私が書く文章の特徴
私が書く文章の特徴
2023年
ビートルズ(The Beatles)の曲に「The Long and Winding Road」というのがあります。
Windingは「曲がりくねった」という意味のようです。
私の住む地域に、かつての川の流れの上に築かれた道があり、これがゆるく曲がっています。
地形(自然環境)に沿って川が緩く湾曲し、その形が今の道路になっています。これがwindingということでしょう。
対する言葉にstoryという語があります。これは直線を感じさせます。
最近、narativeという表現が注目されています。storyと似ていますが違います。
storyは直線的、というよりも筋書きに沿った報告、対するnarativeは“物語”です。
私はwinding を感じさせるnarativeが好きです。
私は多くの文章を書いてきました。いつからそうなったかはわかりませんが、気がつけばそうなっていました。
イタリア人ガリレオは「記録せよ」とくり返していたといいます。
不登校やひきこもりの当事者と関わるようになって以降の私なりにそれをたどったわけです。
その文章の多くは、はじめは意図していませんでしたが、narativeなものになりました。
文章の中に自分がオリジナルに体験したことを折り混ぜて書いていくと、そうなってしまいます。
いや必ずそうなるかどうかはわかりませんが、私のばあいはそうなりました。
たぶんこれは私の性格(気質)や好みのものが関与しているはずです。
別の事情もあります。間もなく78歳の誕生日を迎えます。
ここらあたりで、自分の文章がなぜこうなっているのかを考えてみるのも悪くはない、と考えているうちに、その1つの要因がこれであると気づいたのです。
私の性格や好み、特技に「早く書ける」というのもあります。20歳前後のころ、数人で話し合う場の会議録を作成しています。
自分自身の発言は記録し難い点がありますが、周囲にも自分にも重宝したものです。
この「早く書ける」の弱点は、字が乱雑になることです。字が乱雑であるのは小学校のころにはすでにそうでした。
中学時代に「ノート点検」をする教師がいて、私のノートの乱雑さをみてあきれていたのを思い出します。
この数年をふり返っても、私の手書きの文章をみて「読めませーん」とつき返されたことはよくあります。
編集者をしていた時期があり(当時はパソコンが十分に普及していなかった)、多くの人の直筆の原稿を受けとりました。
乱雑な文字の人もいるわけですが、どうにか読んでいました。当時の編集者には多いのではないでしょうか。
この「早く書ける」と「字が乱雑」がセットで1つの特徴といえるでしょう。これは取材とか聞き書きには有効です。
しかし集中のエネルギーがいるもので、最近はそのエネルギーが不足してきたと感じます。何か変わる予感はこれにも関係します。
「物語」になる別の理由は、編集者の時代に意識したことも関係します。
当時の編集長は、その雑誌の原稿を「報告やレポートではなく物語にするように」言いました。
特に教育実践記録は新聞報道記事よりも週刊誌的な物語が、読みやすい、わかりやすい、イメージしやすいと考えてのことです。
私はこの編集長は人間としてはあまり好きではなかったのですが、その物語的に書くことを推奨する面は評価しています。
その編集者(教育書)の時期に、私の気分と波長の合う原稿を書く教師がいろいろいました。
特に「生活綴り方」という教育実践をめざす教師たちがそうです。
子どもの姿、子どもの言葉や動きを描写することが多かったのです。この教師たちの書き方に学び、影響されたと思います。
これが私の文章をnarativeにするのを促進した面はあるでしょう。
私が編集者になったのは32歳のときです。
それまでの十余年間にものの考え方に一定の型ができていて、その表現方法が編集者時代に発展したととらえられます。
これが私には好運なことであったと思います。
主に20代に身につけたもののとらえ方の基本は、とくにエンゲルスの弁証法です。弁証法は基礎に論理学があります。
最大の特徴は事物は常に運動のなかにあり、しかも法則性があるという見方です。
それらを含めて弁証法は、ものを理解するしかた、認識論といえます。
量的な変化が質的な変化に変わる、対立物の相互浸透・合一、否定の否定、個別的なものは一般的である…これだけでは何も伝えられないですが。
ヘーゲルの示した正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)もそうでしょう。
アウフヘーベン(aufheben)という語で、揚棄とか止揚と訳されるものもこの中に入ります。
これらは弁証法の各側面を表わすのですが、弁証法に関していろいろ読みました。
ヘーゲル『哲学史序説』やH.ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』や、ロシア文学者ベリンスキー『1847年のロシア文学観』などを読みました。
これらのなかでエンゲルスの『フォイエルバッハ論』を特に挙げたいと思います。
私はエンゲルスの信奉者ではありますが、それをどれほど身につけているのかは保証の限りではありません。
社会問題についてはエンゲルスに『反デューリング論』という大著がありますが、読んだのはその中のいくつかの章を抜すいしてつくられた『空想から科学への社会主義の発展』です。
エンゲルスは研究途上になった『自然弁証法』というノートがありますが、これも読んだのは途中までです。
エンゲルスは、K.マルクスの遺した『資本論』第2部(資本の流通過程)、第3部(資本の総過程)の編纂を仕上げていますが、私はその部分を読んだのは資本論本体からではなく、解説書にすぎません。
レーニンは『哲学ノート』(これは彼の学習ノートを集めたもの)のどこかで、エンゲルスの弁証法の不十分さを一言指摘されているのを見た記憶があります。
エンゲルスは「生命とは蛋白質の存在のしかたである」——たぶん『自然弁証法』のなかで書いていたのでしょうが、私はそれを直接に見たことはありません。
しかし、20世紀後半以降、エンゲルスのこの生命論は基本的には肯定的に引用され、それぞれの時期の発展した科学の上の事実に即して繰り返されてきました。
この表現のしかた=分かった範囲で適切に表現するしかた、をめざした気がします。
このように私はエンゲルスのものの見方、とらえ方、考え方をめざしたと認めるのですが、いろいろな点で理解不足や力不足を認めています。
それでも私には、きわめて力強い認識のしかたが20代を通してできていたと思うのです。
具体的な事実(それ自体が存在の運動のなかにおかれる)を基に、論理(原因と結果の関係を含む)を展開し、全体を見るスタンスです。そこに完成はありません。
(短期的な固定はあるにしても)常に経過中のものとみるのです。
こうした見方、考え方に立って、30代の編集者の時代になり、自分なりの表現方法をつくりだそうとしました。
これらが私の気質や好みから考えてみた、narative(物語)な文章に至った経過です。
しかし、これとは別の現実的・環境条件の理由もあります。それは私が、体系的に一つの学問分野を身につける機会がなかったことも関係しています。
すなわち私は大学教育をほとんど受けていません。経済学部に入学したわけですが、そのどこかの断片をいくつか知ったにすぎません。
他の学問分野に至っては、さらにみすぼらしい状態でした。学んだことを体系的にまとめる方向に向かいませんでした。
心理学や福祉分野の資格制度はありますが、その全部は大学卒業を前提としています。
その資格に進む以前に大学資格が必要でした。
高校を卒業した後で、すぐに働き始め、夜間の大学に入学しましたが、結局それは中途半端以前のものになりました。
大学を卒業した人の多くは、学位をもっていたとしても、何かの分野でその分野の一通りを学んだという人は限られていると承知しています。
そう思い、大学に入り単位取得する道ではなく、自分に関心のある分野で、道を開こうとしたわけです。
19世紀のエンゲルスはそのようにしたと思います。
しかし、19世紀と20世紀後半以降では、それを承認する現場は大きく違いました。
こうして、おそらく私は50代の前(30年前)には「研究」の道は事実上放棄していました。
研究者の道が、論文発表を積み重ねる(同時に多くの人は、それを社会的に還元する道をあわせ持ちましたが)ことはなかったのです。
これはこの十余年の中で「一人ひとりをよく見る」というスタンスで追求してきたことです。
一昨年発行の『ひきこもり国語辞典』はその一つの成果です。
今はそれを超えて各人の個別の経験をさらに読み取っていこうと考えています。個人の内側の事情に入ります。
きわめて個人的なプライバシーに関することをやり取りします。
真剣勝負と言えます。発表はそのぶん制約されます。これが第1の目標になります。
しかし「研究」心はそれなりに続きました。
自分なりに確信したことを学術的な論文ではなく、エッセイ的なことに書き、社会的に還元する道を選びました。
初めからそう自覚したのではなく、いつの間にかそのようなものになっていた、と言えます。
この「研究」のテーマを絞ります。これまでは研究テーマは広く拡散しました。
それはさけられなかったのですが意図して1つのテーマを持ち込みます。
「社会的ひきこもりの起源」を次の目標にします。これが今後の目標の第2です。
私が選んだ(意識して追求しないうちに到達した)ものがもう1つあります。それは中学時代に始まる辞典づくりです。これが第3に当たります。
もちろん当初はそんな意識は全然なかったのですが、いろいろ類似物を集めてまとめる趣味(好み)が後の辞典づくりになったのです。
この十年にはこれが、明確なものになりました。パソコンの利用による「情報として集め、辞典として体系化する」ものです。
これは、私の「研究方法の内側に入れるものではなく「社会的に還元する道」としては有効性があると考えています。
エンゲルスの時代には予定できないことです。