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| ==NPO法人奄美青少年支援センター ゆずり葉の郷== | | ==NPO法人奄美青少年支援センター ゆずり葉の郷== |
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| </table> | | </table> |
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− | '''「人は絶対に更生する」と信じた人々。彼らを表彰する賞を知っている?'''<br>
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− | 今年の受賞者と審査委員たち 犯罪防止と少年の更生に尽力した精神科医<br>
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− | 犯罪防止と、罪を犯した人たちの矯正・更生に尽力した個人・団体を表彰する「作田明賞」という賞がある。<br>
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− | 筆者が取材を続ける北洋建設(北海道札幌市。建設業)の小澤輝真社長(44歳)は「脊髄変性小脳症」という難病に罹患し、余命3年という状況にありながら、刑務所や少年院の出所者を積極的に採用している。<br>
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− | この小澤社長から「作田明賞の最優秀賞をいただくことになりました」との連絡を8月にもらったことで、筆者は初めてその賞の存在を知った。<br>
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− | 作田氏は犯罪防止と少年の更生などに尽力した精神科医で、テレビのコメンテーターとしても活躍していた。<br>
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− | 2010年、自分と同様の活動を行っている個人・団体を称え表彰するために、私財を投じて「作田明記念財団」を設立。「作田明賞」を創設した。<br>
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− | ところが、作田氏自身が作田明賞の授賞式に臨んだのは2010年の第1回目だけで、翌年に逝去する。享年60。<br>
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− | だがその意思は今も引き継がれ、今年はその第10回授賞式が行われた。今回受賞した3人について紹介したい。<br>
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− | '''「仕事があれば再犯しない」との信念で出所者を採用'''<br>
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− | 今回の最優秀賞受賞者は北洋建設の小澤輝真社長だ。<br>
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− | おそらく日本でもっとも多く刑務所や少年院からの出所者を雇用している。<br>
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− | 1973年創業の北洋建設は、初代の小澤政洋社長(現社長の父)の時代から刑務所や少年院の出所者を積極的に雇用してきた。<br>
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− | その数、この45年間で500人以上。現在、社員約60人のうち20人近くが出所者だ。<br>
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− | 政洋社長の頃は、どちらかというと人材確保のための出所者採用だったが、2013年に社長に就任した小澤社長は「仕事があれば再犯しない」「絶対に更生させる」との信念で出所者を採用している。<br>
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− | 法務省政策評価企画室の『再犯防止対策の概容』(2017年10月)によると、2016年の検挙者23万9355人のうち48%の11万4944人が再犯者。<br>
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− | その再犯者の約72%が逮捕時に無職だった。<br>
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− | 出所者は刑務所を出ても、所持金も少なく、身元引受人がいない場合は住所を持てず、働きたくても働けない。<br>
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− | 結果、その多くが3度の食事と雨風をしのげる住処を求めて、微罪を犯して刑務所に戻るケースが後を絶たない。<br>
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− | 小澤社長が出所者に仕事を与えるのは、この背景があるからだ。<br>
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− | 小澤社長は社長就任の前年の2012年に、「脊髄変性小脳症」という体の機能が衰えていく難病に罹患し、余命10年を宣告された。<br>
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− | 今、移動は車椅子となり、発声も不明瞭になった。指の震えでペンをもてない。<br>
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− | ちなみに父の政洋氏も同じ病気に罹患し、50歳で他界している。<br>
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− | そのため当初は相当に落ち込んだが、「自分が生きている証を残すためにも、出所者採用をライフワークにする」と決めた。<br>
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− | 刑務所面接をするための法務省予算があまりにも少ない<br>
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− | 北洋建設には毎日、全国の刑務所受刑者から「御社で働きたい」との手紙が届く。<br>
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− | 小澤社長は、そこに更生への強い意志を見出せば、全国どこの刑務所にも赴く。そして、受刑者の就職面接を行う。<br>
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− | 内定を出した受刑者には社員寮を用意し、仮釈放であれば小澤社長が身元引受人となり、出所直後で衣服や金銭がない彼らに衣服を与える。<br>
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− | さらには給与のほかに、本人が「もういいです」と言うまで2000円札を毎日手渡している。<br>
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− | とはいえ、この活動はいろいろな意味できつい。「まず資金が足りない」と小澤社長は訴える。<br>
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− | 「法務省には、僕たちのような会社が刑務所面接をするための交通費などの予算があります。<br>
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− | しかし、その額があまりにも少ないため(今年度で約1100万円)、年度途中で底をつく。<br>
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− | だから僕は、面接のための交通費を自腹負担しています。<br>
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− | これまでマンションも売り払い、約2億円を使いました。今、個人の土地も売りに出しています」<br>
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− | もう一つきついのは、こうまで尽力しても、約9割の出所者が就労後に突然姿を消すことだ。<br>
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− | 筆者は「がっかりしませんか?」と尋ねたが、小澤社長は「それでも残る1割が確実に更生する。それを見るのが嬉しい」とサバサバと答えた。<br>
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− | 小澤社長は、授賞式で、作田明賞は以前から知っていたので、その最優秀賞に選ばれたことを「本当に嬉しいです」と語った。<br>
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− | '''出所者に住居と仕事だけでなく、社会復帰のための教育も'''<br>
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− | 優秀賞の受賞者は2人。その1人が福岡市のリサイクル業「ヒューマンハーバー」の副島勲社長(78歳)だ。<br>
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− | ヒューマンハーバー社も北洋建設と同様に、出所者に「住居と仕事」を与えている。副島社長は受賞スピーチで、「それだけでは足りない。教育こそが必要なんです」と強調した。<br>
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− | 「出所者に共通しているのは、長期間狭い空間での生活をしてきたことでの社会常識の欠落です。<br>
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− | 挨拶ができない、約束を守ることができない、自分で責任を取ることができない。<br>
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− | これらができないと、仕事だけ与えても社会復帰はできないんです」<br>
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− | そこで副島社長が実践しているのが、出所後の半年間から1年間、社会復帰へのリハビリ期間として、出所者に寮生活をさせることだ。<br>
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− | その間、礼儀や約束履行、責任を取ることなどを教えている。副島社長が言うところの“心のスポンジ作り”だ。<br>
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− | 加えて、副島社長はヒューマンハーバーを“出所者にとっての就職先”ではなく、“修行の場”だと位置づけている。<br>
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− | つまり、心のスポンジを作りながら、自分が携わりたい仕事に就く前のリハビリとしての就労体験をさせるのだ。<br>
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− | こうして、一般常識と仕事への心構えを習得した出所者は、やがて自らが選んだ道へと巣立っていく。その再犯率はゼロだという。<br>
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− | 小澤社長もそうだが、これは人間を信じなければ絶対にできない事業だ。<br>
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− | 副島社長は「宇宙最大の資源は人間です!」と、受賞式でのスピーチを締めた。<br>
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− | '''非行少年たちを肯定し、地域の犯罪防止や清掃活動を担わせる'''<br>
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− | もう1人の優秀賞受賞者は、鹿児島県奄美市のNPO、奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」の三浦一広所長だ。<br>
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− | 少年非行の元凶の多くは、家庭環境(両親の離婚やDV)や地域社会の崩壊。<br>
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− | ここから多くの子どもが、非行、不登校、シンナー依存などになり、居場所がなく生きている。<br>
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− | 三浦所長は「おせっかいおじさん」として彼らの相談に応じ、彼らの「自立・共生」を目指す「ゆずり葉の郷」を2001年に設立。<br>
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− | 非行少年たちを排除するのではなく、「奄美市青少年警護隊」として地域の犯罪防止のためのパトロールや清掃活動を担わせた。<br>
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− | この警護隊計画に「ワルがつるむと暴走族になる」と、地元警察は大反対したという。<br>
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− | だが、三浦所長はこれを敢行した。<br>
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− | 特に、札付きのワルに隊長職を任せると、みるみる心を開いて任務に勤しみ、警察がマークしていた非行地域が安全地域へと変貌した。<br>
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− | 「彼らの共通点は、小さいときから誰にも認められず、励まされなかったこと。だから彼らを肯定し、ほめれば絶対に更生します」<br>
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− | ある中学校の番長は、三浦所長に存在を肯定されて2代目警護隊長を務めた。<br>
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− | ある日、アパートの5階から飛び降り自殺を図った中学生女子を、走って下でキャッチして助けた。<br>
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− | その衝撃で彼は大腿骨骨折をしたという。三浦所長はこれを誇りに思っている。<br>
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− | 三浦所長は、2010年には、家庭崩壊で居場所をなくした若者を受け入れる青少年自立援助ホーム「さざ波の家・奄美」も開設している。<br>
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− | 「人は絶対に更生する」という強い信念<br>
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− | 3人の受賞者に共通しているのは「人は絶対に更生する」との強い信念だ。<br>
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− | 受賞にあたっては6人の審査委員が審査をするのだが、その一人である飛松五男(いつお)氏(元警察官)はこう述べた。<br>
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− | 「僕は日本でいちばん罪人を捕まえたと思います。<br>
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− | その人たちは出所日には僕のところに来て、一緒にご飯を食べて『おやじさん、今度こそ絶対にやり直します』と誓うのですが、すぐにまた捕まってしまう人も多かった。<br>
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− | 一人でもいいから、出所後の彼らと向き合う人がいれば、違う結果になったと思います。<br>
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− | 暴力は悪いですよ。でも、彼らはいい心はもっている。それを信じてあげたい」<br>
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− | 今回、受賞した小澤社長、副島社長、三浦所長はそれを実践している人たちだ。<br>
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− | 特に、副島社長と三浦所長には改めて取材をしたい。そう思った。<br>
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− | 〔2019年10/7(月) HARBOR BUSINESS Online ハーバー・ビジネス・オンライン<文・写真/樫田秀樹>〕 <br>
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− | '''地球倫理推進賞表彰2団体、活動語る'''<br>
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− | カンボジアのジャパンハートこども医療センター。ボランティア医師が診察を行う(ジャパンハート提供) <br>
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− | 社会貢献に取り組む団体や個人を表彰する第22回「地球倫理推進賞」(一般社団法人倫理研究所主催、文部科学省・産経新聞社など後援)が国内の2団体に決まり、3月29日、東京都内で贈呈式が行われた。<br>
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− | 受賞2団体の長年にわたる活動を紹介する。<br>
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− | '''■「ジャパンハート」 医療や教育で「恩返し」 人財育成も'''<br>
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− | 国際活動部門で受賞した「NPO法人ジャパンハート」。<br>
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− | 最高顧問の吉岡秀人医師が、かつてミャンマーを訪れた際に旧日本兵が現地の住民に助けられたことを知ったのをきっかけに、平成16年から活動を始めた。<br>ミャンマーを始め、カンボジア、ラオスに年間延べ700人以上のボランティアを派遣し、医療を無償提供している。<br>
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− | 「『医療の届かないところに医療を届ける』が私たちのミッションです」と吉岡春菜理事長(40)。<br>
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− | カンボジアに小児がんなどの治療を行う病院を開設し、診療だけでなく人材育成も担う。<br>
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− | 26年からは、国内外の心臓病の子供を救う「明美ちゃん基金」(産経新聞厚生文化事業団運営)とともに、ミャンマーの小児循環器医療に対する支援事業も実施している。<br>
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− | 吉岡理事長は「現地は貧しい人たちが安心して治療を受けられる環境ではなく、医療人材も不足している。<br>
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− | 戦争中の恩返しの手段として、医療や教育の輪が広がっていけば」と話している。<br>
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− | '''■「ゆずり葉の郷」 社会の犠牲者 傷ついた子供に未来を'''<br>
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− | 国内活動部門を受賞したのが、NPO法人「奄美青少年支援センターゆずり葉の郷(さと)」だ。<br>
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− | 平成12年に設立され、鹿児島県の奄美大島で、恵まれない子供の居場所を作ってきた。<br>
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− | 三浦一広所長(63)は「問題を抱える青少年は社会の犠牲者。親の愛情に飢えた孤独な子供が多い。未来ある子供たちに前向きに歩んでもらいたい」と話す。<br>
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− | 不登校やいじめ、薬物などの問題を抱えた青少年を支援。年間の相談件数は2千件を超えるという。<br>
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− | 16年には、かつての非行少年らで「名瀬市少年警護隊」を組織し、市内の防犯パトロールや地域の美化活動に取り組み、犯罪認知件数を半減させた。<br>
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− | 三浦所長は、「社会から許されず、ほめられることもなく、感謝されることもなかった彼らが、関わり方一つで大きく変わる。<br>
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− | 今の日本には、子供たちを温かく見守るまなざしが足りない」と指摘する。<br>
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− | 今では、自立援助ホームも運営し、全国から問題を抱えた子供たちが訪れる。三浦所長は「人間は生まれながらに平等でないといけないのに、環境で傷ついてしまう。子供たちが就労したり、自立したりと幸せになるのを見届けたい」と笑顔を見せた。<br>
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− | '''【用語解説】地球倫理推進賞'''<br>
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− | 民間の社会教育団体「倫理研究所」(丸山敏秋理事長)が平成10年に設けた賞。<br>
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− | 教育・文化・医療・環境・地域開発などの分野で5年以上活動を続けてきた個人・団体に贈られる。<br>
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− | 22回で計36団体・個人が表彰された。<br>
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− | 〔2019年4/12(金)産経新聞(油原聡子)〕 <br>
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| '''青少年支援活動を法相に報告 奄美市のゆずり葉の郷''' ☆<br> | | '''青少年支援活動を法相に報告 奄美市のゆずり葉の郷''' ☆<br> |
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| 推進会議で上川大臣は「罪を犯した人たちの立ち直りには、犯罪をした後のあらゆる段階で国が切れ目のない指導や支援を行い、地域社会に戻ったときに必要な支援を継続して受けられるようにすることが重要」とし、再犯防止施策の推進で市町村間ネットワークの充実を訴えた。<br> | | 推進会議で上川大臣は「罪を犯した人たちの立ち直りには、犯罪をした後のあらゆる段階で国が切れ目のない指導や支援を行い、地域社会に戻ったときに必要な支援を継続して受けられるようにすることが重要」とし、再犯防止施策の推進で市町村間ネットワークの充実を訴えた。<br> |
| 〔2018年9/1(土) 南海日日新聞(奄美の南海日日新聞)〕 <br> | | 〔2018年9/1(土) 南海日日新聞(奄美の南海日日新聞)〕 <br> |
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− | '''企画[ルポ@鹿児島]貧困連鎖を断ちたい 名瀬市の援助ホーム、自立へ若者懸命'''<br>
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− | 生活保護費以下の収入で暮らす子育て世帯の割合が全国で3番目に高いとされる鹿児島県。<br>
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− | その中でも、奄美市は大島紬産業衰退の影響などもあり、全世帯の生活保護率が県平均を大きく上回る。<br>
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− | 義務教育を終えた未成年が自立を目指す、同市名瀬長浜町の自立援助ホーム「さざ波の家・奄美」には、貧困や虐待などで居場所をなくした子どもや若者5人が身を寄せ、貧困の連鎖を断ち切ろうと懸命に生きていた。<br>
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− | 「今日は早く食べ終わったね」。6年前からホームで暮らす奈良久志さん(21)が、昼食を終えた井上拓真さん(15)=仮名=に声を掛けた。<br>
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− | 「肉だったから」と笑顔で返す。市街地にほど近い住宅地の一軒家に幸せな時が流れていた。<br>
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− | □'''安らげる場所'''<br>
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− | 井上さんは、1年半前まで関東地方で暮らしていた。<br>
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− | ギャンブル好きの母がつくった借金のため、夜逃げ同然で、祖父母がいる奄美に移った。<br>
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− | もともと経済的に余裕のある家だった。サラリーマンの父の給料に加え、看護師の母にも月数十万円の収入があった。<br>
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− | 父が勤める会社が倒産したのをきっかけに歯車が狂い始める。<br>
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− | 父は事業に失敗。一戸建ての自宅を売り払ってアパートに移るが、家賃を支払えず、電気も頻繁に止められた。<br>
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− | そんな状況でも、母は生活費をほとんど入れなかったという。<br>
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− | 奄美に移った後も、母はご飯を作らず、育児放棄状態が続いた。<br>
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− | 自ら児童相談所に駆け込み、ホームの存在を知る。<br>
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− | 学校には、小学校高学年からほとんど行っていなかったが、今は定時制高校に通い、5月からは新聞配達も始めた。<br>
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− | 高校卒業までは、安らげるこの家にいるつもりだ。<br>
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− | '''□牛小屋に寝泊まり'''<br>
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− | 奈良さんも母の虐待から逃げ、ここにたどり着いた。<br>
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− | 高校生の時、父が病気で亡くなったショックで母は酒に溺れ、奈良さんと妹2人に手を上げるようになった。<br>
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− | 妹2人は間もなく児童養護施設に移ったが、奈良さんだけは施設に空きがなく、1人残された。<br>
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− | 「久志のせいで(父は)死んだ」と母の暴力は続いた。何度も死のうと思った。<br>
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− | 父の死と、それをきっかけに急変した母の姿に耐えきれず家出。公園だけでなく、牛小屋の一角にある休憩所などで寝泊まりした。<br>
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− | 母と鉢合わせするのが怖く、シャワーを浴びに家に寄ることさえできなかった。<br>
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− | 制汗剤で汗臭さを消し、制服に染みこんだ牛の臭いは消臭剤でごまかした。<br>
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− | '''□「両親が理想」'''<br>
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− | ホームを運営するNPO法人「ゆずり葉の郷」の世話になっていた同級生がさざ波の家に連れてきてくれ、1カ月半に及んだホームレス生活に終止符を打つ。<br>
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− | 今は、アルバイトを二つ掛け持ちしながらお金をため、一人暮らしに備える。母は2年前に亡くなった。<br>
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− | 以前は責める気持ちばかりだったが、ようやく「産んでくれてありがとう」と思えるようになった。<br>
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− | 将来は結婚して、家族も持ちたい。「両親のような夫婦が理想」だ。<br>
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− | 家族5人で仲良く暮らしていたころを思い出したのだろうか。奈良さんの表情がふと和らいだ。<br>
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− | '''○“子の居場所”の施設足りず 奄美市生活保護率、全国平均の4倍'''<br>
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− | 奄美市保護課によると、2015年度の生活保護率は千人あたり68人で、県平均の3・5倍、全国平均の約4倍の高さだ。<br>
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− | 生活保護世帯で暮らす中学生以下の子どもは約180人。多くの子どもが高校に進学するが、就職などで島を出た後、うまくいかず、奄美に戻って再び生活保護を受けるケースもある。<br>
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− | 同課第四保護係の中村明広係長は「祖父母から孫まで3世代で生活保護を受ける家庭がここ10年で増えた」と“貧困の連鎖”の実態を明かす。<br>
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− | 自立援助ホーム「[[さざ波の家・奄美]]」など子どもの居場所として3施設を運営する「NPO法人ゆずり葉の郷」の所長で、30年以上夜回りなど青少年支援活動に携わる三浦一広さん(61)は「経済格差が広がっている。<br>
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− | 受け皿となる施設が足りない」と話す。三浦さんによると、3施設で15人が暮らしているが、13人は貧困状態にある家庭の子どもたちだ。<br>
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− | 「結いの島」といわれる奄美だが、基幹産業の大島紬の衰退や、都市化の影響もあり、地域で支え合う力が弱まっていると感じている。<br>
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− | 「ここ(施設)にいる子どもたちはまだ幸せな方かもしれない。私たちや行政の手が届いていない子どもはまだまだいる」と三浦さん。<br>
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− | 「行政ができないのであれば、民間団体を支援し、子どもたちを助けてほしい」と訴えた。<br>
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− | 〔◆平成28(2016)年5月29日 南日本新聞 朝刊〕 <br>
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| [[Category:児童福祉施設・鹿児島県|ゆずりはのさと]] | | [[Category:児童福祉施設・鹿児島県|ゆずりはのさと]] |
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| [[Category:奄美市(鹿児島県)|ゆずりはのさと]] | | [[Category:奄美市(鹿児島県)|ゆずりはのさと]] |
| [[Category:南海日日新聞|ゆずりはのさと]] | | [[Category:南海日日新聞|ゆずりはのさと]] |
− | [[Category:南日本新聞|ゆずりはのさと]] | + | [[Category:奄美の南海日日新聞|ゆずりはのさと]] |