Center:133ー現代科学の限界を2点指摘
現代科学の限界を2点指摘
〔2011年5月27日〕
松井孝典『宇宙人としての生き方――アストロバイオロジーへの招待』(岩波新書、2003年)。
〔その1=科学の方法論〕
生物学的なノートが多くなるのは、物質世界(物理学・化学)と人間理解の中間にあるために両方の橋渡しを助けるものを記録しておこうとするためのようです。
この本のノートは3つに分けました。
(1)二元論と要素還元主義
「近代自然科学の基本的な考え方は、二元論と要素還元主義の二つに基づいています」(17ページ)。
「この二つの考え方は現代の知の体系を構築するのに必要不可欠な考え方でした。しかし、新たに宇宙からの俯瞰的、相対的視点が加わることにより、これまでのこうした考え方だけで自然が本当にわかるのか、という疑問が生じてきたのが20世紀という時代でもあるのです」(19ページ)。
(2)二元論の破綻
「二元論とは、我々と自然とが分かれていて、我々は自然という対象を認識する主体であり、自然は認識される客体であるという考え方です。すなわち、人間と自然とをはっきり分けて考えます」(17ページ)。
量子力学的方法の事物全体への拡大。人間が観察すれば、対象は変化する事実の受入れが出てきた。
「電子を使って電子そのものを観察する…観察する行為によって観察対象の状態が変化してしまいます。…ミクロの世界では観察という行為によって、観察されるべき客体が影響を受けてしまう…これは、主体と客体を完全には分離できないことを意味します。
…20世紀の終わりになってマクロ的な世界でも二元論が破綻していることがわかってきました。いわゆる地球環境問題の存在によってです。…人減圏という構成要素を地球上につくって生きている結果として、夜半球の地球に光の海が見えるということは、地球という観測されるべき対象が我々の存在によって影響を受けているということです。(21ページ)…マクロな意味でも人間と自然を分けることができない」(22ページ)。
(3)要素還元主義
「要素還元主義とは、観察あるいは考える対象の時空スケールを細かく分けて対象のことを考えようとするものです。そしてその細分化された要素について分析した結果を、最終的にはすべて足し合わせて全体を理解しようという考え方です」(18ページ)。
分析的方法から全体をみる=細分化されたものの合計が全体とはいえないものがある。
原子の集合によりできた分子は、単純に原子の合計ではなく分子としての独自なものが生まれる。
量的な合計では測れない質的な違いが集合体の中には生まれてくる。それを受け取る方法論の必要性がある。
(4)複雑系
「自然とは…単純な足し合わせになっていない、…これはカオスとか複雑系とか、いろいろな言い方がされますが、自然現(22ページ)象の新しい認識のしかたによるものです。
別な言い方をすると、対象の挙動について、その挙動を記述する方程式が物理学的にわかっている場合、初期値があたえられれば、方程式は解け、未来がユニーク(一意)に決まるというのが今までの世界でした。ところが、方程式系は単純であっても、初期値がコンピュータの誤差の範囲くらいわずかに違うだけで、結果が全然違うような振る舞いを示す系が自然の中にあることがわかってきた。こういう系を複雑系といいます」(23ページ)。
量の違いと質の違いともまた異なるもののようですが、イメージできません。
分析的方法を含みながらもその限界を超えた統合的な方法。
対象と対象者を分離するのが不十分とする「二元論の破綻」と一元論の要求。
上の二つの事柄は、二つのまったく別のものとはいえないかもしれません。
ある全体を構成する重要な二つの要素ではないのか。
だとすればその全体を表現する一つのものがありそうです。
それをあらわすものが複雑系といえるかもしれません。
しかし、それは形容詞的な表現であり内容をあらわしたものではないのが弱点です。
著者はそれを内容面から表現しようとしています。