(3)五感が敏感な人たち
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+ | 引きこもりは、本人が持っている(天性の)要素と、後天的な要素が組み合わさってなります。<br> | ||
+ | 上記では、後天的な要素を列挙しました。<br> | ||
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+ | ひとことで言えば、「ヒトの心の雰囲気が自然にわかってしまう繊細な感性の持ち主」ということです。<br> | ||
+ | 先天的要素ではあるけれども、それがかつてのように生育過程で変容を遂げずに、ある年齢まで持ち越されるようになった、そういう社会状態が関係しています。<br> | ||
− | + | 30代の男性Aくんが、ある日「きょう地下鉄に乗っていたら銀行のにおいがして…」(気が重くなった)と言ってきました。<br> | |
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− | もちろん、「違いがわかる」味覚の持ち主であっても、それで自動的に好き嫌いが多くなるわけではありません。<br>味覚が優れ、味の違いがわかり、それでも何でも食べられる人もいると思えるからです。<br> | + | Hくんに限らず、食べ物に好き嫌いがある(その中心は、嫌いで食べられない物がある)というのは、引きこもりの人に比較的多いと思います。<BR> |
+ | いろいろな人から話しを聞いてみて、彼(彼女)たちは、味覚が敏感である、そのために食べられない物があるというのが私の得た結論です。<br> | ||
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+ | もちろん、「違いがわかる」味覚の持ち主であっても、それで自動的に好き嫌いが多くなるわけではありません。<br> | ||
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嗅覚と味覚について、その鋭さの表われを二人の例で示しました。<br> | 嗅覚と味覚について、その鋭さの表われを二人の例で示しました。<br> | ||
− | 次に、視覚(目)と聴覚(耳)についても述べておきましょう。<br>この感覚が優れている例は、嗅覚や味覚のような形で把握することができません。<br>それは視力がよい、聴力がよい、というのとは少し違うと思うからです。<br>視力が低くても視覚が優れている、聴力が低くても聴覚が優れているという現象があるのです。<br> | + | 次に、視覚(目)と聴覚(耳)についても述べておきましょう。<br> |
+ | この感覚が優れている例は、嗅覚や味覚のような形で把握することができません。<br> | ||
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+ | 私たちは、たとえば街中を歩いていると、いろいろな人がいて、いろいろな物があって、さまざまなものが見え、さまざまな音が耳に入ります。<br> | ||
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+ | そして五感は、それ自体が人と人とのコミュニケーションの手段でもあります。<br> | ||
+ | スキンシップもコミュニケーションです。<br> | ||
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+ | この五感が、人とのコミュニケーションに大きく関わっていることと、この五感が敏感であるがゆえに人とのコミュニケーションが苦手となり、対人関係がうまくいかなくなることとの間には、強い連結した作用があるというのが私の推理であり、追究テーマの一つです。<br> | ||
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2019年1月1日 (火) 09:40時点における最新版
この論文は『不登校・引きこもり・ニート支援団体ガイド』の序文として書いた「引きこもりからどう抜け出していくのか」です。
(3)五感が敏感な人たち
上述の子どもが育つ環境条件のほかに人が引きこもるもう一面の理由があります。
引きこもりは、本人が持っている(天性の)要素と、後天的な要素が組み合わさってなります。
上記では、後天的な要素を列挙しました。
次に、子どものもつ先天的な要素の特色を述べましょう。
ひとことで言えば、「ヒトの心の雰囲気が自然にわかってしまう繊細な感性の持ち主」ということです。
先天的要素ではあるけれども、それがかつてのように生育過程で変容を遂げずに、ある年齢まで持ち越されるようになった、そういう社会状態が関係しています。
30代の男性Aくんが、ある日「きょう地下鉄に乗っていたら銀行のにおいがして…」(気が重くなった)と言ってきました。
「銀行のにおい? 病院のにおいならわかるけど、銀行のにおいってどんな?」と聞き返すと、「銀行でも感じるんだけれども、もう少し違う場でも感じる、ビジネスマンのにおいかな」という答えです。
少しわかる気がしました。
Aくんの引きこもりとしての程度は軽いかもしれませんが、人間関係をつくる点では、ある限定した人にしか関われません。
彼の「におい」という点に注目して、日ごろの言動をふり返ると、ゴミや、食べ物などに神経質になっている姿が思い出されます。
Aくんは、おそらく嗅覚が鋭い感性の持ち主なのです。
20代になったHくんの話しをしましょう。
Hくんのお母さんから「食べ物の注文は多いです。
特に料理をするときは気を遣います」と聞いていました。
Hくんに「食べ物の好き嫌いは?」ときくと、「味の強いのが苦手なんです。
それで好き嫌いは多いと思います」という返事でした。
Hくんに限らず、食べ物に好き嫌いがある(その中心は、嫌いで食べられない物がある)というのは、引きこもりの人に比較的多いと思います。
いろいろな人から話しを聞いてみて、彼(彼女)たちは、味覚が敏感である、そのために食べられない物があるというのが私の得た結論です。
もちろん、「違いがわかる」味覚の持ち主であっても、それで自動的に好き嫌いが多くなるわけではありません。
味覚が優れ、味の違いがわかり、それでも何でも食べられる人もいると思えるからです。
嗅覚と味覚について、その鋭さの表われを二人の例で示しました。
次に、視覚(目)と聴覚(耳)についても述べておきましょう。
この感覚が優れている例は、嗅覚や味覚のような形で把握することができません。
それは視力がよい、聴力がよい、というのとは少し違うと思うからです。
視力が低くても視覚が優れている、聴力が低くても聴覚が優れているという現象があるのです。
私たちは、たとえば街中を歩いていると、いろいろな人がいて、いろいろな物があって、さまざまなものが見え、さまざまな音が耳に入ります。
しかし「見て見えず、聞いて聞こえず」という対応が自然にできています。
このことわざ的表現は、注意力の散漫さを示すのですが、この場合にも共通する言い方です。
視覚や聴覚から入る情報を、必要なものだけを自動的に仕分けしながら取りいれています。
目に入ってもまったく意識しなかったり、耳に入ってくるものに一つひとつ反応しないようになっています。
そういうことが自然にできるから日常生活ができるのです。
自然に、意識外で、自動的に取捨選択をしながら、目や耳から入る外部情報を取り入れているのです。
この取捨選択をし外部情報を取り入れるという過程が、引きこもりの人には必ずしもうまくいかない人がいるのです。
たとえば、TくんはYくんと話し込んでいます。
そこにTくんの顔見知りであるBくんが来て、Nくんと話し始めます。
そうするとTくんは、一方ではYくん話しながら、他方では隣に座っているBくんとNくんの話しが気になるし、実際にそこではおよそどんな話しが進行しているのかがわかってしまうのです。
たんに言葉だけでなく、BくんとNくんの表情や動きなどもわかるし、それによって何が話されているのかを把握する、会話以外の情報源にもなっているのです。
Tくんタイプの人は、このような場合だけでなく、一般に、目や耳から入ってくる外部情報を、自動的に取捨選択して取り入れることが苦手です。
いやもしかしたら、場合によってはそれを苦手とは感じていないのかもしれません。
しかしこの能力(?)は、日常生活の面で、さまざまな不都合を招いていることは確かです。
触覚についても、おそらく敏感なものあると推測できますが、私はこれといった具体例を出すことができません。
おそらく触覚というのは、人と物との関係よりは人と人の関係、すなわちスキンシップというもう一つのコミュニケーション手段として、これら感覚の鋭い人たちのなかで役割を果たしているのではないかと思います。
これら人間の感覚器官である五感は、人が外部(周囲)世界の情報を入手する手段です。
そして五感は、それ自体が人と人とのコミュニケーションの手段でもあります。
スキンシップもコミュニケーションです。
「目が語る」というのもコミュニケーションでしょう。
そして、コミュニケーションの中心である言葉は、口と舌、その音を聞きとる耳という五感の感覚器官の働きによります。
この五感が、人とのコミュニケーションに大きく関わっていることと、この五感が敏感であるがゆえに人とのコミュニケーションが苦手となり、対人関係がうまくいかなくなることとの間には、強い連結した作用があるというのが私の推理であり、追究テーマの一つです。
(1)引きこもりと不登校、ニート
(2)引きこもりのさまざまな原因・理由
(3)五感が敏感な人たち
(4)第六感としての「心の雰囲気がわかる」感性
(5)自己点検で感情を抑制していく
(6)本人の悩み・訴え・症状と対応
(7)意欲(生命力)を引きだす基本
(8)引きこもりからの回復と母親の役割
(9)反発心が自立には必要
(10)親の「あきらめ(?)」と子どもの自由への復帰
(11)親しい友人づくりと同世代復帰
(12)精神的な健康回復が先行