福祉型カレッジ
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ページ名 福祉型カレッジ 福岡県那珂川市(発達障害の関係・福岡県)
◆story(2)お互いの優しさ、包まれて
広汎性発達障害は、人との社会的な相互関係を築くことが苦手であることや、やり取り(理解と表出)などコミュニケーションの難しさ、興味・関心の強さなどの特性があります。
自閉症、アスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥・多動性障害なども含まれ、特性の強弱や程度は、一人一人異なります。
◇村上由美(むらかみゆみ)さん
お母さん仲間や療育の先生などに支えられたことがきっかけで、今はペアレント・メンター(※)を目指して活動中です。
※ペアレント・メンター:自らも発達障がいのある子育てを経験し、相談支援に関する一定のトレーニングを受けた親のことです。
メンターは、同じような発達障がいのある子どもをもつ親に対して、共感的なサポートを行い、地域の支援情報を伝えることなどができます。
・模索した子育て
見た目ではその人がどんなことに困っているか分からず、誤解を受けやすいのが発達障がいです。
一人一人できることも、できないことも違います。
和哉は3歳の時に「広汎性発達障害」の診断を受けました。
発語が遅かったことがきっかけでいろいろな病院に診断を求めました。
診断を受けた時、自分はどうすればいいのか、どうやって育てていけばいいのか分からないという気持ちと不安や心配が襲ってきました。
その時、病院スタッフの方から「これから悩むことがたくさんあるけれど、必ず笑顔で過ごせる日がくる」と言われた言葉に支えられました。
子育てには正解がなく「これでいいのか」と悩みました。
常に不安で、いろいろな専門機関で話を聞いたり、障がいについて勉強したり、自分なりの子育てを模索していたことを思い出します。
・成長した喜び
当時の私は懸命でした。今だから言えることですが、もう少し肩の力を抜いてもよかったのかもと思います。
和哉の行動や言葉遣いが周りの人から褒められると、私の関わり方は間違いではなかったのかなとほっとします。
和哉の22歳の誕生日に「優しい子に育ってくれてありがとう」と伝えると「オカンが俺をそんな風に育ててくれたからだよ」と思いがけない言葉が。
そう思ってくれていたことに感謝の気持ちがあふれました。
また、自分の経験がペアレント・メンターの活動として活かせないかと迷っていると、「絶対できるよ」と背中を押してくれたのも和哉でした。
和哉が巣立つ日は確実に近づいてきています。
私も新しいステージに立つことができるよう、少しずつ準備をしているところです。
・感謝
私自身、日頃から思っている「人生で起こることには全て必ず意味がある」この言葉を、成人式を迎えた和哉に贈りました。
20年前の私には想像もつかないくらいステキな男性に育ってくれました。
私の子どもとして生まれてきてくれて本当に感謝しかありません。
和哉、ありがとう。
◇村上和哉(むらかみかずや)さん
現在、4年制の福祉型カレッジ(★)に通い、いま、就労に向けて勉強中の和哉さん。
初めての取材に緊張気味でしたが、最近はロボット製作をしていると作品を見せながら、将来のことを話してくれました。
★福祉型カレッジ:教養課程と専門課程が設けられ、社会に出て自己実現し、活躍する力をつけるための多機能型事業所。
自立訓練(生活訓練)事業と就労移行支援事業に取り組まれているため、企業への現場実習もあります。
・家族・先生・仲間の支えで
自分に障がいがあると理解したのは高校生の時です。
地域の中学校から、福岡県立の特別支援学校(高等部)に通ったことで、自分の障がいについて知り、一番悩んだ時期でした。
それまでは、「いじめ」を受けても「いじめ」と分からなくて、嫌な気持ちになり、相手も自分も大切にしたいのに、どうしていいか分からず、けんかもしました。
毎日、自分の何が悪いのかと悩み続け、人と関わることが怖くなりました。
しかし、中学校の時、特別支援学級の先生が「いろいろなことに挑戦してほしい」とさまざまな体験をさせてくれたことを今でも覚えています。
特別支援学校(高等部)の時は、家族や先生方、仲間、放課後等デイサービスの人など、たくさんのサポートのおかげで充実した時間を過ごすことができました。
・経験が自信に
福祉型カレッジは、障がいがあっても資格が取れることや、自分の夢が発見できるかもしれないと思い通い始めました。
たくさんの人に出会うことができ、夢中になれることがみつかり、将来働くことへの準備もできました。
2年前に成人式がありました。
久しぶりに同級生に会うことが正直、少し怖かったのですが、普通に話すことができました。
普通に話せたのは、福祉型カレッジに通い、プラス思考になれたからだと思っています。
・夢に向かって
一番の夢は、インフルエンサーとして活動することです。
「障がいがあっても夢や、やりたいことを諦めなくていい」と発信していきたいです。
インフルエンサーを目指すきっかけは、障がいのある人のSNS配信を知ったことです。
障がいがあってもなくても自分の思いや感じていることを、たくさんの人に伝えることができるSNSで、自分なりの新たな発見や気付きを伝えていきたいと思います。
そして、自分を育ててくれた街である那珂川市の魅力や福岡県民の誇りも発信していきたいなと思っています。
〔広報なかがわ 2024年12月号〕