高度経済成長期以降の農地と食料の変化
(→高度経済成長期以降の農地と食料の変化) |
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==高度経済成長期以降の農地と食料の変化== | ==高度経済成長期以降の農地と食料の変化== | ||
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+ | 川島博之『食の歴史と日本人:「もったいない」はなぜ生まれたのか』(東洋経済新報社,2010)を参考に考えました。<br> | ||
+ | 食料事情の面から追求した日本人論ともいえる幅広い事柄をとりあげ推察・推測しています。<br> | ||
+ | 私の関心は、1960~1990年代の日本人にどのような変化があったのか、その材料を本書の中に探すことです。<br> | ||
+ | まず日本列島における人口の増減について。人口は食料、天候(気象と自然災害)、社会事情(内乱、戦争)、それに乳児死亡率や移民(移出と移入)などに左右されます。<br> | ||
+ | ここではそのなかでも特に重要な食料にかかわる指摘です。<br> | ||
+ | ある研究により日本列島の人口は奈良時代450万人、平安末期680万人、1600年ごろ1200~1500万人、1721年(初の人口調査)3128万人、1870(明治3年)3440万人、1912年6000万人、1941年7400万人、2010年12700万人となります。<br> | ||
+ | 農地面積は930年ごろ(和名類聚)85ha、1450年ころ(室町中期)94万ha、1600年ころ(江戸時代初期)162万ha、1720ころ(江戸中期)294万ha、1874(明治7年)455万ha(水田265万ha、畑190万ha)、1912年(大正元年)558万ha、1926年(昭和元年)580万ha、戦時中に少し減り、1961年609万ha(水田339万ha、畑270万ha)です。<br> | ||
+ | 古代から1960年ごろまで、農地面積/食料生産と人口の増減はかなり強い相関関係にありました。<br> | ||
+ | 1961年が史上最大の農耕地に達します。しかしその後は減少しつづけ、2006年には467万ha(水田254万ha、畑213万ha)です。<br> | ||
+ | 食料の国内生産減少し、外国からの輸入品に代わっていきました。そこで著者はいいます。<br> | ||
+ | 高度経済成長期の1960年代以降の数十年を「日本の歴史において、これほど急激に農地が減少したことはなかった」(P73)<br> | ||
+ | 農地が減り、人口が増えた1960年代以降の食料はどうなったのか? <br> | ||
+ | 食料生産・改良技術の向上もあったのですが、中心は食料の輸入です。<br> | ||
+ | 戦後、外国からの食料輸入は増大し、徐々に食事の洋食化≒近代化がすすみました。それが米を主食とする食生活から全体として変わっていきました。<br> | ||
+ | ※単位農地当たりの米の収穫量は、1950年代のアジア諸国がha当たり1t強であるのに日本は3t前後、1960年代になると、アジア諸国2~3tに増収になったのに対して、日本は5tから6t以上になります。<br> | ||
+ | これは米の種類や耕作条件にも関係するので、単純に農業技術だけでは説明できないのですが、技術条件抜きにも説明できないでしょう。<br> | ||
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+ | 他方で1人当たりの肉の食事量は1961年で年間7.6㎏、2004年で年間40.3㎏と5倍以上に増えました。<br> | ||
+ | それでも著者は「今日になっても、日本には肉を食べない伝統が色濃く残っている」(P153)と言います。<br> | ||
+ | この食生活の変化は何によって生み出されたのか?<br> | ||
+ | 「水産物の消費が急増した時期は、所得がこれまでになく上昇した時代でもあったが、日本ではこの時期になって初めて庶民も豊かな暮らしを手に入れることができた。<br> | ||
+ | 所得が上昇すれば、貧しい時代に食べられなかったものを食べてみたいと考えるのは当然のことだろう。<br> | ||
+ | この時期に、日本では動物性タンパク質の需要が急速に高まった」(P159)<br> | ||
+ | 日本人の所得が増えたことを大きな理由の1つに挙げています。<br> | ||
+ | それ以外にも条件があります。輸入によって多様な食材が入手できる。調理法が巧みに工夫された。<br> | ||
+ | 食材の保存方法や流通手段が整備された…などの条件が1960年代に始まる高度経済成長期以降つくられたのです。<br> | ||
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+ | 食生活の変化によって(それが全部の理由ではありませんが)日本人は体格が向上しました。その反面で体力は落ちたとも言われます(これも事実の一部)。<br> | ||
+ | また長命になりました。平均年齢は男性で1935年46.9歳から2009年79.3歳になりました。1935年は戦争や乳児死亡率が高いなどが大きくかかわっていました。それでも平均年齢はいつも50歳程度でした。<br> | ||
+ | 女性は男性より5歳ほど長命で、いまや両方とも世界最高水準です。これは洋食化が進んだとはいえ、日本古来の“粗食”がなお生きている理由によります。<br> | ||
+ | メタボリック体質という体型の人は増えたとはいえ、相対的には少ないのはそれを表わしています。<br> | ||
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+ | 最後に付け加えておきましょう。<br> | ||
+ | 「余談であるが、昨今、ニートやフリーターと呼ばれる定職に就かない若者が問題視されているが、その遠因はここにある」(P109)、「食料調達から見る限り、いまほど恵まれた時代はない。これがニートやフリーターが出現する所以である」(P110)。<br> | ||
+ | 著者の目には、まだひきこもりは入っていないようです。それにしてもひきこもりを生み出す社会的経済的背景にかなり近づいています。<br> | ||
2023年8月15日 (火) 23:51時点における版
高度経済成長期以降の農地と食料の変化
川島博之『食の歴史と日本人:「もったいない」はなぜ生まれたのか』(東洋経済新報社,2010)を参考に考えました。
食料事情の面から追求した日本人論ともいえる幅広い事柄をとりあげ推察・推測しています。
私の関心は、1960~1990年代の日本人にどのような変化があったのか、その材料を本書の中に探すことです。
まず日本列島における人口の増減について。人口は食料、天候(気象と自然災害)、社会事情(内乱、戦争)、それに乳児死亡率や移民(移出と移入)などに左右されます。
ここではそのなかでも特に重要な食料にかかわる指摘です。
ある研究により日本列島の人口は奈良時代450万人、平安末期680万人、1600年ごろ1200~1500万人、1721年(初の人口調査)3128万人、1870(明治3年)3440万人、1912年6000万人、1941年7400万人、2010年12700万人となります。
農地面積は930年ごろ(和名類聚)85ha、1450年ころ(室町中期)94万ha、1600年ころ(江戸時代初期)162万ha、1720ころ(江戸中期)294万ha、1874(明治7年)455万ha(水田265万ha、畑190万ha)、1912年(大正元年)558万ha、1926年(昭和元年)580万ha、戦時中に少し減り、1961年609万ha(水田339万ha、畑270万ha)です。
古代から1960年ごろまで、農地面積/食料生産と人口の増減はかなり強い相関関係にありました。
1961年が史上最大の農耕地に達します。しかしその後は減少しつづけ、2006年には467万ha(水田254万ha、畑213万ha)です。
食料の国内生産減少し、外国からの輸入品に代わっていきました。そこで著者はいいます。
高度経済成長期の1960年代以降の数十年を「日本の歴史において、これほど急激に農地が減少したことはなかった」(P73)
農地が減り、人口が増えた1960年代以降の食料はどうなったのか?
食料生産・改良技術の向上もあったのですが、中心は食料の輸入です。
戦後、外国からの食料輸入は増大し、徐々に食事の洋食化≒近代化がすすみました。それが米を主食とする食生活から全体として変わっていきました。
※単位農地当たりの米の収穫量は、1950年代のアジア諸国がha当たり1t強であるのに日本は3t前後、1960年代になると、アジア諸国2~3tに増収になったのに対して、日本は5tから6t以上になります。
これは米の種類や耕作条件にも関係するので、単純に農業技術だけでは説明できないのですが、技術条件抜きにも説明できないでしょう。
他方で1人当たりの肉の食事量は1961年で年間7.6㎏、2004年で年間40.3㎏と5倍以上に増えました。
それでも著者は「今日になっても、日本には肉を食べない伝統が色濃く残っている」(P153)と言います。
この食生活の変化は何によって生み出されたのか?
「水産物の消費が急増した時期は、所得がこれまでになく上昇した時代でもあったが、日本ではこの時期になって初めて庶民も豊かな暮らしを手に入れることができた。
所得が上昇すれば、貧しい時代に食べられなかったものを食べてみたいと考えるのは当然のことだろう。
この時期に、日本では動物性タンパク質の需要が急速に高まった」(P159)
日本人の所得が増えたことを大きな理由の1つに挙げています。
それ以外にも条件があります。輸入によって多様な食材が入手できる。調理法が巧みに工夫された。
食材の保存方法や流通手段が整備された…などの条件が1960年代に始まる高度経済成長期以降つくられたのです。
食生活の変化によって(それが全部の理由ではありませんが)日本人は体格が向上しました。その反面で体力は落ちたとも言われます(これも事実の一部)。
また長命になりました。平均年齢は男性で1935年46.9歳から2009年79.3歳になりました。1935年は戦争や乳児死亡率が高いなどが大きくかかわっていました。それでも平均年齢はいつも50歳程度でした。
女性は男性より5歳ほど長命で、いまや両方とも世界最高水準です。これは洋食化が進んだとはいえ、日本古来の“粗食”がなお生きている理由によります。
メタボリック体質という体型の人は増えたとはいえ、相対的には少ないのはそれを表わしています。
最後に付け加えておきましょう。
「余談であるが、昨今、ニートやフリーターと呼ばれる定職に就かない若者が問題視されているが、その遠因はここにある」(P109)、「食料調達から見る限り、いまほど恵まれた時代はない。これがニートやフリーターが出現する所以である」(P110)。
著者の目には、まだひきこもりは入っていないようです。それにしてもひきこもりを生み出す社会的経済的背景にかなり近づいています。