Center:2005年6月ー日本人の味覚、その特に鋭い人たち
日本人の味覚・その特に鋭い人たち(?)
〔B5版ノート3枚の手稿の未完成メモ。2005年夏ごろ。
タイトル「日本人の味覚・その特別に鋭い人たち(?)」と見出し番号は原文メモについていたもの。原文の98%以上は保持しています〕
(1)
アメリカに旅行をした人から土産物として菓子類をもらって食べました。
正直言ってうまくありません。
以前は、味覚はアメリカ人と日本人では違う、アメリカ人はこの味がうまいのだと考えていました。
アメリカ人の好みの味は、大味というよりも甘さなどの味が強すぎるのです。
微妙なところに神経が届いていない気がします。
先日、国会討論のラジオ番組を聞いていました。
日本の米がうまくてヨーロッパに輸出されているというのです。
中国では日本産のリンゴが1個1000円で売られているという話も出ました。
私はこれまで日本米のうまさは味覚の文化的違いによるものだと考えていたのです。
しかし、どうやらそれだけの話ではなさそうです。
となるとアメリカ土産の菓子類の話も考え直さなくてはならなさそうです。
日本人には、ヨーロッパ人や中国人との味覚の違いがあるというよりも、味覚が優れているのです。
その味覚を生かしてうまい食べ物をつくり出すために根気よく工夫を重ねているのです。
日本米はヨーロッパ人が食べてもうまいのです。
日本産のリンゴは中国人が食べてもうまいのです。
日本米は多くの銘柄に分けられています。
銘柄にこだわるのはその味を食べ分けられる感覚があることを裏付けています
(うまさは米そのものだけでなく炊き方その他によって違うとしてもです)。
(2)
牛肉はどうでしょうか。
アメリカ産の安い大量生産型の牛肉の輸入が狂牛病対策の違いから輸入禁止になっています。
これにより牛丼の最大手店の販売が中断されているのは周知のとおりです。
輸入されたアメリカ産牛肉の全部が牛丼になるわけではありません。
牛丼は輸入肉に適した絶妙な味付けがされ、うまい食べ物になっています。
それに価格が安いことが強みとなり、人気を得ていたものです。
和牛肉は価格をこのアメリカ産牛肉に匹敵するほど低価格にすることはできません。
和牛は少量生産型で、牛産コストが高くつきます。
私の出身地は石見地方(島根県)で和牛の産地です。
年に数回牛の品評会が開かれていたのを思い出します。
品評会(コンクール)を継続させて、一頭一頭の牛の養育を促進してきたわけです。
全国各地でこのようにして牛は育てられているのでしょう。
いまのところ、安いアメリカ産牛の攻勢が価格の面から続いていますが、いつまでもそれが続くとは思えなくなってきました。
価格差が現在程度よりもう少し縮まれば、うまくて安全性の高い牛肉が求められるのではないか、という気がします。
いま、日本米とリンゴでそのうまさからその農業生産高が高価格にもかかわらず、輸出品になり始めました。
いろいろな食べ物が、価格よりもうまさの面から求められる時代が近づいている気がします。
まずそれは世界の先進国といわれる地域から始まるでしょう。
なぜなら食べ物不足の地域においてはまずその量が確保されなくてはならないからです。
量が充足した地域では価格とともに質(うまさや安全性)が問われていくのです。
(3)
私は、食べ物の質を追究する点で、日本は全体的には世界で一歩先んじているように感じています。
日本人はそのような感覚の人が多く、そのような文化があるのです。
味覚(と食べ物)に表われた日本人の感性が徐々に世界的に普及していく過程が進んできたように思います。
この過程は、食品の物的交流(貿易など)の面から表われます。
日本は工業製品(精密な電機電子製品など)の生産・輸出国から食品の生産・輸出国になっていく可能性が考えられます。
(4)
その日本で引きこもりになる人が多数います。
この2つのことは何の関係もないことのように見えるけれども、少なくとも重要な関連があると思います。
引きこもりになる人の感性の鋭さは、群の集合としてそのなかでも特別視していいほどのレベルだということになります。
引きこもりになる人は、日本人らしい日本人、日本人の感性を特別に色濃く持つ日本人といえるかもしれません。
繊細であるために細部が目について無視できなくなるのです。
言い換えると強迫的なこだわりをもってそこに集中してしまう人です。
そのことが食べ物の面で国際競争力を持ってきたように思えるのです。