Interview:アスペルガー気質を思う
アスペルガー気質を思う
〔2012年1月17日「センター便り」から〕
熊谷高幸『自閉症からのメッセージ』(講談現代新書社、1993年)を読み直しています。
6、7年前の2005年ごろ一度読んだことがあります。
本への書き込みを見るとそれなりにポイントはとらえていたと思うのですが、2回目の今回は意味が違いました。
最初にこの本を読んだ2、3年後の2007年秋、私は自分がアスペルガー気質であることに気づき、納得しました。
すなわち高機能自閉症ともいうアスペルガースペクトラムであると自覚しました。
1回目の書き込みにはなかった細かな事情が、今回はあれこれの場面で思い出されました。
気づかなかったことが説明されて、あのことも関係していたのかという発見です。
そればかりではありません。
言葉にはならないけれども何か訴えるものを感じるところさえいろいろあります。
「現実世界に入っていくのは負けるために入っていくことになる。
それよりも自閉世界で独自の時空をつくり、何がしかの成果を得る方に賭ける意味はあるのではないか」。
これは前回読んだときに書きこんだメモです。
そのときの私は自閉症の人を理解しようとしてこのメモを書いたのです。
いまこのメモを読むと、自分の人生を総括しているのではないかとも読めるのです。
今回は特に母を思いました。
5人の子どもの下から2番目が私です。
上の姉兄と比べて、あるいは年齢が近い弟と比べて、母は私の特異性を早い時期から感じ取っていたと思います。
数年前に他界した母からはもはや何も聞くことはできません。
兄弟と比べて、私は母からしかられた記憶がありません。
高校生のときに家の貧乏さから通学定期券をごまかし、田舎の駅から通報を受けたらしい母の言葉は何を指しているのでしょうか。
「お前は悪いことなどはしない。それは信用している」。
しかられはしませんでした。
しかし、確かに忘れられない言葉です。
母は看護婦でした。
人の気持ちをどこまで深く読み取ることができたのかはわかりません。
思い起こすと事あるごとに母が私にたいしたことは“信用”が前提にあったと思います。
おまえは悪いことはしない、悪いことができない人間だというのは、あるタイプの自閉症に関してとても深い理解に根ざしているのではないでしょうか。
今回は私自身の経験を思い起こすものでしたが、それにもまして母の洞察力を感じさせてくれました。
特別支援“家庭”教育をしていたのです。
さて私は自分のそれと気づかないでしてきたことが、アスペルガースペクトラムのあれこれを説明するものになっていると思います。
そこで思い出す個人的な事情や体験を記述しておこうと思います。
なかにはかなり恥ずかしいこともあります。
たとえば夜尿症は小学校の高学年までありましたし、中学校でも経験があります。
それらを記述するのも避けては通れないと思います。
それらも一つの状態像であり、理解を助けるものになるでしょう。
アスペルガースペクトラムは精神科領域のものだけではなく身体のいろいろな面に現われるのではないか。
そのことを私自身の経験を紹介することで、考える材料になると思います。
いまさら何の影響もないはずですから。
思いつくままにテーマを挙げてみると、箸の持ち方、素足(下駄履き登校)、爪をかむ癖、顔面腫瘍、帯状疱疹、斜視、色弱、食べ物の好き嫌い…どうでしょうか。