Center:159ー「生を全うする」ための生活共同体
Center:159-「生を全うする」ための共同生活体
〔2013年6月10日〕
一つの重大な社会現象は、単独に生まれるものではありません。
不登校・引きこもりもまたそういうものです。
それはたとえば学校制度の変化、家族関係の変化、あるいは社会経済全体の変化と結び付き、その一構成部分でもあります。
性的マイノリティに取り組むYさんの提起は私にはすぐにとりかかれるものではありませんが、ひごろ漠然と思っていたことを明瞭にしてくれました。
例えばヨーロッパやアメリカの州(State)で、同性愛者の結婚が合法化され、社会的な公認に向かっています。
これは家族制度を考える上でかなり大きな要素です。
家族制度は、人間の歴史のなかで何度か大きな変化を示してきました。
産業革命以降の大きな社会経済の変革が進行しつつある現在において、家族制度が変わるということは十分に根拠があるのです。
確かにそれは家族関係の乱れとか家族の崩壊の形で始まります。
ところがその解決は全体としては以前の正常な形の戻るのではないのです。
新しい家族関係、家族制度として生まれ変わるものであり、家族関係の乱れや崩壊はその前ぶれであったことがいずれ明らかになるものです。
現在進行している家族関係の変化は、私の予測によればこれまでとは異なる1つの特色があります。
私はいま『植物の進化を探る』(前川文夫、岩波新書、1969年初版)という本を偶然読んでいるところです。
植物の進化においては種の保存のための働きが大きく作用していると読み取れます。
同様に植物の個体の保存の作用も進化に影響しています。
生物において個体の保存と種の保存のための条件づくりは、自然環境に対してまさに闘争です。
生物において個体保存と種族保存は不可欠の要素なのです。
人間においてはここに社会環境への適応というか条件づくりが課題に入ります。
日本においても家族関係が大きく変化しました。
過去の半世紀において核家族化が顕著に進行しました。
それは家族の一員であった個人が家族から相対的に独立性を高めて生きていく環境条件を広げてきたともいえます。
それらが今現在どうなっているのかと言えば、無縁社会という状況の出現であり、絆の回復が叫ばれる世の中です。
引きこもりの多数の発生もある程度はここに関係します。
核家族化が間違っていたというのではありません。
ある面で核家族化が人為的に促進されたことは確かです(高度経済成長による人口移動など)。
しかし、それ以上にこの変化は社会の合法則的な変化と見なくてはならないでしょう。
その変化を別の表現をするとこうなります。
家族は血縁的なつながりに基づく生活条件(個体維持)と血縁に基づく子孫の保存(種の保存維持)の機能を果たすものでした。
家族関係の乱れとか家族の崩壊とはこの機能の低下ないしは消失に向かっています。
無縁社会の広がりはその一端を示しています。
ところがその一方で、「遠くの親族よりも近くの他人」というか、親和的な人たちによる共同生活世帯が生まれています。
欧米に生まれ日本にも見られるようになった同性結婚もまたこれと合流する1つの流れになると思います。
その特色は種の保存機能を条件としない共同生活、ないしは新型家族の誕生です。
そこにあるのは個の生存のための共同生活、家族の誕生に向かっていることです。
そして無縁社会とか絆が強調される時代において、このような家族、共同生活体の出現は、必要とされ歓迎され、広がるのではないでしょうか。
その共同生活体内に一組の夫婦が所属することもあるでしょうが、男女関係は無秩序なものではないでしょう。
何かの共通の課題の追求、相互補助または協力関係による共同生活体です。
種の保存機能はあるけれどもそれ以上に「生を全うする」ことを目的とする共同運営的で包摂する個人と血縁者の独立単位を保障する大家族です。
現在進行している家族関係の変化をこのように考えることができるならば、それは性的マイノリティにとっても、そして引きこもり問題の将来にとっても肯定的な役割をすることになるように思えるのです。