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須磨学園

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'''「恥ずかしい母校」が「進学校」に 須磨学園、創立者の孫が明かす変身のヒミツ'''<br>
 
'''「恥ずかしい母校」が「進学校」に 須磨学園、創立者の孫が明かす変身のヒミツ'''<br>
 
急な坂道を上った先に立つ須磨学園の校舎 <br>
 
急な坂道を上った先に立つ須磨学園の校舎 <br>
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〔2019年4/22(月) NIKKEI STYLE(藤原仁美)〕 <br>
 
〔2019年4/22(月) NIKKEI STYLE(藤原仁美)〕 <br>
  
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2019年5月3日 (金) 11:28時点における版

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須磨学園

所在地 兵庫県神戸市
TEL
FAX

「恥ずかしい母校」が「進学校」に 須磨学園、創立者の孫が明かす変身のヒミツ
急な坂道を上った先に立つ須磨学園の校舎
《連載》学校のリーダー
定員割れが続き、「勉強できない子がいく学校」と評する人までいた状態から、20年で兵庫県有数の進学校に変身した学校がある。
神戸市の須磨学園だ。「塾いらず」とされる面倒見のよさと、ビジネスマネジメントの手法を取り入れた指導で生徒のやる気を引き出す。
創立者の孫であり、改革をリードしてきた西泰子理事長は「すべては教師のモチベーション次第」と言い切る。
■学校経営 祖母から両親へ、そして…
須磨学園は1922年創立の須磨裁縫女学校が前身だ。
経営は創立者の祖母から両親へと受け継がれており、西氏は学校に隣り合う家で育った。
2歳上の兄がアスキーを設立し、米マイクロソフトの副社長も務めた西和彦氏だ。
実家にいた頃、須磨学園から大学に進む生徒はほとんどおらず、「やる気のない生徒と先生しかいないと思っていた」(西理事長)。
学校を継ぐ気はまったくなく、大学から米国に進学。
大学院を修了して帰国した後、結婚して東京で生活を始めた。
夫が若くして他界し、35歳で両親の住む神戸へ戻ったのが転機となった。
須磨学園の経営に参画し、その同窓会に出席した西氏は卒業生の言葉に衝撃を受けた。
「須磨を賢い学校にしてください。卒業生はみんな恥ずかしくて母校の名前を言えない」
■あの震災、みんなが学校に集まった
直後の95年1月、阪神大震災が発生した。
校舎の窓ガラスが3000枚も割れるなどの被害が出るなか、先生たちが続々と学校に集まってきた。
「やる気がないと勝手に思い込んでいた先生たちが、自分たちも被災したのに生徒のためにすぐ動いてくれた」(西氏)
そんな様子を見るうち、学校をなんとかしようという決心を固めた西氏は「男女共学の進学校にする。3年後に変えます」と宣言してしまった。
震災後の校舎改修で、とりあえず男子トイレを設置するなど強引ともいえる勢いで改革を始めた。
学校を変えるには、教師の意識も変えなければと考え、先生たちとセンター試験を解いてみる会を開いた。
ところが、「解けない先生がたくさんいた。進学校になろうとしているのに、センター試験が解けなかったらお話にならないでしょう?」。
奮起して、先生たちの勉強会を始めた。
■裁縫女学校→女子校→共学→中高一貫へ
改革への戸惑いや反発から辞めてしまった先生もたくさんいたが、心強かったのは「お手伝いしますと付いてきてくれた先生もいたこと」(西氏)。
そのころ頑張ってくれた先生たちは、今も須磨学園を支える。
実際に男女共学に移行したのは99年。
2004年には中高一貫コースも設置して進学校へと大きく舵(かじ)を切った。
西氏は、改革の成否を分けるのは「すべては先生のモチベーション、つまり生徒を伸ばしてやろうという気持ちです」と話す。
「今の子供たちは、学校や保護者から課題を与えられ、塾などの環境もあてがわれています。このため、ほとんどが自分で勉強できない。自分から動けない子をどう動かすかが、教師の力の見せどころです」という。
■「なりたい自分」になるために何をすべきか
子供たちを将来に向けて動かすキーワードが「to be myself」だ。
だれかの夢ではなく、「なりたい自分」になるために何をすべきか。
これを考えるしかけの一つが、PM(プロジェクトマネジメント)・TM(タイムマネジメント)教育だ。
02年に学園長に就任した兄、和彦氏が使ってきたビジネスのマネジメント手法を中高生向けに応用した。
将来の「大きな目標」に到達するには「小さな行動がいくつも必要」という発想で、「目標を達成するために何をすべきか」を書き出すのがPMだ。
そしてTMで「いつそれをするか」をスケジュールに落とし込んでいく。
毎週金曜の1時限目はPM・TMにあてており、中1から高3まで生徒全員がオリジナルのノートに翌週の計画を書くのだという。
中学の新入生には「高校生が助言し、教師も全力でサポートします。
そのうちにみんなPM・TMが書けるようになります」(土屋博文・高校校長)。
PM・TMのノートは担任が読み、生徒の関心の方向性や忙しさなどを確認する。
その効果について、西氏は「生徒の関心にあった指導ができます。成績にブレがあった場合、『スケジュールが過密なせいでは?』などと原因を考えることもできます。担任の先生は1時間以上かけてチェックします」と話す。
■自主学習、夜9時まで残る生徒も
「塾いらず」という学習・進学指導も徹底している。
放課後は「9時学」と称して、午後9時まで学校で自主学習できるようにしている。
教師が交代で付き添い、「多いときは700人くらい残って、勉強しています」と土屋氏は話す。
西氏は「学校帰りに塾に行くより、学校で全ての疑問を解決して帰ったほうがいいでしょう?」と明快だ。
これと併せて校庭や体育館などの施設も午後7時半まで使えるようにしている。
勉強時間をどう確保し、部活にどの程度参加するか。すべて生徒が自分で決め、PM・TMで管理する。
生徒に向き合う教師も忙しいようだ。
西氏は「当番でない先生が残って、9時学で教えてくれることもある」。
その忙しさをカバーするため、教師は「他の学校の1.5倍から2倍」(西氏)。
生徒1640人に対し、非常勤を含む教職員は180人に上るという。
教員の質の維持にも目を配る。
西氏は「教員研修では電話の取り方からきっちり指導します」と話す。
年5回の定期試験の際には、生徒に先生を評価してもらう。
アンケートの結果、「イエローカード」「レッドカード」という結果が出た場合は、改善の計画を立てさせ、結果を後日確認するという。
研修旅行も、なりたい自分を見つける機会のようだ。
たとえば、中高一貫の生徒は中2と中3、高1の3回、アジア、米国、欧州へ研修旅行を実施する。
博物館や美術館を見学したり、現地の学生と交流したりして刺激を受けて帰ってくる。
米国では米航空宇宙局(NASA)やボーイング社なども見学する。
ベトナムで自分たちより恵まれない環境にいるにもかかわらず、強い向上心で学ぶ同世代に出会い「自分もがんばる」と言い出した生徒もいたという。
不登校に対応しているのも同校の特徴だ。
入学試験で合格基準に達していれば、欠席日数が多くても入学を認める。
「子供は環境の変化で変わることがある。須磨で再スタートすればいい」と西氏はエールを送る。
入学後に登校できなくなっても、自宅学習という道があるのだという。
共学にしてから20年、この間の須磨学園の進学実績の伸びは目覚ましい。
定員の半分ほどしか生徒が集まらなかった学校だったのに、現在は国公立大学や医歯薬系学部、早稲田大学や慶応義塾大学など難関私立大への進学も定着した。
19年度入試では、東京大学に4人、京都大学に24人、医学部医学科に56人が合格した。
10年ほど前、一人の女子生徒が西氏にこう言ったという。
「先生、私の偏差値は6年間で35も伸びたんです」。
見るからに頭が切れるというタイプでもなかったが、毎日のように9時学に残って6年間がんばった。
この生徒は難関国立大学の医学部医学科に進学したという。
須磨学園の卒業式で最も派手に泣くのは、生徒でも保護者でもなく、教師たちだという。
その涙は、生徒の6年間をサポートしてきた「先生のモチベーション」の表れなのだろう。
〔2019年4/22(月) NIKKEI STYLE(藤原仁美)〕

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