自殺率もひきこもりも日本社会の現実を反映
自殺率もひきこもりも日本社会の現実を反映
物理学や化学は、地球にとどまらず宇宙全体に通用します。しかし生物学はそうはいかないようで、私たちが知る生物学は地球生物学の域を超えることはありません。
地球に棲息する生物は地球環境に適したもので、ほかの天体で適用するかどうかは、限定できないからです。
似たようなこと(?)は医学に、少なくとも精神医学にもあると思います。精神医学は医学の1分野であり、人類に共通する原理あるいは作用がある、となっています。
しかし、それは民族性(国民性)やそれぞれの枠内の社会文化情況にも強く影響を受ける。もっとはっきりいえば日本型の精神医学や日本的な心理学が成立するのではないでしょうか。
河合隼雄さんがユングの精神医学を日本に導入するに当たって、日本的文化環境を考慮したという話はよく知られています。
それをもう一歩ふみこみ、経済社会の変動の影響を受けるとする見解を知ることができました。
岩波明『他人を非難してばかりいる人たち―バッシング、いじめ、ネット私刑(リンチ)』(幻冬舎新書.2015)からそこを引用します。
《日本における自殺率が世界の中で突出していることをふまえて、ジャーナリストは、「日本における自殺に、何か特徴的なものがありますか?」という質問をした。
これに対してその精神科医は、「自殺は自殺であって、どの国でも同じように起こるもので、日本人に特有なものなどない」と答えていた。
この「専門家」の答えは誤りであるだけでなく、偏見に基づいている。自殺のように、社会的な要因が大きい現象は、当然のことながら、純粋な科学的ファクターだけで説明できるものではない。
精神医学的な事象は、社会的な要因に重大な影響を受けることを考慮しなければ、正しい答えには行きつかないのである。
一言付け加えておくと、日本社会で自殺率が高率であったのは、マクロ経済の凋落という外的な要因に加えて、中高年の男性における雇用の不安定さが加速したことが関連しており、他国にはみられない状況が存在していたことが大きく影響していた
(本書のテーマからはずれるので、この問題には、これ以上深入りはしません)。
自殺の問題だけでなく、リアルな現実における社会病理現象を見てみると、日本が「特別」な国であることは明らかである。
良い点でも悪い点でも、特別なことが存在している。おそらくこのことは、前述したように、日本がアノミー化した無機質な国であることと関連している。
学校の問題で言えば、いじめや不登校が蔓延しているのは、他国も皆無ではないが、日本独特の現象である。
思春期から中高年に及ぶ引きこもりも重大である。
自殺の問題はいまだに見逃せないし、過労死や過労自殺は、他の先進国にはほとんど存在していない現象である
(良い点に関しては、文化的な内容になるが、それについては別に述べたい)》(161-162p).
岩波さんはここではこれ以上立ち入らない、としているのでやむをえませんが、私には適格な指摘であると思えます。
1990年代からとくに日本は自殺者の多い国になりました。一時は年間3万人を超える自殺者がおり、その後減少したとはいえ、なお自殺者が多いことには変わりはありません。
手元に資料がないですが、同じ時期にうつ状態およびうつ病の人が増えたことも確かです。ひきこもりが増えたのもほぼ同じ時期になるのです。
それ以外のさまざまな精神疾患あるいはさまざまな精神的動揺を示した人は多いのではないでしょうか。
最近はなりをひそめた感じですが境界性パーソナリティ障害もそう思います。発達障害や不登校の広がりも関係するでしょう。
共通の社会的文化的土台があり、そこにさらにそれぞれ固有の背景理由が加わって、さまざまな精神疾患、精神的動揺…が表われるのです。
岩波さんは「自殺率が高率であったのは、マクロ経済の凋落という外的な要因に加えて、中高年の男性における雇用の不安定さが加速したことが関連しており、他国にはみられない状況が存在していたことが大きく影響していた」と言います。
その通りで私がこの「ひきこもりパラドクス」シリーズを始めたのはそこが出発です。
「マクロ経済の凋落」は日本資本主義の行きづまり、企業の海外進出と国内産業の空洞化などを表わしています。
「雇用の不安定さが加速」とは、非正規雇用の爆発的ともいえる増大を示しています。
そしてこれらは、中高年の男性にかぎられなかった点は改めて指摘すべきだと思います。もっと下の世代の男女にも影響していますし、社会全体が「生きづらくなった」ことと関係しているのです。
ひきこもりの研究は日本的な精神医学につながるとさえ思います。