書評『マイペースがいちばん』
書評『マイペースがいちばん』
若林実(1998年12月,掲載紙不明)
自分の思いを知ってと自著を出版
今までの連載で、登場していただいた方はプライバシーもあり、本名はもちろん、細かい点では少し脚色させていただきましたが、今回はご本人の承諾を得て本名で書いていきたいと思います。
横浜にお住まいの三須かほりさんは、現在、高校を中退したままです。
まさに不登校現在進行形の人ですが、自分の思いをできるだけ多くの人に知ってもらいたくて今年6月桐書房という出版社から「マイペースがいちばん」という本を出しました。
昨年、台風の襲来におびえながら、教職員主催の不登校の勉強会に出席したとき、そこで彼女は理路整然と不登校児の気持ちを述べ、出席者に感銘を与えました。
私が彼女の年齢のときは、教室で発表するときも声が震えてしまう極端な「あがり症」でしたので、年輩の人々に向かって堂々と話ができる彼女に感心しました。
その彼女が、180ページ近い本を書き、一冊を私にプレゼントしてくれたのです。
これまた、私がその年齢の時は本など書く能力も時間もなかったわけですから完全に脱帽してしまいます。
三須さんが、このようなエネルギーを発揮できたのは、やはり温かいご両親の支えがあったからだと思います。
しかし、三須さんのご両親も、初めから、かほりさんの行為を全面的に認めていたわけではありません。
そのあたりの両親との感情のずれについても、この本はよく書かれています。
ほとんどの親は、わが子のため、ということで、さまざまな助言や支援をしますが、それがかえってお子さんの負担になってしまうことが、かほりさんの文章からよく伝わってくるのです。
自分の子育てについても反省させられる思いがしました。
私の「エジソンも不登校児だった」(ちくま文庫)の解説文で奥地圭子(東京シューレ主宰)さんは、私が子どもの言葉を大人に伝える通訳であるとの過分の評を書いて下さいましたが、まだまだ子どもたちの気持ちを誤認してしまう場合もあるようです。
三須さんの本は、それこそ通訳なしで直接読む人に訴えるわけですから、大人はそれにきちっと答える必要があるでしょう。
いざ、わが子の場合……寛大に受けとめる親の心が
不登校に関して、かなりの理解をされていたお母さんは、あちらこちらの相談所や医療機関を走り回るようなことはそれていませんが、それ以外は、やはり不登校児の家庭がたどる経過を経験されていますので、彼女の本を読まれる方は大いに参考になると思います。
不登校状態のときには「登校刺激」をしてはいけないというのが、ほぼ常識になっていますが、その理屈は分かっていても、いざわが子がその立場になると、それを自信を持って実行できる親御さんは極めて少ないようです。
かほりさんはその点について、「私が学校に行きしぶったり、休んだりすることを責めたり、無理やり行かせようとすることもなく、むしろ寛大に私を受け止めてくれるような態度が、幸いにも私の心を開かせやすくしてくれたのだ、と思います」と書けるなど、本当に幸いでした。
しかし、「行かないなんて道を選んだら、将来は絶望的だと、ここで逃げたら最低価値の人間になってしまうと思い」、中学に通い続けるのです。
この思いは、現代日本の社会が、子どもたちに絶えず強迫し続けていた考え方で、無意識的なマインドコントロールといってもよいでしょう。
子どもたち自身が、こうしたマインドコントロールによって自分自身を追い込んでしまっているのです。
極端な場合は、こうした考えで死へ追い込まれることもあります。
不安の中から自分で“力„を獲得
三須さんが本名で、この本を出すことに、お父さんは反対だったようです。
しかし本人は、別に悪いこともしていないのに親からもらった名前を変える必要があるのかと、その反対をしりぞけています。
不登校児は悪い子、そういう子を育てた親は失格者。このような偏見がまだまだ世の中には強いようです。
台風のさなかの研修会での発表力、そして、この本に見られる文章力などは、いま現在高校や大学へ通学している生徒や学生の平均をはるかに上回るものです。
これも、中学生頃から不登校状態になり、さまざまな不安の中から、自分で一つずつ獲得していったものなのです。
むしろ、不登校をしたからこそ、このような力がついたとも言えるのではないでしょうか。
数学や国語で百点を取ることよりも、ある意味では、本当の学力がついていると言えます。
よく学校へ行っていないと学力が落ちると心配されますが、本当の学力とは何なのでしょうか。
一夜漬けで、たとえ試験で良い成績を取ったとしても、その翌日にはそれらをすっかり忘れてしまっていることは誰にでも経験があることでしょう。
また、この本の特長は「学校は行かなかったけど、今はこうして立派に自立している」といったサクセス物語ではないことです。
「世間では、大企業就職のために、幼い頃から受験をしたりして備えていますが、人生にはいつ何が起きるか分からないものなのです。
安心したくて安定を求める気持ちがあるのは、人間にとって当然のことかもしれない。
しかし、人生において保証というものは、どうしたって得られないものなのです」と三須さんは書いています。
彼女は今、どこにも所属していません。
三須さんにそう言われてみれば、将来を保証されている人は、どこにもいないことを教えられます。
不登校児の将来を絶望的に考えて、悲嘆の底に沈んでしまう親御さんがよくいますが、私にしてみれば、そのお子さんより、私自身の老後の方が、経済的、肉体的、精神的、その他、いろいろと不安にかられてしまいます。
子どもには、三須さんも書いているように、「まだ18歳、世の中、人生80年ですから、20でようやく4分の1」というだけの余裕があります。
私なら、「もう60歳。世の中人生80年ですから、もうあと4分の1しか残っていません」ということになってしまいます。
わが子の不登校とどう向き合ってよいか分からない親御さんたちは、ぜひこの本を読んでいただき、彼女のエネルギーを分けてもらってください。
わかばやし・みのる
1937年横浜生まれ。横浜市立大学医学部大学院修了後、国際親善総合病院(横浜市泉区)小児科医長として勤務、現在に至る。
著書に『エジソンも不登校児だった』(筑摩書房)、『アインシュタインも学校嫌いだった』(同)など