Center:(19)「親しくなるとつきあいづらい」
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2012年7月20日 (金) 09:07時点における版
(19)親しくなるとつきあいづらい
「親しくなっていくにつれてつき合いづらくなる」という人がいますが、これも上に述べてきたこととある程度は関係しています。
親しくなるとは、自分と相手の枠が弱くなったり薄れていくことなのでしょう。
特に同年齢であれば、そのなかでスタンスがとりにくいのでしょう。
話し言葉にしても、いわゆるタメ口を使っていいのかどうか戸惑う、対等でいいのか、ここは相手を目上にした方がいいのではないかと一瞬躊躇する機会が頻発する。
・・ともかく人と人に関係に細大もらさず正確に対応しようとする気配り人間である引きこもり体験者にとっては、これらはとても気疲れする、エネルギーをつかう事柄なのです。
この精神的修羅場から抜け出す方法は、各人各様であろうと思います。
人によっては、この修羅場から抜け出さなくてもいい、と考えられる人もいるようです(その抜け出そうとしてエネルギーをつかうこと事態が悪循環になっている場合)。
私ならどうするのか、と問題を設定して、この問題に私なりの考えを述べたことがときどきあります。
しかし私はこれと同じ問題を抱かえたことはありません。
ただ私には20代の前半に「私は未熟、未完成な人間なので、もっと努力し、人から頼られるより完全な人間」をめざした時代がありました。
あるとき、ふっと力が抜けて、「自分はこのままでも自分なりにやっているじゃないか」と感じたことがありました。
そのとき、その「いまのままの自分」と「より完全な自分」の落差を埋めるのに、私はそこにやや後ろめたさを感じて「居直る」という気持ちをもち出しました。
「自分は自分でいい、このままの自分を周囲の人に受け入れてもらおう」という気分です。
人知れず、私の心の中で決心し、その気持ちで、周囲の人と対応し始めました。
「私はこんな未熟な未完全な人間ですが、よろしくお願いします」――それを“居直る”気持ちで支えていったのです。
これは、場面、状況は同じではありませんが、私なりの“精神的自立”のしかたでした。
たぶん相手によってはよりうまくいく方法はあったでしょうが、当時の私には一人ひとりにたいして自分のスタンスを考えるだけの力量も、相手の受け入れやすいものがどういうものであるかを見分ける力もありません。
相手によって変えるのではなく、まず自分のスタンスを確立する。
相手との関係は、それぞれの付き合いの中で自然に生まれてくるもの
に(将来に)任す、ということで進んできたように思います。
人それぞれでしょうが、私の場合の例として話します。
このテーマにおいても参考になるかもしれません。
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