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4-1支援なのか観察なのか②
〔2010年05月31日〕
〔4-1〕「支援なのか観察なのか」の続きを検討していきます。
ウィキぺディアへの記載者はT=、私の感想・意見はM=の形にして分けています。
T=出版畑出身の松田理事長としては、「引きこもり経験者を観察し、引きこもりに関する研究文章を書くことにより、
それが会報・ホームページ・一般書籍・マスメディアを通して多くの人に読まれ、それによって社会一般の引きこもりに対する理解が深められるので、
長い目で見れば“引きこもりの支援”に繋がっている」としている。
しかし、「支援と情報提供をするNPO法人」(不登校情報センター公式ウェブサイトに表記)と謳っている以上、具体的な支援を求めて通所してくる者もおり、
同義的(道義的?)にみれば具体的な支援を行う態勢へと改善されるべきであろう。
また、「べつに引きこもりを治したくないから支援など必要ない」と言う引きこもり当事者の言葉を真に受けて、
具体的な支援をせずに観察ばかりしてしまうのも道義に反するであろう。
M=(1)松田理事長が書いた(話した)とされる「 」内の文章は、対人関係づくりという最大の目標を落としています。
その意味で偏った表現です。
M=(2)「具体的な支援」とは何を指すのでしょうか。
相談、支援団体の情報提供、訪問サポート、対人関係づくりのフリースペース・ワークスペース、体験発表、家族の会がNPO法人の定款に書いてある支援の具体的な方法です。
いずれも満足のいくレベルには届いていないと自認していますが、継続しています。
執筆者はその内容の不十分さを指摘しているのでしょうか、もっと違う支援方法を求めているのでしょうか。
不十分さを指摘していればその通りですが表現がそうはなっていません。
もっと違う方法なのでしょうか?
M=(3)「引きこもりを治したくない」という当事者にも、たとえば話し相手がほしいというのがあります。
それに応えるのが支援です。
その人も対人関係や友人関係ができるようになれば、自ずと次のステップの相応の違う要望を持つようになります。
そのときにできる方法を探し、できることを支援内容にしていきます。
フリースペースの中にワークスペースが生まれたのはそのような経過によるものです。
M=(4)執筆者T=は自分が求める支援の内容をつかみかねているのか、「就業支援」を想定しその欠如を問題・課題にしているのでしょう。
それができるのであれば望ましいことかもしれませんが、できる条件がないのに乗り出すのは無謀でしょう。
今現在も「就業支援」をNPO法人の支援方法に加える条件はないし、それを望む通所者はいません。
そういうことがわからないまま執筆者は書き進めたと思います。
「就業支援」を期待しているのであれば、それを標榜する支援団体に行けばいいのです。
それは期待していないのでしょうか。
標榜していないところに求めても“無理難題”を求めることになります。