体験記・マッサージ・人間だもん
Bluerose1982 (トーク | 投稿記録) (ページの作成: {{グーグル(広告)}} ==「人間だもん」== '''著者:マッサージ(福岡市在住、男、40歳)''' <br> 人前で、恥をかきたくない。<br>...) |
|||
(2人の利用者による、間の4版が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
− | {{ | + | {{topicpath | [[メインページ]] > [[:Category:体験者・当事者に関するページ|体験者・当事者に関するページ]] > [[:Category:体験者・体験記|体験者・体験記]] > {{PAGENAME}} }} |
==「人間だもん」== | ==「人間だもん」== | ||
− | |||
'''著者:マッサージ(福岡市在住、男、40歳)''' <br> | '''著者:マッサージ(福岡市在住、男、40歳)''' <br> | ||
+ | 人前で、恥をかきたくない。<br> | ||
− | + | 私は、この思いに強く囚われて青少年期を送った。<br> | |
− | + | 同級生の前で失敗をしでかして文句を言われないように、教師から注意を受けないように、緊張して授業に出、教室の席に座っていた。<br> | |
− | + | その緊張は小中高校、と年齢が上がるにつれて度合いが増していき、気持ちの余裕を奪い取っていった。<br> | |
− | + | ||
− | + | ||
− | + | ||
− | + | 小学生の時、親の考えで日曜日に習い事に通わされた。<br> | |
− | + | 私にとって日曜日は、週に一度巡ってくる、学校に行かなくてすむ心休まる日だった。<br> | |
− | + | その安息の日が潰されるのはかなわない。<br> | |
− | + | せっかくの休日まで、習い事とかで集団の中に入りたくはなかった。<br> | |
− | + | ||
− | + | 「日曜日ぐらい、ノンビリしたい」<br> | |
+ | そう申し立てた私に、<br> | ||
+ | 「いつもノンビリしてるじゃないの」<br> | ||
+ | 親はそう答えた。<br> | ||
+ | 私は返す言葉に詰まった。<br> | ||
+ | 端から見れば、ノンビリしているように映ったらしい。<br> | ||
+ | しかし私自身は<学校>という圧迫空間に連日身を置いて、子どもなりにシンドかったのだ。<br> | ||
+ | ちなみにこれが、心の悩みに関して親との間で意識の違いを感じた、最初の出来事だった。<br> | ||
− | + | 余計な気を遣う集団生活が、とにかく嫌だった。<br> | |
+ | だから林間学校や修学旅行は、行く前からひたすら憂うつだった。<br> | ||
+ | 〝青春の楽しい思い出〟そういう世間の見方が、私には理解出来なかった。<br> | ||
− | + | ともかく参加したものの、旅先では、早く日が経ってくれ、そう願ってばかりいた。<br> | |
+ | しかし表向きは、皆の手前、楽しそうに振る舞っていた。<br> | ||
− | + | 授業中に教師が飛ばす冗談。同級生のおフザケ。笑い転げる周囲にあわせて、私も表情を崩した。<br> | |
+ | 実はちっとも面白くないのに。<br> | ||
+ | 〝なんでそんなツマンナイ事で笑えるの?〟これが本心だった。<br> | ||
− | + | 中学や高校時代、定期考査の日は嬉しかった。<br> | |
+ | もちろん勉強が得意だったからではない。<br> | ||
+ | 二時限、三時限で家に帰れるから。<br> | ||
− | + | こういう調子だから、部活なんてトンデモナイ話。<br> | |
+ | 授業だけで精一杯の私に、部活をこなすだけの心の余裕など、残ってはいなかった。<br> | ||
+ | 学校が負担でシンドい。<br> | ||
+ | そのくせ学校から抜けるのは怖かった。<br> | ||
+ | 自分だけ集団から浮くのは嫌だった。<br> | ||
+ | 毎日緊張感を抱えて登校しては、早く帰りたがっていた。<br> | ||
− | + | 時は流れ、気が付くと私は、自我がとてもあやふやな人間になっていた。<br> | |
− | + | 人の顔色を窺うことに気持ちを奪われ、自分の考えが持てない。<br> | |
+ | 持てるハズがなかった。<br> | ||
+ | 源泉となる自我が、あるのかないのか判らない、それくらい弱々しいのだから。<br> | ||
− | + | 同時に対人というか、対社会恐怖症に罹ってしまった。<br> | |
+ | 外の世界に怖さを感じて、体が動かず、仕事が出来ない。<br> | ||
+ | 友人からアルバイトに誘われても、理由をつくって断わった。<br> | ||
+ | 今でも怖さは、消えてはいない。<br> | ||
− | + | 青少年期に萎縮し、消耗した青年が、社会が怖い引きこもりに――これは逃れようのない道程ではないか。<br> | |
− | + | 結局、こうなるより他なかったのではないか。<br> | |
− | + | そういう気がする。<br> | |
+ | だって、人間だもん。<br> | ||
+ | そう、私は鋼の神経など持ち合わせていない、平凡な、生身の人間だもん。<br> | ||
+ | (完) | ||
[[Category:体験者・体験記|まっさーじ]] | [[Category:体験者・体験記|まっさーじ]] | ||
+ | <htmlet>amazon_iwai_hiroshi_book001</htmlet> |
2018年2月8日 (木) 12:37時点における最新版
「人間だもん」
著者:マッサージ(福岡市在住、男、40歳)
人前で、恥をかきたくない。
私は、この思いに強く囚われて青少年期を送った。
同級生の前で失敗をしでかして文句を言われないように、教師から注意を受けないように、緊張して授業に出、教室の席に座っていた。
その緊張は小中高校、と年齢が上がるにつれて度合いが増していき、気持ちの余裕を奪い取っていった。
小学生の時、親の考えで日曜日に習い事に通わされた。
私にとって日曜日は、週に一度巡ってくる、学校に行かなくてすむ心休まる日だった。
その安息の日が潰されるのはかなわない。
せっかくの休日まで、習い事とかで集団の中に入りたくはなかった。
「日曜日ぐらい、ノンビリしたい」
そう申し立てた私に、
「いつもノンビリしてるじゃないの」
親はそう答えた。
私は返す言葉に詰まった。
端から見れば、ノンビリしているように映ったらしい。
しかし私自身は<学校>という圧迫空間に連日身を置いて、子どもなりにシンドかったのだ。
ちなみにこれが、心の悩みに関して親との間で意識の違いを感じた、最初の出来事だった。
余計な気を遣う集団生活が、とにかく嫌だった。
だから林間学校や修学旅行は、行く前からひたすら憂うつだった。
〝青春の楽しい思い出〟そういう世間の見方が、私には理解出来なかった。
ともかく参加したものの、旅先では、早く日が経ってくれ、そう願ってばかりいた。
しかし表向きは、皆の手前、楽しそうに振る舞っていた。
授業中に教師が飛ばす冗談。同級生のおフザケ。笑い転げる周囲にあわせて、私も表情を崩した。
実はちっとも面白くないのに。
〝なんでそんなツマンナイ事で笑えるの?〟これが本心だった。
中学や高校時代、定期考査の日は嬉しかった。
もちろん勉強が得意だったからではない。
二時限、三時限で家に帰れるから。
こういう調子だから、部活なんてトンデモナイ話。
授業だけで精一杯の私に、部活をこなすだけの心の余裕など、残ってはいなかった。
学校が負担でシンドい。
そのくせ学校から抜けるのは怖かった。
自分だけ集団から浮くのは嫌だった。
毎日緊張感を抱えて登校しては、早く帰りたがっていた。
時は流れ、気が付くと私は、自我がとてもあやふやな人間になっていた。
人の顔色を窺うことに気持ちを奪われ、自分の考えが持てない。
持てるハズがなかった。
源泉となる自我が、あるのかないのか判らない、それくらい弱々しいのだから。
同時に対人というか、対社会恐怖症に罹ってしまった。
外の世界に怖さを感じて、体が動かず、仕事が出来ない。
友人からアルバイトに誘われても、理由をつくって断わった。
今でも怖さは、消えてはいない。
青少年期に萎縮し、消耗した青年が、社会が怖い引きこもりに――これは逃れようのない道程ではないか。
結局、こうなるより他なかったのではないか。
そういう気がする。
だって、人間だもん。
そう、私は鋼の神経など持ち合わせていない、平凡な、生身の人間だもん。
(完)