総武線車内で出会ったカメルーン人
総武線車内で出会ったカメルーン人
(2025年1月12日)
高田馬場から平井に戻るため、新宿で総武線に乗り換えました。
電車は混んでいましたが信濃町で前に座っていた男女が席を立ち空席になりました。
私の横に黒人が座り、彼も新宿から乗ってきたようです。
席に落ち着いてから左隣の彼に「どの国から来ました?」と聞くと「カメルーンから」と慣れた日本語で返してくれました。
頭の中に地図を広げて、「ヤウンデよりもドゥアラの方が発展していますね」と聞いてみました。
地理学上の話でどう答えるかはその人の社会への関心がうかがえるものです。
「そうです、ドゥアラが発展しています」と答えます。
「チャド湖の乾燥はすすんでいますか?」ときくと「砂漠化が続いているんです」。
「フラニ族はカメルーンにもいますか?」。
サハラ砂漠南側の西アフリカに広がる牛を遊牧する人でプール族ともいいます。
「日本の牛とは違い、歩きつづけるので牛はやせていて、牛肉はかたいですよ」。
よく知っていますし、私の知るよしもない事情も伝えてくれます。
話を変えました。「10年くらい前ですか、ナイジェリアとの国境を平和的に作定しましたよね」。
私はこの地域をニジェール川デルタ地域の一部と思っていたのですが、そうではなかったようで、「~地域ですね」と答えました。
この地名を私はうまく聞きとれませんでしたが、ニジェール川デルタ地域ではないことを正確に理解しています。
かれは祖国の事情を相当に理解していると見ました。
「カメルーンは平和ですか?」ときくと、現在の大統領は40年以上大統領だといいます。
周辺地域の中央アフリカ、チャド、ガボンなどを含めて旧フランス植民地は、「紙の上では独立していますが、いまも植民地です」と答えました。
「西アフリカではいくつかの国で紛争が起きていますね」。⇒「フランス植民地状態から抜け出るため、マリ、ブルキナ・ファソ、ニジェールでは民族主義的な動きが出ています」。
「西アフリカ経済共同体はどうですか?」。⇒「西欧の下請けですよ」。
「UA(アフリカ連盟)をどう思いますか?」。⇒「期待できません。ガタフィはがんばっていましたが、西側に暗殺されました」。
聞き違いではなくて彼はガタフィと何回か発言しました(カタフィではなく)。
もう少し突込んでみました。「ウクライナ戦争をどう思いますか?」⇒「プーチンは勝つでしょう」。
「ウクライナや西側は敗北すると?」⇒「アメリカは世界に800以上の軍事基地をもっているので、そのうち落ちていくでしょう」。
「私はロシアと中国は体制が崩れると思っていますので、あなたとは意見が違うようですね。日本はどうですか?」。
⇒「30年ほど前に日本に来ました。日本はずっと低迷しています。アメリカもドイツもそのうち停滞していくと思いますよ」。
「日本で30年、日本でどんなことをされていますか?」⇒「いまは病人などを運ぶ車のドライバーをしています」。
「日本はお世話になっているようですね。カメルーンに戻る予定は?」。⇒「大統領は80歳を超えているのでいずれ亡くなります。そのころ私が帰る意味があるかどうかわかりませんね」。
平井駅が近づき、私は下車の準備は始めました。
彼は次の新小岩まで行きます。右手を差し出してきました。肉厚の大きな手で、私の手はそれに比べると子どもの手みたいです。
彼の手をみて、2022年春に駐日モザンビク大使と握手した手を思い出しました。同じバンツー系黒人男性の大きな手です。
モザンビクは国益を守る立場からウクライナ、ロシア両国と国交を続ける中立、グローバルサウスの代表例です。
カメルーンの彼は、やはりグローバルサウスに属するがロシア寄りといえるでしょう。
平井駅で降りる前に「カメルーン人民同盟を知っていますか」と聞いてみました。「知っています」との答え。
モザンビクではモザンビク解放戦線は政権についています。カメルーン人民同盟は左派野党ですが両国とも選挙制度が機能していますので、野党も合法的に活動しています。
彼はカメルーン人民同盟に近いと思いますが、ロシア寄りということでしょう。
車中での30分に届かない時間で、要点だけを書きましたがいい話ができました。
日本に留学してきて(?)以来30年ほど住み続けていますが、日本での経験を生かし、祖国のために活動してほしいと思いました。