核家族・ニューファミリーの時代
単世代核家族・ニューファミリー
1960年代の高度経済成長期に強まった国内の人口大移動により、家族の様子は核家族複合型の減少だけではなく、多くの影響がありました。個々の家族のもついろいろな機能が低下または変化したのです。家族の機能は徳野貞雄『農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ』によれば生産共同機能、消費共同機能、性的快楽充足機能、生殖と養育機能、生活拡充機能、精神的安定機能の6つの面があるといいます。これらが変化していきました。 「家族という限られたメンバーの中で、…生産から消費、そして性的欲求充足から生活拡充までの機能をお互いに補充し合うと、メンバー間に強い絆と安心感をもたらします。それが第六番目の精神的安定機能と言われるものです。…しかし、逆から言えば、家族の愛、すなわち精神的安定機能は、独立しては成立し得ず、他の無数の家族機能が働いている所にしか成立できないものです。…こうした包括的な機能を備えた家族をベースにして、移動せず農業を中心に営んできた人々の人間関係や社会集団は、すごく強くて安定していました。逆に強すぎて自由がないという不満もありました」(徳野貞雄・前掲書、124p)
核家族複合型を含む家族が分離し、小規模な核家族化が進みました。しかも周辺地域に親戚縁者も少ない状態です。この変化は全体の世帯数や家族数で示すことができます。1955年の日本の単独世帯は3.4%、平均世帯家族数は4.99人、家族数7~8人のところが多くありました。2000年の国勢調査では、一人暮らし世帯が25.6%、夫婦のみの二人暮らし世帯が19.4%です(徳野貞雄・前掲書、78-82p)。 大規模家族の中で不自由さを感じていた人は核家族の中で自由を獲得しました。他方では家族の小規模化は子どもの養育機能や高齢者が増える中での介護機能を低下させました。家族の構成員が少なくなり子育てが母親の肩に重くのしかかります。これはその後の孤立する母親の子育て環境に表面化し、乳幼児への虐待が増える背景になっています。 1980年前後と思いますが、“子育て本”のブームがありました。母親の身近に子育ての知恵を借り、手を借りる人がいなくて、子育て本を見本にするしかないのです。多くの子育て本は画一化を避け子どもの個性重視の柔軟さを訴えていたはずですが、活字の力ではそううまくは行きません。現在は子育て本の役割がなくなったのではなく、日常になっているのです。子育て支援は全国の自治体が取り組む重要な課題になっています。 家族の小規模化=世帯構成員の減少は別の影響もあります。ご飯を毎日炊く家が減少し、米の消費が減っていきました。米の消費量が下がったことはいくつかの理由があり、家族構成員の減少はその1つです。これは家族が食卓を囲む場面がなくなっていく背景です。 また、高齢化した親の介護をどうするのかが特別の課題に浮上してきました。高齢者の介護は以前からあったのですが、それが家族内の特定の人(結局は主に女性である嫁や娘)に負担させる形に納まった状態を浮き上がらせたとも言えます。介護保険制度(2000年)ができましたが、それで介護に必要な全体をカバーすることはできません。子どもが介護にかなり長く関わらざるを得ない状況はヤングケアラーとして浮上しています。この人たちの中にひきこもり状況に近い人が生まれています。 〇障害者の姉:「自分でからだを動かせない障害のある姉がいます。私も子どものころから姉の介護の手伝いに追われて気づけばひきこもりと似ています。この生活に疲れ、ついに家を出ました。これまで働いたことはなく、社会経験も少なくて働けません。預金も尽き果てて生活保護を申請しました」
このような多世代型集合家族から単独の核家族=単世代ニューファミリー中心に変わってきた時期に、不登校やひきこもりの子どもが増えてきたのです。もちろんこの状況証拠だけで両者の相互関係を実証することにはなりませんが、予感するには十分ではないでしょうか。
私が関わったひきこもりの経験者には、この家制度・家族の中での状況が影響していた人は少なくはありません。絶対権威的な父親と過干渉的な母親が代表的ですが、さまざまな様子があります。しかし、個々の事例を除いて考えるなら社会的なひきこもりの主要原因とできるかどうかは別です。要因の1つではあります。 カウンセリング等で家族療法をはじめ、これに関係するいろいろな方法が採られているのは十分に理解できます。母乳哺育の勧めなどもそれに入るのではないでしょうか。 このような家族構成の変化はいくつかの事情が重なり、直接的なものだけではなく、複雑な経路を通って影響していきました。それらがひきこもりとどう結びつくのかは一直線には行きませんが、背景事情とみられます 私はひきこもり当事者側から、彼ら彼女らの悩みや抱える困難として家族間の状況を頻繁に聞きました。ここでも『ひきこもり国語辞典』からいくつかを抜き出して紹介しましょう。 〇 不穏:「父親が家にいるとそれだけで何かが起こりそうで気持ちが落ち着きません。無言の圧力、存在の圧迫感がどこからともなくじわりと漂ってきます。顔を合わせないようにしているのですが、からだにしみ込んだ記憶がよみがえり、ひとりでに気持ちが不穏におびえます」 〇 見せかけ元気:「子どものころから親の口癖は「いつも元気で健康に」でした。倒れるくらい体調が悪いこともありますが、そんな姿を見せたら怒られます。帰るときは家から離れたところのベンチで呼吸を整え、表情を確かめてから玄関に入ります」
家族が単世代小規模になった。家族がバラバラであることを越して、内部が険悪であり、もはや家族の態をなしていない。家族構成員の個々の人格の肯定が低い状態での大家族は家族内の弱者のしわ寄せが行きました。それでも緩衝役になる人も表われる可能性はあったのです。夫婦と子どもだけの核家族ではこのような状況は切迫したものになります。DV・子どもへの虐待の背景の重要な要素です。そういう場合は回復に多くの労力を要しますし、離婚に進む解決策もあります。 離婚は増えていますし、その原因のすべてがこのような事情とは思えませんが、そういう場合があるのです。離婚が増えていることは、子育てと家事負担に関係することでの夫婦間のトラブルが生まれやすくなっている家族の機能の低下と女性の自立傾向の高まりの両方が関係するでしょう。離婚によってシングルマザー、シングルファザーが増え、子どもがいる場合もあります。今日の生活困窮者の中では特にシングルマザー家族の割合は大きいことが知られています。 ここに復古的な家制度・家族制度を守るように主張する人がいます。そこにどんな具体的な解決策があるのでしょうか。かつての忍従を促す時代ではありません。現実の困難を解決することなく存続を図るのは、社会的な土台が変わってきている現実とは合いません。制度から生まれる困難や制度をめぐる闘いは続かざるを得ません。しかし、時代の推移は動かし難いでしょう。
家族の現状と意見はこのようにいろんな背景や理由を持っています。例えば次の事例は個人レベルのことです。そういう課題を超える条件が社会的に広がればなんとかなりそうな気もしています。 〇 巣をつくる:「ぼくは、自分の好きなことを職業や働き方に生かすのが将来の生活基盤づくりになると思ってきました(うまくいっているかは別ですが)。ひきこもり気味の彼女がいて、言い分を聞くと巣をつくりたいのではないかと感じます。家庭という生活拠点づくりですね。ぼくの生活基盤づくりと彼女の生活拠点づくりは似ているようですが何かが違います。というか彼女の話を聞くうちにぼくは生活基盤づくりを考えていたとわかりました。両方の合算が正解になると思います」=これはひきこもり当事者のものという基準に合わないので『ひきこもり国語辞典』には入れていません。 〇 超えられない:「自分と合いそうな女性がいます。個人的に付き合うとなるとどうしても先を考えます。「ともに苦労するのが結婚」ともいいますが、その人と付き合う方向に進めませんでした。何か超えられないです」