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母親の忍耐、父親の誠意

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母親の忍耐、父親の誠意―2004年7月21日の手紙

この前の手紙の内容にとらわれずに、改めとその続きを書きます。
たしか4月の親の会のときだったと思います。はじめに私が短い講演をしました。
この時の親の会は2つの親の会が合流するものだったので、少しセレモニーめいたことを求められたのです。
それで私が話をすることになったのです。
そのとき正式にはどういう題名で話したのかは記憶にありません。
ただHさんが「愛を語るのですね」といっていたのを思い出します。
たしかに「愛について語った」ように思います。
愛とは何でしょうか。それはどういう形で表現し、どういう形で伝わるのでしょうか。
これについてその場で詳しく話したわけではありません。
でもここで要点を言えば、それは一つの生命体(動物または人間として)、個体保存、集団(種)保存という最も基本的な本能と結びついたものだということです。
まず人間として生まれた時点だ完全な保護を必要とし、完全な保護を求めます。
これは完全な受け身の愛を経験することになります。
そのとき親は、新しい命に対して完全な与える(だけの)愛を提供します。
まず親と子(特に母と子)の間で完全に与える愛と完全に与えられる愛があります。
これは生まれた子どもに、母(親)の愛を通して人間への安心感、原初的な(primitive)信頼感をもたらします。
これがあってこそ、子どもは成長していく土台を確保することになります。
この出発につづいて、子どもは成長し、学齢期を迎えるころには、子ども同士の愛情、友情に向かいます。
「向かいます」というのは、すべての子ども同士の関係が友情レベルに到達するわけではないことによります。
むしろ友情レベルに到達することは少なくて、一般的な子ども同士の人間関係を形づくります。
しかし、前の母と子の間での原初的な信頼感がない子どもには、この友達同士における人間関係が不安定で動揺的なものに感じます。
「自分は人間関係が苦手だ」と意識する人もこのような人の中では珍しいことではありません。
ともかく友達関係として安定した子どもの間、友情を感じあう子どもの間では、その感情(愛を含む)は、お互いのものであって、一方が他方に一方的に与え、与えられるものではありません。
しかし、それは単純な利害関係ではありません。
むしろ利害関係が発生する以前の純粋な人と人との関係として、かなり長期に(人によっては一生涯)友情や友達関係として続くものです。
言いかえますと、生まれたての子どもは一方的に受け身の愛情の中で育ちましたが、それが同世代の友達の間では相互的な、受け身であるとともに与える愛を育てます。
この相互的な愛は、親子の間、兄弟の間、家族の間にも広がります。
親に対して子どもが与える愛が生まれていくのです。
子どもが成長し年ごろになれば男女間の愛になっていくものです。
これらはすべて、親子、特に母と子の間の一方的な愛がスタートになっているのです。
私が経験している引きこもりの人たちの間では、実はこの人生の最初の幼児、幼児期における母と子の愛情がどこか不十分である点にかなり強い共通性がみられます。
実は親の会の講演では、これらのことを前提にして、「愛はどう表現され、どう広がっていくのか」という現実的なところに的を当てて話したのです。

さて「愛はどう表現され、どう広がっていくのでしょうか」、と話を進めたいのですが、実は“愛”がわからないのです。
特に男性はわからない気がします。
少なくとも私には抽象的な“愛”が語られても、それを実感できない気がします。
女性はどうでしょうか。
親の会の主流であるお母さん方にはそれでピンとくるものでしょうか。
私にはあまりいい予測はできません。
案外わからないかもしれない、と思っています。
愛とはどう表現されるのか―これに関して「抱擁」というのがいいと思います。
愛、愛しいと思う感情は“抱きしめる”行為に表れるのが最も基本的なものだと思います。
たぶん感覚的にこの言い方には多くの人が納得できると思います。
その一方で、“それだけか、もっと深いものがあるのではないか、もっと違った表現があるのではないか”と感じる人もいると思います。
それでも大多数の人が愛の表現は「抱きしめる」ことにある点についてはとりあえず同意するはずです。
それ以外の表現としては、お金や物を渡すこと、何か正しいことや具体的な行動方法を指し示すことを愛情表現とする人もいます。
これを否定することはできません。
ただこれは「抱きしめる」という表現があったうえでのことであって、それなくして、お金や物や行動指針の提示があっても、それは愛情表現としてはいろいろな問題を持ち込んでしまうと思います。
その極論は「愛よりも金(かね)」となるわけで、これは愛の不在の証明のように、子ども側には感じとられるように思います。

女性側に“愛”はよく理解され、男性側には“愛”はよく理解されづらい、と書きました。
とくに親と子の関係では、この傾向は強いのではないかと思います。
親子(または家族)のなかでは、愛は空気のように意識され難いものになっていると思います。
家族内で愛を表現すること、愛を口にすることは、それがあまりにも近い人間関係のなかでは不自然で、テレる行為です。
要するにそのような精神的文化構造が日本人のなかには強くあると思います。
特に男性においては顕著だと思います。
愛=抱擁とするとき、そこに男女間の愛の表現を感じ、親子間の愛の表現をそれに比べて下位に感じることがある気がします。
もちろんこれは個人差によるものですが…。
こういう事情から(といってもこの事情を講演の場で詳しく話したわけではありません)、私は父親にとって愛とは“誠意”だ、と話しました。
この言い方の方が、愛は抱擁である、というよりも父親のにはより理解され、また受け入れやすい形であり、大筋において間違ってはいないと思ったからです。
しかし、母親には、愛とは“忍耐”だと話した方がいいのかもしれません。
私のイメージするところでは、誠意と忍耐は、一つのことの両面を指すことになります。
同一のことを男性向きと女性向きに伝えたつもりです。
私は前に、愛とは「抱擁」であり、いまここでは愛とは「誠意」であり「忍耐」であると書きました。
国語的な意味でそれらが同じだというわけではありません。
不登校(および引きこもり)の子どもの問題に実践的に関わる立場からいうと、そのように理解した方がいいと思うのです。

前に「Kgのおばちゃん」Oyさんが来てすばらしい話をしました。
自分と母の関係で、一方的で身勝手な感じの母に子どもの自分はとても苦しんだ。
いまでも会うと苦痛になる。
でも子どものころは、それは自分に何か問題があるからそう感じていた、自分の何かを直さなくてはならないと考えつづけた…という話。
その母との関係から逃れる感じで27歳のとき結婚し、すぐに子どもができた。
自分と母の事情を考えてOyさんは自分の子どもには辛抱づよく(忍耐)かかわっていった。
幼児のころは片時もOyさんの元を離れず、それにつき合うのは苦しかったけれども、そこをさけないで子どもに関わりつづけた。
小学校に入学するころから急に子どもはOyさんから離れ、子ども同士の世界に入り、「関わる」面でらくになった。
その子どもが18歳になったころ、Oyさんに向かってお母さんとおばあちゃんの関係について「私にはとてもできないけれどもお母さんはよくがんばっている」主旨のことを言った。
その言葉を聞いたとき、Oyさんは「よかった、とても楽になった」感じがしたこと…。
私はこのOyさんの子どもの幼児期の対応のしかたが「忍耐」だと思います。
愛=忍耐なのです。
自分の幼児期に、このような「抱擁」体験が少ない人には、このような行動は自然に発生するものではないようです。
意図的に、学習したことを背景にした行動になると思います。
それは「忍耐」という言葉で表すのがぴったりするのではないかと思います。
Oyさんの行動の内容は、子どもが小さいときは、愛は「抱擁」であり、それが皮膚接触(スキンシップ)中心であったと思います。
それが「愛=忍耐=抱擁」ということに一致します。
しかし、子どもが大きくなった時点では、接触はそれほどうまくできる条件は少なくなります。
とくに母親にとっては「愛=忍耐」というのはここではっきりするのです。
父親はどうでしょうか。
父性は女性との対比において、一般には「忍耐」でとてもかないません。
そこには生物学的な事情もあると思いますが、さらに社会的な事情も加わります。
父親は家族内の関係にもまして家族外との関係に時間を費やさなくてはならない条件が一般に高いのです。
その家族内の関係において最大限のできることをする、社会的な役割として身につけているものを発揮することがより適切なことではないかとおもいます。
私は父親のそれを「誠意」という言葉で表そうと考えました。
父親にとって「愛=誠意」とはそのように考えられたものです。
とはいっても父親にとって「愛=抱擁」という要素がなくなるわけではありません。
それが不自然でなければ(父と子の関係における日本人の心理的文化的伝統は難しい⁈)、抱擁はもとよりさまざまな皮膚接触的な試みは意図的に求められていったものだと思います。

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