支配的依存から物理的に離れるーひきこもり支援策の改善(3)
支配的依存から物理的に離れる
ーひきこもり支援策の改善(3)
ひきこもりの親の会にときたま姿を見せるお父さんがいました。その人に誘われ自宅を訪ねました。
夕方のその時間は、家族3人は食事のため外出し家には誰もいません。その時間に私を誘ったのです。
そのお父さんは別住まいです。残る3人はひきこもっている30代の息子が支配し、姉と母はその指示の下で生活しています。
家はゴミ屋敷でした。玄関を入ると廊下(通路)には新聞等が重なり、靴のまま入り、その上を歩くとふわふわした状態です。
台所には物が積み重なり、食事づくりはできません。毎日の夕食が外食になるのはそのためです。
ゴミ屋敷状態を別に住む父親が保健所に連絡するなど対応を考えましたが結局すすみません。
ひきこもる息子と母との依存関係は、支配関係にすすんだのです。
家族の共依存は支配関係にすすみやすいもので、ここまで進むと打開はさらに難しくなります。
父親が別住まいにしたのは危なく感じたためです。
同じ別住まいでも、子どもの依存が恒常的な支配にすすむ前に動いたと思える家族もいます。
そこでも親が自宅を離れました。ある日、ひきこもる息子の様子に危険を感じ、かねて用意していた少し離れた地域の借りているアパートに夫妻で移りました。
そのための準備は少し前から始めています。アパートを借りる、息子への定期的な小遣いを預金にふり込む、通信販売を利用する形にするなどです。
夫妻が移った後はときどき自宅を外から見ているといいます。
同じように、自宅を離れた夫妻がいます。
子どもはときどき医療機関に行くなど外出もするので、いったん自宅を離れた後は自宅に近づきません。
定期的に生活費を送金しています。
この親が家を離れた人のばあいの結末はどうなるのか。
長い時間を要するようでなかなか結論はでません。
家に残された一人が外部の人との接触を欠いたまま、独力で何かできるようになるのかは大きな不安があります。
自宅から外出できる人、外出が困難な人のばあい、日常生活の処理能力、などいろいろな条件が重なります。同じ方程式では推測できません。
さらにこういう例もあります。
田舎から上京して一人住まいになった息子がいる。だんだん親との関係が途切れ上京して3年あたりからは定期的な送金するだけになりました。
家に戻ることもないし、なんの便りもなくなったのです。
「便りがないのはよい便り」とはいいますが、母の体調が悪くて入院した、今月の送金は少し遅れるなどの連絡をしてもうんともすんとも返事がありません。
たまりかねて父が上京して、そのアパートを訪ねますが、留守です。
時間帯をかえ、朝、昼、夜と訪ねるのを数日くり返します。
数日後のやっと夜に灯がついたので住んでいる(生きている)ことはわかりました。
しかしドアをたたいても誰もいないかのように応答はありません。
この人のばあいはどうであったのかは、それ以上はわかりません。
親(家族)とは送金を受けながら他は完全に切り離された状態で自分の生活を確立している。これがよく考えれば(?)のばあいです。
悪く考えればどうなるのか。想像できないですが、生きているのを確かめられればよしとするのでしょうか(?)。
これらを紹介するのは、親とは断絶になっている人も確実にいると思えるからです。
これを一方的に「悪い例」と決めてかかる理由はないかもしれません。
これも家庭内での暴力事件を避ける方法になる、もしかしたら子どもの側から親との関係を断っていく方法かもしれません。