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Center:104-原始的、根源的な存在論の示唆

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原始的、根源的な存在論の示唆

〔2011年3月28日〕
以前に書いたノート部分を載せようと準備する合い間に、このテーマに的確な文書を見つけました。

梅原猛「美学におけるナショナリズム」『美と宗教の発見―創造的日本文化論』(講談社文庫、1976年)。
この論文は同書巻末の「年譜」によれば1965年、筆者40歳のときです。

正岡子規が「古今集はくだらぬ集」(p87)というのをとりあげ、
「子規の主張した感覚と写生の重視、それは科学を重んじるヨーロッパの科学技術の精神であったし、強い意志は、ヨーロッパが背後に持っていた支配せんとする意思であった」(p122)
に基づくものを映しているものであり、また江戸期の武士哲学を受けついだ「明治ナショナリズムの犯した歴史的誤解」(p120)と断じています。

梅原さんは、古今集、新古今集の日本的精神文化を改めて紹介しながら、次の点を展開していきます。
この部分が私のいまのテーマにとって重要です。

ハイデッガー「は、西洋文明を意志の文明と考える。…近代西洋の認識論では、すべてのものは、意識の前におかれ、意識の対象として存在するものとなる」(p121)というのを紹介し、この意見に共感を示します。
そしてヨーロッパ的な意志の文化の転換を考えます。
「もし存在するものの代表者を死せる物質に見出し、その物質を中心に一切の存在するものを見てゆく唯物論や、存在するものの代表者を、人間のみが神によって予め与えられた精神に見て、精神から一切の存在するものを見てゆく観念論が存在の権利を持つとすれば、物質でも精神でもない、生命そのものを存在するものの代表者と見て、その生けるものから一切の存在するものを見ていこうとする存在論も、同じように存在の権利をもつはずである。…ヨーロッパ文明の原理の大いなる危機において、われわれに語りかけてくるのは、極度に原始的な、それゆえ極度に根源的な存在論ではないか」(p125)と主張していきます。

この言に先立ち「生命あるものは存在するものの代表者と考え、すべてのものの中に同じ生命のあらわれを見て、この生命を生み出した言い難い存在そのものに深い敬意を払うという世界観を、アニミズムといって、原始宗教の所産としてしまう偏見にわれわれは余りにも慣らされてきた」(p125)と、アニミズムへの肯定していく姿勢を示しています。

これは私にはきわめて示唆的であり、これから考えていく方向に役立ちます。
ややいけないのは梅原さんが唯物論を死せる物質に凝縮して扱い、生命を物質的なものと切り離したことです。
また私はアニミズムには素朴で不完全な唯物論が含まれていると思えます。
このあたりが梅原さんとはズレるのです。
あえて言えば私は無神論者であり、唯物論によらなくては事態をとらえられないと予測しています。
その上で“祈る”意味や根拠を求めているのです。


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