青年期の登場、または延長思春期を考える
青年期の登場、または延長思春期を考える
モンゴルの来襲に備えた13世紀当時の日本の現実的な最高為政者は十代の北条時宗でした。
下って16世紀に甲斐の国で父を追放し国内の政治体制をつくり、生活条件を改善しはじめた武田信玄もまた十代でした。
この2人がとび抜けていたわけではなく、少なくとも戦国期までの日本では十代で、ある社会のリーダー的役割をする人は少なくありませんでした。
元服する年齢は十代です。江戸時代おいてもこの傾向はそうとうに色濃く続きました。
それが明治期に入るころには、もう少し年齢を重ねた人が、その役割を果たしていくようになったと思います。
この十代から20代にかけての世代を表わすライフステージに「青年」ということばが充てられるようになりました。
この年齢幅は固定的ではありませんが、およそ(男性のばあい)18歳から28歳ぐらいであると思います。
私は論語にある孔子の「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ」というのを、この青年期に当てはめて考えていたりしたものでした。
さて現在はどうでしょうか。十代にして、北条時宗に比すべき人を想定することはとうていできません。それはすぐにわかることです。
もうひとつの青年期はどう考えればいいのでしょうか。
(やや強引な見方と思いますが)今の日本ではおよそ30歳までは大人になる年齢とは考えられない、といいます。
これは個人差がかなり大きく18歳にして“一人前”といわれる人がいるのも確かなことです。
ただ、それが統一基準にはならない、という意味です。
そういう前提ではありますが、30歳くらいまでは十分に社会的な活動はできなくても「不思議ではない」時代に入っています。
これは、年齢や身体の成長とは別の社会的な条件によりそのように変わってきたのです。
ニート・ひきこもりの人を就業に結びつけようと取り組む若者サポートステーションは、当初は35歳以下の人が対象でしたが、徐々に延長されて、現在では49歳というところがいくつもあります。
若者サポートステーションから「若者」をなくしてもよさそうです。
いつのころからそうなったのでしょうか? 期間の幅は広すぎるかもしれませんが少なくともこの50年の間に生じたことです。
社会的条件によって、人のライフステージは変わったのが主たる要因です。
それにともなって(どちらが先かは言い難いですが)、身体的条件も変化していると思います。
正確さは保障のかぎりではありませんが、感受性が繊細であり、感性ゆたかになっているというのが私の印象です。
体格は向上しているが体力はそうは言えないかもしれない、という意見はここに関係するかもしれません。
さてこの時期の人をどう表せばいいのでしょうか。ミドルエイジ、略してミドルといわれるのはもう少し年齢が上の中年期を指すでしょう。
どこかで私は「延長思春期」ということばを使いましたがこれは青年期の範疇にあるものです。
しかし青年期というには社会的な要件に不足を感じるのです。
これは斎藤環さんの本が『社会的ひきこもりー終わらない思春期』となっているのに納得して考えたものです。
しかし「延長思春期」は世代の名称としてはベストとは言えません。
また30代後半や40代の人を「若者」とか「青年」はなじめないので、何かいい名称が欲しいところです。それともナシの方がすっきりしますか?
子ども時代(幼児期や思春期)、成年期(青年期や中年期など)、老年期(高齢期)などのライフステージのなかで、全体として高齢者が増え、別の理由から子どもが少なくなりました。
しかし生物としての年齢は120歳あたりを超えることはないようです。
日本人は天寿を全うする方向になってきて、男女ともに平均寿命は80歳を超えています。
これは過去75年余りに戦争がなかったこと(戦死者を含む戦争の惨禍を免れた)、生活条件が向上し、公衆衛生や医学医療が改善したことなど社会的な理由によるものです。
こういう状態の中で、子ども時代が長くなり、相当するライフステージの名称もあってもいいと考えるわけです。
もうひとつ気になるのは女性の場合です。これらのライフステージを考える対象が男性中心と思えることです。
元服は女性にも用いられたかもしれませんが、様子が違うように思います。女性も同じような傾向はあるのでしょうが、今一つイメージが合わない気がしています。
若者はともかく青年期の場合に典型的にイメージできるのは男性です。私の認識不足なのか、意見を聞きたいところです。