Center:2000年9月ー「引きこもり」からの明日をさがして
目次 |
Center:2000年9月ー「引きこもり」からの明日をさがして
〔2000年9月ごろ〕
―自立に必要な力と場づくりを求めた二年余―
(『不登校と向き合う―ある学校の13年の奇跡』武蔵国際総合学園(編)朝日新聞社、2001年に所収)。
不登校情報センターには、不登校や引きこもりを体験した若者たちのサークル、人生模索の会というのがあります。
多くは、働きたいのに働けない、人間関係の力をつけたいと今も葛藤している二十代の若者です。
なかには、高校や中学時代に不登校になり、今日まで抜け出せない人もいます。
しかし、社会に出られるように、お互いに対人関係づくりで訓練しあっている場なのかもしれません。
その意味では、ある程度元気さを回復した、前向き状態の人たちです。
高校を中退したままで30歳を目前にして通信制高校への入学や大検受検を考えている人もいます。
高校を卒業していないための不利益、就職用提出する履歴書にある(引きこもりのための)長い空白をどうしようかと迷う人もいます。
私自身は学歴(高卒)がなくても、自分の道を歩めることを望んでいます。
しかし社会の現実で、彼ら、彼女らが遭遇している場面に無頓着に“学歴不要”を主張する気にはなれません。
自分は、高校や大学を卒業して安全地帯に居ながら、人には「学歴なんていらないよ」というのは無責任なのです。
それでも、彼、彼女らが高卒の資格のないことを気にせず働ける場、仕事のできる方法を求めるときの、一人の同伴者として、ドン・キホーテの役を自ら買って出ています。
それはそれで案外おもしろい役回りではあるのです。
人材養成バンクという不燃焼体験
2年半ほど前(1998年春)に、不登校情報センターは取り組みの一つとして、人材養成バンクというのを設置しました。
人間関係には不安であるが、「できれば働きたい」という人を対象に、彼らを受け入れようという事業所(企業など)をさがし、引きあわせようという試みです。
約80人の若者が人材養成バンクに加入しました。
事業所の方も数十か所になりました。
土木建築会社、飲食店、農場・農家、清掃会社、パソコン利用支援会社などです。
これらの事業所には、就職ということに先立つ、研修・実習の機会をつくってもらい、そこに若者に参加してもらうように勧めました。
期間は数日(3~5日程度)、農家の場合は1~3か月です。
パソコンの研修は一日五時間で五日間が一研修プログラムでした。
それを5回ほど開き、十数人が参加しました。
これはとりあえず目標は達成したのですが、終了後、それを仕事にする人はその時点では出ませんでした。
その程度では、仕事に就くだけの技量を養成することができず、安い費用でパソコンの初歩を習える場になっただけです。
数人が農場・農家を希望しました。
しかし、行って3日目に「帰りたい」とすぐに帰ってきた人がいます。
2週間の準備の後、でかける前日に「やっぱり行けません」と断ってきた人がいます。
受け入れ農家が“住み込み”を前提としているのに、自宅から片道2時間半ほどを通勤すると言って、結局、条件のあわない人もいました。
ほかの職種も数名希望者はいたのですが、設定された研修・実習を修了した人は出ませんでした。
そういう中途半端や不燃焼以上に大きく感じたのは、応募しない人が大多数(50人以上)を占めていたことです。
加入した若者は「自分に向いている仕事がない」というレベルで判断したかもしれません。
しかし、私には、若者の心身状態は、実は仕事さがしどころではなかった、と思えるのです。
一方、協力を申し出た事業所からは、この事態を見て、「少し無理だったみたいですね」というおだやかな中止通告、応募者が一人もいないなかでの自然消滅が相次ぎました。
1999年春(人材養成バンク設立の1年後)に、一つの結論を出さざるを得なくなりました。
知人と話すときに、私の口を衝いた言葉は、「二階は作ったが、階段がなかった」というものです。
これらの若者にまず必要なのは、二階(仕事)ではなくて、階段(社会に出る力)だった、という意味です。
仕事場を用意するとともに、人と関わっていく力を育てなければならないという事態を、あらためて強く知らされたのです。
訓練と収入につながる場が必要
不登校情報センターの取り組みのなかには、時期を並行して別の動きがありました。
不登校や高校中退者の体験者のサークルはそれ以前にすでにできていたのですが、その99年初め頃には人数が大幅に増えていました。
このサークルは「こみゆんとクラブ」という名前です。
人数が増えるとともに、参加者の関心も多様になり、会の場に参加しても自分の問題が話されていない事態が生まれていました。
これが「こみゆんとクラブ」の一つの発展のきっかけになったのです。
駒屋くん(28歳)は「引きこもり経験があって、働きたい人の会をつくりたい」と言い、穀文くんは(21歳)は「通信制高校生だけの会をつくりたい」と言ってきました。
それで私と3人で話し(8月)、通信制高校生の会と人生模索の会をつくることになったのです。
駒屋くんは、その参加者の内容を考えながら、「年齢は25歳以上……かな」、「引きこもりの経験があって」、「それに働く気持ちがあって、友だちがほしいとか……」、「まあ全部そろうことが条件ではないかもしれないけど……」というのが、人生模索の会の参加予定者でした。
その初会合は、99年10月です。
集まったのは8人ほどで、女性は一人です。
その席で語られたことは、「このままで、いつになったら社会に出ていけるのか不安です」という将来への不安感でした。
引きこもりの続く人が20代後半に入ると強める、社会参加できるかどうかの不安感が、そのまま共通の悩みとして語られたのです。
一般に相談の場面では、こうなります。
10代の子どものときは、主に母親が相談に来ます。
20代の後半では、親が相談に来る割合が減って、引きこもり当人からの相談が半分以上(たぶん3分の2ぐらい)を占めます。
相談であっても、人に話しかけるという条件を乗り越えるのが10代では難しく、二十代ではその力が少しは高まっていることも関係しているでしょうが、それ以上に、本人の自覚、切迫感がその背景にはあると思います。
人生模索の会の初会合では、それがストレートに出たのです。
従来の「こみゆんとクラブ」の場では、そうストレートに出なかったのですから、これは一つの前進と言っていいでしょう。
その後、特に今年(2000年)春以降、人生模索の会は、かなり頻繁に会合を開いています。
平日午後にも開いていて、参加者はますます増える傾向にあります。
巷では、主観的な意図はともかく、「引きこもりの人の自助グループ」として伝えられているようです。
今年の3月頃に開いた人生模索の会でのことです。
約10年の引きこもり経験があり、いくつかのアルバイトを経験してきた滝城くん(28歳)が、自分にとって必要な場をこう表現しました。
「トレーニング(訓練)も兼ねて、収入につながる、会社みたいなものがほしい」と。
私には事態を的確に表現していると思えました。
不燃焼だった人材養成バンクの構想を現実化する、引きこもりの体験者の実感から出た指針のように聞こえたのです。
編集実務のある文通サークルの誕生
不登校情報センターの取り組みには、さらに別の動きもありました。
文通サークルです。
これは『じゃマール』という隔週発行の個人情報誌をながめているなかで思いついたことです。
そこには、対人関係が苦手、内向的性格であるという若者たちが「友だちがほしい、友だちになって」というメッセージを毎号のように載せているのです。
「こみゆんとクラブ」の会員のなかでは、会合には一度も顔を見せていないのに、お互いに文通をし、友人関係になっている人たちがいます。
多くは女性です。
このサークルは、人生模索の会を生み出したもともとのサークルです。
自己紹介を書いた個人情報を入会申込書にしています。
この入会申込書を会員間に渡しているので、体験や関心が共通すると手紙の交換をする人がいるのです。
この文通の実例と『じゃマール』の個人メッセージを見て、不登校情報センターに関わって、「何かの形で活動したい」と言っている人に、文通に取り組んでみようと持ちかけてみました。
それが去年の暮れのことです。
いくつかの曲折があり、「心の手紙交流館」と名称をつけ、文通サークルへの参加をよびかけ始めたのが、今年の4月のことです。
自己紹介をかねた文通のよびかけ文を集め、それを1冊にまとめ、よびかけた人たち同士で文通をする仕組みです。
同時に通信スタッフというメンバーを募り、積極的に文通希望にこたえていく体制も準備しました。
この取り組みでは、冊子を作る(編集する)という独自の作業が発生しました。
この作業をする人を編集スタッフとすることにしました。
通信スタッフと編集スタッフは片方だけの人もいますし、両方を兼ねる人もいます。
しかし最大の特色は、その大部分が、自分自身が対人関係に不安をもち、引きこもりや不登校の経験をもつ人になっていることでしょう。
女性の参加が多い取り組みです。
その冊子には『ひきコミ』という雑誌名をつけました。
この雑誌名を決める編集会議、文字入力の分担、版下を完成する作業などを通して、集まったスタッフに一つの勢いを感じました。
同じ引きこもり体験者の集まりと言っても、話し合いを続ける人生模索の会の場とは違うのです。
注意深く見ると、編集スタッフの会議は、目的が明確にされ、作業とその分担があり、それに必要な会話があります。
それは会議です。
人生模索の会は、目的が決まらず、お互いが知り合い、体験を語り合う場であり、それは会合です。
それが違いになって表われているのです。
もっとも人生模索の会の会合も、何かをさがし求める人には欠かせない場であることには違いありません。
私はこの『ひきコミ』編集スタッフのもっているエネルギーに注目しました。
要するに「これはいける」という感じです。
この編集スタッフの集まりを恒常化することを考えてみました。
それは人材養成バンクの構想の、私が直接にタッチできる形での復活になると思いました。
それは滝城くんが述べた、「トレーニングも兼ねて、収入につながる、会社みたいなもの」の一つの実現をめざすことになると思いました。
編集プロダクションという養成所を、そう位置づけてみると、また新たな広がりが出てきます。
要はこの編集委員会(?)は、『ひきコミ』を編集するだけではない、一般の編集プロダクションのようにしていけるのです。
その場合、一般の編集プロダクションとは2つの面で大きく違ってくるでしょう。
一つは、訓練(または養成)をかねた機関になることです。
編集会議、文章作成、編集実務(レイアウト、校正)見出し付けなど初歩からの基本的な編集実務のできる人(編集者)を養成する役割です。
もう一つは、編集の周辺実務と言える仕事です。
イラスト(絵)・デザイン、写真あるいは、文字入力(パソコンによる文字入力作業)がそれです。
不登校情報センターのホームページ(http://www.futoko.co.jp)にブックストアを開設していますので、その運用をこのメンバーに任せてみることにしました。
やっとめざす入り口に到着
実はこの“編集プロダクション”は、まだ着手したばかりです。
今、入り口にいるところなのです。
人材養成バンクとして2年前に始めて棚上げになっていた構想が、いろいろな取り組みを続けてきたなかで、私の手の届くところで、私の周囲に集まってきた引きこもり体験のある若者たちの手で、引き寄せられてきたのです。
その“編集プロダクション”構想としてメンバー間に渡し、検討してまとめた運営規則を次のページに付けておきます。
不登校や引きこもりを長く経験した人たちが社会参加する道は、まだ狭く苦しいものです。
人間は社会的な動物であり、成長する過程で人と関わっていく力が育っていないと、社会に入っていくことが困難です
。乳幼児期の親子関係、幼年期以降の遊びを中心とする子ども関係が、制約され、一方的にされてきたなかで、子どもたちは人と関わる力、社会性を身につけないまま成長してしまいました。
学習も、学歴も、技術や知識も、たぶん資産も、この社会性という前提があって生かせるものでしょう。
この人間と関わる力、社会性はかつては自然に(親の知らないうちに)育っていくという社会環境がありました。
この2、30年の間に、日本はそのような社会環境を崩してきたのです。
子どもの立場から言えば、それは子ども期の喪失という事態と言えるでしょう。
その育ってそこなかった人間と関わる力、社会性を、身体的には成長してしまった若者が身につける場が用意されなくてはなりません。
それが引きこもりの若者たちにとって自立に向かう環境づくりです。
それが初めからわかっていたわけではありません。
今でもわかったと言えるかどうか心配です。
人材養成バンク、人生模索の会、心の手紙交流館と『ひきコミ』そして相談などでかかわった多くの人の、少しずつの動きのなかで明らかにされてきたことです。
私がやっと入り口にたどりついた(と思っている)編集プロダクション構想はその一つの可能性にすぎません。
ここでの経験を生かし、次にはほかの職種・業種でも可能な姿をさぐっていきたいと考えているところです。
(文中人名は仮名です。2000年秋ごろ執筆)
『ひきコミ』編集室に関する運営規則
『ひきコミ』の創刊によって生まれる編集室は、編集・出版および周辺業務を行い、その知識や技術を身につける場です。
引きこもり等の体験者が、社会に参加する過程で必要とする「訓練を兼ねて、収入につながる、会社みたいなもの」の1つの典型として発展させることを目指します。
(1)[訓練を兼ねて] 訓練および仕事内容
対人関係の訓練もしながら、編集・出版と周辺業務を、実務につきながら学びます。
編集関係―編集企画、文章作成(リライトを含む)、レイアウト、校正、見出しつけ、取材。
印刷関係―組版(文字入力)とDTP。パソコン利用が前提。
図書販売―集会販売、インターネット・ブックストアの制作と運営。
広告関係―広告企画、広告募集、広告制作。
周辺業務―イラスト(デザイン)、漫画、カメラ(写真)、パソコン技術修得、コンテンツ提供。
(2)[収入につながる] 収入
編集スタッフは仕事量に見合う支払いを受けます。
また仕事量と収入の基準額を決める場に参加できます。
給与制ではなく、アルバイト、内職または副業の収入源とします。
無償ボランティア活動や、低費用での技術修得も追求します。
(3)[会社みたいなもの] 組織
『ひきコミ』の編集を中心とする共同事務所、“フリーター協同組合”です。
社員としての雇用ではありません。
(3の2)就職・独立希望者と復帰制度
対人関係に自信がもて、事業所などへの就職や独立を考えるスタッフは、1週間前に申し出なければなりません。
就職や独立後も、可能な条件のなかで、スタッフとして関わることができます。
就職、独立その他の理由で、いったんスタッフを離れた人も、希望すれば随時、スタッフに復帰することができます。
(4)運営体制
①統括者―不登校情報センター代表は、『ひきコミ』編集室の統括者となります。
全体の運営、対外的交渉の責任者です。
②『ひきコミ』編集・発行と周辺業務に関して、必要に応じて営業、広告など、担当者をおくことができます。
③『ひきコミ』編集・発行に関わる収支は、独立会計とします。
会計年度は4月から翌年3月までとします。