社会的な弱者としてのひきこもり
社会的弱者としてひきこもりを見る
〔起〕
高校生のころ。隣町の中学校で後輩野球部が練習試合をするので呼びかけられて見に行きました。
帰りは近くの漁港から船が出るので乗せてもらいました。
十トン余りの小型漁船で、岩場が続く沿岸を波しぶきを上げて進みます。移り変わる見かけない風景にひきつけられ、頭は他に回りません。
20代の中ごろ。伊豆の三宅島で合宿研究会があり参加しました。
帰りは大型の客船で地平線が続く静かな海面をながめていました。
どこを進んでいるのか、どこに向かうのかは、全く船任せです。
ふり返ると人生はこれに似ています。乗っている船(世界)が今どこにいるのか、どこに向かっているのか気にもせず、周りの事態に追い回されているにすぎません。
何かに夢中の幼児とあまり違わないのです。
〔承〕
「50年代半ばまでの戦後復興を終えた日本経済は、60年代から70年代初めまでの間に急速に工業化を経験する。日本社会は…農村型社会から都市型社会に変貌を遂げた。…都市と農村の双方において共同体が崩壊した…」(p.16-17)。
武川正吾(編)『地域福祉計画——ガバナンス時代の社会福祉計画』(有斐閣、2005)の描く変化した時代こそ私が過ごし、生活を重ねていた時代でした。
このような社会の変化をどこかに感じていたはずです。
社会の土台も動いているとわかっていたはずですが、しかし日常生活に追われて過ぎてきたのです。
1990年代ごろからは日本は「ポスト工業化」の時代に入ったらしいです。 それまでと何が違うのか?
「日本の地域は、地域医療や地域福祉なしには、そもそも地域が成り立たない地点に立たされた。
教育中心のものから、福祉や医療を中心とするものへと変化している」(p.20)。
こう言われた2005年からすでに20年近く過ぎています。私が直面している現在はこれであるとつきつけられ、確認された気分です。
「ポスト工業化」の時代は、工業の発達で獲得した経済的豊かさをひきつぎ、国民が直面する生活課題に対応することが可能になったとも言えるでしょう。
国民主権が保障されているのですから国民の要望に即して対応することが可能になっているはずです。
『地域福祉計画』では、この状況に必要な制度的な対応策、すなわち福祉の対象である老人(高齢者)、障害者、児童育成(子育て)の3分野を中心に多くが策定されてきたといいます。
そう言われてようやくそうだったのか思い返す始末です。
この『地域福祉計画』の発行から20年近くの間にも進展があります。
私が気づく範囲でも高校教育学費の実質無料化(2010年)、生活困窮者自立支援法(2015年)や義務教育の教育機会確保法(2017年)などがそれです。
まさに自分の生きた時代をよく理解せず、どこに向かうのかもよくわかっていなかったと思わずにおれない気持ちです。
〔転〕
そんな中で自分としていちばん関わってきた「ひきこもり」はどうなのでしょうか?
90年代に明るみになった社会問題です。
記憶のなかにはいくつかの取り組みと、制度的な枠組みができていました。
これは確かに生活困窮者自立支援法の片隅に含まれていますが、制度面ではこれというものは見当たりません。
昨年11月にひきこもりKHJ家族会連合会が「ひきこもり基本法」の制定を呼びかけました。
法制度づくりの動きは特にはなさそうです。
〔結〕
それよりも私の手元のこととして気になるのは「ひきこもり」は高齢者、障害者、子育てのどれに分類されるのでしょうか?
私が関わるひきこもり(経験者)の様子から考えると、3分野の他に新たに「社会的弱者」なる分類がいるのではないでしょうか。
失業者というよりは成長期にうけた経験により心身に課題を抱えたまま「働くに働けない人」=職に就き難い人たちです。
生活困窮者というよりは、生活保護で生活を続けている人、生活の頼りにしている親を亡くしたらどうなるのか見当がつかない人たちです。
国民として権利をもちながら放置され、信頼できる人がおらず、自ら行政機関等に相談に行くのが難しい人たちです。
社会的弱者の全部がこのような状態にいるとは思いませんが(シングルマザー、災害の被災者、外国人などの一部を想定)、せめて「ひきこもり基本法」にはここに目を向けてほしいと願います。
失敗談! 11月の親の会の日を間違えてしまい、欠席しました。
第3土曜日で何となく20日頃と記憶していたので、「アッしまった!」です。
次回は12月21日です。年末ですが、皆さんの参加を待っています。(松)