そう願ってばかりいた。しかし表向きは、皆の手前、楽しそうに振る舞っていた。
授業中に教師が飛ばす冗談。同級生のおフザケ。笑い転げる周囲にあわせて、私も表情を崩した。実はちっとも面白くないのに。〝なんでそんなツマンナイ事で笑えるの?〟これが本心だった。
中学や高校時代、定期考査の日は嬉しかった。もちろん勉強が得意だったからではない。二時限、三時限で家に帰れるから。
こういう調子だから、部活なんてトンデモナイ話。授業だけで精一杯の私に、部活をこなすだけの心の余裕など、残ってはいなかった。 学校が負担でシンドい。そのくせ学校から抜けるのは怖かった。自分だけ集団から浮くのは嫌だった。毎日緊張感を抱えて登校しては、早く帰りたがっていた。
時は流れ、気が付くと私は、自我がとてもあやふやな人間になっていた。
人の顔色を窺うことに気持ちを奪われ、自分の考えが持てない。持てるハズがなかった。源泉となる自我が、あるのかないのか判らない、それくらい弱々しいのだから。
同時に対人というか、対社会恐怖症に罹ってしまった。外の世界に怖さを感じて、体が動かず、仕事が出来ない。友人からアルバイトに誘われても、理由をつくって断わった。今でも怖さは、消えてはいない。
青少年期に萎縮し、消耗した青年が、社会が怖い引きこもりに――これは逃れようのない道程ではないか。結局、こうなるより他なかったのではないか。そういう気がする。
だって、人間だもん。
そう、私は鋼の神経など持ち合わせていない、平凡な、生身の人間だもん。
(完)