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通所者スペースの中間まとめ
〔2010年05月28日〕
ウィキペディアの次章「(4)問題・課題」もフリースペースを繰り返して記述しています。
そこに入る前にこの区切りで、フリースペースを考えてみます。
フリースペースは、人とつながり、対人関係を体験し、親しい友人関係にすすむのを期待される場です。
対人関係は社会生活のいろいろな場面で発生しますが、親しい友人関係にすすむには、個人間の継続的な接点が求められます。
フリースペースは意識レベルの差はあるとしても人と出会い、人とつながり、人と親しくなりたいと感じる人の集まるところです。
そこには平穏さだけがあるのではなく、平穏さだけでは人とつながる力量はつきません。
フリースペースでは参加する各人の修行が課せられます。
執筆者T=はそのあたりまではわかっていると思います。
そこにサポートが必要だけれども、不登校情報センターではサポートの種類や程度が自分の体験からは十分ではなかったといっているのです。
私は執筆者T=のその意見を肯定します。
あらゆるレベルのあらゆるタイプの人に不登校情報センターのフリースペース・ワークスペースが適合するとは思えないからです。
フリースペースに参加してみようとする人に最初のハードルの費用負担のハードルを低く設定しました。
無料であったスペースの参加費を有料に切り替えたのは、通所者の意識は無料よりもよかろうと考えたためです(感じ方には個人差があります)。
それに続くスペースの様子は費用負担の低さ・有料と比例するわけではありません。
しかし、執筆者の感覚・体験が、もし“安かろう・拙かろう”というものなら、私はそれを否定する気はありません。
費用負担を高くし、態勢も十分に整えて、フリースペースを開設する方法はありうると思います。
ただ私にはその姿がイメージできません。
態勢が整うとともに通所者にとって参加しにくい雰囲気を感じてしまうからです。
これは私の感覚ですから一般論ではありません。
私には整っていない、抜け道が感じられる…そういうものこそフリースペースとしてふさわしく、通所者が相対的に参加しやすいと思えるのです。
私のこの感覚が多かれ少なかれ、不登校情報センターのフリースペースに現れていることは確かでしょう。
この感覚がフリースペースの一般の要件とは思いません。
フリースペースは、開設者と通所者によりいろいろなタイプがあればいいのです。
私がフリースペースに限らず、相談室や学校やその他の支援団体の情報提供をする意図はここに関係します。
しかし、一開設者としては、自分のイメージできる場を用意するしかありません。
自分に理解できないこと、説明できないことは運営できません。
執筆者T=には自分のイメージに近いところ(フリースペースとは限らないでしょう)に関わるようにお勧めします。
松田が開設し、いろいろな通所者の関わりでできたのが不登校情報センターのフリースペース、その延長としてのワークスペースです。
完璧ではありませんから、向上は願いますが、向上の方向は開設者と通所者の複合した要素によります。
フリースペースが年次の繰り返しではなく、“歴史”ともいえる経過をたどってきたのはそのためです。
“独裁的運営”といわれながら、同じ事態の繰り返ではなく、継続してきたのは、
参加する通所者の様子・状態をよく“観察”し、何らかの形でその要素を取り入れてきたからです。
“独裁的”は私の望むところではありません。
自己表現がその場その場で上手くできないと感じる執筆者T=にはそう見えるのでしょう。
本当の意味で独裁的であれば、思い通りのやり方をするでしょうから、数年間に“歴史”というほどの状況変化は生まれないと思いますが、どうでしょうか?