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(5)自己点検で感情を抑制していく

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この論文は『不登校・引きこもり・ニート支援団体ガイド』の序文として書いた「引きこもりからどう抜け出していくのか」です。



(5)自己点検で感情を抑制していく

さて、繊細な感性の持ち主は、「ヒトの心の雰囲気がわかる」と言いました。
心には、自然に身につけた生命力があり、それは自己保存本能と種族保存本能に満ちていることを、繊細な感性の人たちは感じとってしまうのです。
それは、引きこもりになる人が子ども時代から思春期にかけての生育過程のなかで見たくないもの、うとましいものとして、実は無意識的のうちに遠ざけてきた事柄です。
繊細な人は、人々の日常生活にある、平凡な人なら見過ごす程度のことにいち早く気がつき、それと同じものが自分のなかにあると知ると、自分の問題として感じるのです。
おそらくそれは、平凡な人にとってはささやかなこと、たとえば生活に必要な金銭願望であっても、まずその願望をもつ自分に傷ついてしまうのです。
このような自己点検作業を絶えず繰り返しているのです。
これはきはわめて道義心に富み、清く、正しく、美しいものを指向しているので、子どものころには多くの場合、「美質」と見なされます。
しかし、彼(彼女)たちにとってのこの点検作業の本質はそこにはありません。
本質部分は、自分の生命力の発露を制約していく働きと言っていいでしょう。
自分のもつ生命力が個体維持本能と種族維持本能に基づくものであると感じ、それは自分にとって何か出すぎたもの、他人に対して迷惑になるようなものという気分が、からだに満ちていくのです。
それは自己否定感の表われとして見られる現象です。
もちろん、自己点検で自分のなかに見つけたものを、個体維持本能とか種族維持本能という言葉で察知するのではありません。
所有欲とか不満感を解消したいとか、より日常的な感覚で表わせるものです。
この点検作業が強まる時期は、人間の成長発達の時期から見ると、思春期にさしかかるころと重なります。
思春期は「心身ともに大きく成長する」時期です。
からだ(身体)の成長はそとからも容易にわかるので説明を省きます。
「心の成長」とは何でしょうか。要約的に言えば、思春期にこそ人間の心の構造はできるのです。
人間存在として赤ちゃんとして誕生し、思春期を経てもう一度、今度は心の構造をもつ人間として誕生するのです。
心の構造には、先天的に引き継いだ生命力が一方にあります。
他方にはさまざまな社会的な現実(家族関係、友人関係、社会生活のルール、日常生活のなかで身につける社会性などを総合したもの)があります。
この両方を、うまく運転する統率力があります。
この統率力は、生命力から引き出しているもので、「自我」といわれます。
こうして存在として赤ちゃんとして誕生した人間は、社会に生きる能力をもった人間、自我をもつ社会的人間に生まれ変わります。
これが思春期という時期です。社会で生きていく力を急速に身につけていくのが思春期です。
それを「心が成長する」と表現します。
繊細な感性の持ち主たちは、ここで重大な危機に見舞われます。
自分の心身の奥に感じる生命力を、何かうとましく感じてしまうのです。
それはたぶん、周囲の大人(特に両親)が自分に向けている言動によって負荷された道徳律のような気がします。
この道徳律による自己点検によって、自分の生命力を抑え、社会的に問題にされないものに突き進んでいきたいと感じます。
生命力を抑える日常的な表われ方は、怒りや憎しみという否定感情を自分のなかから追放しようとします。
実際には追放しきれないのですが、自分でも気がつかないくらいそれを押さえ込み、眠らせてしまいます。
これこそ「よい子」への道です。
そして、この自己点検作業に成功を収めた人ほど、引きこもりにつながる、引きこもりに伴うさまざまな身体症状が出てくるのです。
押さえ込み、眠らせてしまったかに思えたとしても、それはからだのいろいろな方面に拡散し保存されていくだけだからです。
感情を抑制していくことが、実際には自分の生命力を押さえ込んでいく方法になるのです。
他方、社会性を獲得していく面でも、この感情を抑制する作業はマイナスに働きます。
たとえば、相手の感情を害さないようにするつもりで、自分の感情を抑えようとします。
これが実は、対人関係を妨げる方向に働くのです。
素直な感情表現(それが常に怒りや憎悪に満ちている例外的なことを除けば)こそ対人関係を円滑にします。
受けをねらって相手に都合のよいような演技をしても、それは不自然であり相手に見破られますし、対人関係の前進にはつながらないのです。
社会性の獲得は、知の面がないとは言いませんが、人と関わるなかで自然と身につくものです。
感情を抑制することで、他者とうまくつながるというのは、きわめて限定された特別な人だけにできることです。
引きこもりの人は、こうして社会性の成長の環境づくりを困難にし停滞状態に入るのです。
繊細な感性の持ち主が、思春期や青年期前期の十代において、不登校や引きこもりになるのは、この「心の成長」の停滞と結びついています。
私の見るところでは、この時期の中心的な部分は、停滞というよりも“子ども返り”的ではないかと思います。
幼児期(人によっては乳幼児期)や思春期以前の児童期にまで遡って、やり直しを始めようとしていると思えるのです。
それが外見上は、「停滞」として映るのではないかと思います。
引きこもり経験者の相当な割合の人たちが、外見上「子どもっぽく」見えたり、社会性が乏しいというのは、このことでかなりの部分は説明できるものと思います。
相談した人のなかには、20代後半や30代になって「いま、私は思春期です」とか「思春期が遅れてやってきました」と言う人もいました。
逆に、「若く見られる」ことに嫌悪感をもつ人もいます。
表れ方、意識のしかたは、その人のおかれた状態などによって微妙に違ってくるものです。

(1)引きこもりと不登校、ニート
(2)引きこもりのさまざまな原因・理由
(3)五感が敏感な人たち
(4)第六感としての「心の雰囲気がわかる」感性
(5)自己点検で感情を抑制していく
(6)本人の悩み・訴え・症状と対応
(7)意欲(生命力)を引きだす基本
(8)引きこもりからの回復と母親の役割
(9)反発心が自立には必要
(10)親の「あきらめ(?)」と子どもの自由への復帰
(11)親しい友人づくりと同世代復帰
(12)精神的な健康回復が先行

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