社会参加に向かう足元を確かめる4つの言葉
社会参加に向かう足元を確かめる4つの言葉
ある日「ちょっと相談があるのですが…」とNくんが声をかけてきました。
21~22歳の真面目なタイプの青年です。
父と母と妹がいましたが、いずれも働くことができず、一家の中でひきこもりでありながら特に病気をしていない彼が働くしかないというのです。
自治体のひきこもり支援はほとんどなく、ひきこもりであることが生活保護に結びつく関係は、まだ認められていない頃のことです。
「自分は不登校で中卒で、ひきこもりだったからまともに働ける場所がなかった。
学歴・職歴を問わないソープランドの受付という募集が張り出されていた。
思いきってそこに行ったら働きに来るように言われている。
しかし迷っている…」というのが、Nくんの相談でした。
私はかなり迷いました。
その前後には「パチンコで“勝ち”が多いので、これも仕事にできるかもしれない」という人。
「占い師ならできるかも知れない」という人もいました。
これらに対して私のスタンスもまだ基準がはっきりしていない時期だったのです。
それらに対し、私はあまり明確な答えはできなかったのですが(そしていずれも実際にはその道には進みませんでしたが)、Nくんのばあいは生活が窮している違いがありました。
私はNくんに「やってみるのもいい」という意味の答えをしました。
実際どういう会話になったのかは思い出せませんが、やめるようにはすすめなかったことは確かです。
このことがあってから、ひきこもりからの社会参加の方向を別の視点でも考え始めました。
それまでは漠然としたものですがこう考えていたはずです。
人と関係する力をつけ、好きなことを生かし知識や技術を身につけ、仕事に就けるようにする。
手っ取り早くハローワークに行くとか、仕事の情報誌を見て探す。
そういう単純なことで何とかなるとは思ってはいなかったのですが、それが世のおおかたが考えていたひきこもりからの社会参加の道でした。
私もそれに近かったのかもしれないです。
私の考え方で大方の基準と違うのは人との関係づくりの過程が大きな位置を占めていたのです。
これが間違いではあるとは思いませんが、Nくんの場合も含めて、いつでも、どういう状態であっても、誰に対しても最善とは言えないし、通用するわけではなかったのです。
Nくんの話に対してどう説明がつくのかを考え、自分なりの基準をもちたかったのです。
私はひきこもりの人と関わる前から、進路指導相談員を自称し、「職業に貴賤なし」というのを1つのモットーにしていました。
Nくんの話はこれとは矛盾しないわけですが、しかし心の準備として何か不足も感じたのです。
ひきこもりに関する悩みの相談という部類では、「犯罪と自殺以外なら容認できる」というのもいわば口癖のように言っていました。
この言葉も何かのきっかけはあったはずですが、その経過はよく思い出せません。
Nくんの話は、これとも矛盾しないわけです。
Bくんの家族が分散・崩壊し、Bくんには生活的にも精神的にも行き場がなくなったとき、生活保護をすすめました。
彼は前にはそれだけは何としても避けたい、と言っていたのですが、事態は切迫し万策尽きた形で「人生ゲームオーバー」を口にしました。
私はある人を紹介し、彼は生活保護を受けることになりました。
私はそのとき「ピンチはチャンス(になりうる)」…ピンチは発想を変えてモノごとを受けとめるチャンスにもなる、と思ったものです。
そのあとBくんは紹介した人の力も借りて生活保護を受け、生活条件を確立しようと努めてきました。
他にも数人に生活保護を勧め、手続きに同行をした人もいます。
Pくんが話しているなかで「とにかく自分はダメだ、世の中にはついていけない」的な話をしていました。
「何かができるようになっても世の中はその時点ですでに先に行っている。とても追いつけない」というわけです。
こういう場合、私は議論をして彼を説得する気にはなりません。
Pくんの考え方が正しいとは思いませんが、彼なりの経験があります。
それはそれとして大事に思うのです。
彼のもつ隠された可能性に期待するのです。
それに気づき、どう進むのかは彼の課題です。
私は彼のいうのを側で聞いていくスタンスを取ることにしました。
問題は私のなかでの受けとめ方、気持ちの整理の仕方です。
そのころ読んでいた本の中に、聖徳太子の言葉といわれる「われ賢者ならず、かれ愚者ならず、凡夫のみ」というのがありました。
Pくんに直接にそれで答えたわけではないけれども、この言葉もまた、私の基準語の1つになりました。
かなりの時間をかけて思いつき、受け入れてきたこの4つの言葉を、いまでは基準にしていると思います。
(1) 職業に貴賤なし。ただ心ゆたかな者と心まずしき者がいるのみ。
(2) 犯罪と自殺以外は容認の範囲。
(3) ピンチはチャンス。ピンチは発想を変え考え直す機会。
(4) われ賢者ならず、かれ愚者ならず、凡夫のみ。
これは生活等の環境に特別の制約がない人たちが持ちやすい、明るい未来を開く前進とは別のものです。
困難を持つ人が現実の状態のなかで自分なりに進んでいくもので、足元を確かめる基準になっています。
最低賃金は平均賃金ではないのに特別の重要性を持っています。
同じようにこの4つの言葉は社会参加を考えるときの基盤であり、特別の重要性を持っていると考えるのです。
このなかではとくに(1) の「職業に貴賤なし」が重要です。
そうは思いますが、少なくともこの4つの基準の1つに合致し、残りの言葉と矛盾することのないもの、そういう気持ちで見ます。
自分の進路を考えるときには、上ばかり見ないで足元に大切なものがあるという私の経験から得た基準です。