感情・気持ちの表現としての『ひきこもり国語辞典』
感情・気持ちの表現としての『ひきこもり国語辞典』
しかし、この自己防衛のほとんどは自己弁護的ではありません。
ひきこもり当事者の言動は、自己防衛が重なりますが、自己弁護を目的のものとは言えません。
自己防衛のほかにも、感情や気持ちの表現として、怒り、劣等感、悲壮感、不安感、依存感、責任回避、反発心などがあり、全体として自己否定感の表現です。
これらは言動や表現は自然な感情・感覚であって、意識されたモノではない、少なくともそのために工夫されたものとは思えません。
ここを時系列に沿ってたどります。
『ひきこもり国語辞典』を出版するにはもっと多くのことばが必要と思い、追加語を募集しました。
数か月したところで50語以上が集まり、まとめ作業しました。
それを始めて印象に残ったことは、ひきこもりになる遠因になる家族などへの怒りや抗議です。
特に幼児期・子ども時代の虐待に対する告発が抑制的、穏やかな表現されています。
ときには激しいものもあります。
《ベッドの解体 捨てるのでベッドを解体しました。
カッターを握り、思いっきりマットにつき立てました。
そしてそのまま斜めに切り裂きました。
母や憎い人を思いながら、何度も刺しては切り返しました。
気がついたら、ベッドはボロボロです。止められない快感がありました。
両親はその状態を見たとき、気がおかしくなったのではと思ったそうです。
ストレス解消できて、すっきりしました。》
まとめ役の私は、これらを受け入れやすいように周辺事情を考えた説明ととんがった部分を滑らかにしたわけです。
これを編集と称するわけですが、現代の感情を生で表現する傾向には合わないかもしれません。
私はそういう生の表現の役割も認めるけれども、『ひきこもり国語辞典』では採用しない・できないと考えています。
ひきこもり経験者の多数は、だいたいが平穏に表現しているし、彼ら彼女らは内に激しいものを持っていても平和愛好者であることに変わりはないからです。
上の例も元もとの雰囲気は残しながら編集の手を加えたものです。
次には、この追加分の50語に感じた感情表現が、手作り冊子『ひきこもり国語辞典』313語ではどう表れているのかを調べました。
怒りを含む感情表現を中心に調べ始めました。
ところが、直接の感情表現といえるものはかなり少なくて1割もありません。
それに代わってより多い感情・気持ちは自己防衛感です。自己弁護ではありません(自己弁護は驚くほどありません)。
自分を守るため、自分を維持するために緩やかにベールを張り巡らしているのです。
自己防衛の実例は前号で書いた中にすでに含まれています。
典型的とはいえませんが、ここでも1つを紹介して先に進みます。
《社会的身分 二十代後半になり通信制大学に入学(在籍)しました。
所属ができたことで社会的身分を取り戻した気分です。
男性には家事テツは通用しません。女性の家事テツ姫がうらやましかったです。
通信制大学生という社会的身分を得て、精神的には半分は女性の家事手伝いに近づきました。》
この中に自己防衛=自分を維持しようとする気持ちが読み取れるのです。
この自己防衛が多いという“発見”に、私はひとり感動したほどです。
ひきこもりとは自己防衛(自分の維持)という生物の本能に基づく行動になるからです。
これを確認して、生物学との(すなわち科学との)連続性が見えてきたと思いました。
個体維持、種族維持あるいは種の存在と種の継続は生命の本質にかかわるものです。
「ひきこもり」とはこのような生命活動の表現になる、それが穏やかに緩やかに『ひきこもり国語辞典』に表われているのです。
この見方が強引に見られるのはやむをえません。
IT技術者国語辞典とか、がん患者国語辞典のようなものがあれば、それらの中で相対化されるでしょうが、私にはそれらを見る機会はありません。
いささか短絡的な理解になるのをご了解ください。
もし私の理解の通りであれば、すなわちそれが人間の・動物としての本性によるものならば、ひきこもりは多くの人から理解される可能性があります。
表現方法と取り組みの工夫によってそれを実現できる下地がありそうです。
『ひきこもり国語辞典』もその小さな一端を受け持つことができるのではないか。
そういう確信めいたものが生れました。
ひきこもりにおいては感情・気持ちを示す表現はきわめて抑制的に表現されます。
それらのあからさまな表現のし方による反発や反撃を予想し、それらに備えているかのようです。
それもまた自己防衛的と言えます。
全体としてかなり暗い感じがする、自己否定感の強さ=自己肯定感の低さを感じます。
そこからさらに行き着く先は、自己防衛に基づくもの=自分を維持していく点でのギリギリの状態に突き当たります。
ある人が存在の危機とか生命の危機と感じていると話したところです。
自己表現を表す感情・気持ちを表現するいくつかの例を挙げてみます。
《禁止幻想 思い描いた方向への道はストップをかけられました。
そうすればストップをかけた人の思う方向の道を選ぶはずだから。
そんな思いの中で育ちました。
何かをしたいときストップをかけられた思いだけが残っています。
いまも自分でしたいことがあるとき、自分で自分にストップをかけてしまいます
禁止すれば、思い通りの方向に進むという幻想のなかで生きている感じです。》
これは怒りの感情が抑制的に表れています。
〔悪どい〕、〔父親〕などにもみられます。
疎外感を表すのに〔アウェイ感〕、遠慮を示す〔加害妄想〕、敗北感を示す〔木っ端みじん〕、悲壮感を示す〔桜〕、羞恥心を示す〔自己羞症〕、被束縛を示す〔しばり〕、不公平感を示す〔妥協〕、悲壮感を示す〔寝覚め〕、寂寥感を示す〔夕闇〕と〔西日〕、焦燥感のある〔焼かれる〕ですが、〔てんぱる〕になると、単純な焦りです。
孤独感を示す〔冥王星〕、自己卑下を示す〔ポンコツ〕、虚脱感を示す〔抜け殻〕。
ほかにもいろいろな表現で、自己否定感と自己防衛を表します。
次はどうでしょうか。
《責任感 責任を感じるタイプです。感じすぎるので、責任あることはしたくないです。
責任ということばに潰されそうです。
責任感のない人が責任のある立場につき、責任感のある人は責任ある地位につかないと思うことがあります。》
これは責任回避の気持ちを表すものですが、言い逃れでないところの心情をくみ取りたいところです。
《丸坊主 小学生のころの写真が出てきました。
丸坊主頭で、自分でもいいと思いました。おとなしそうでも、明るい雰囲気があります。
写真を見ながらいつの間にかあのころの思い出に浸ってしまいました。
あのころに戻りたいです。》
これは懐かしさの気持ちを表していると思うのですが、どうでしょうか。
最後にもう一つ上げておきましょう。
《死にたい どうしても関わっていてほしい気持ちから顔見知りに「死にたい気持ち」といいました。
生まれるときと死ぬときは、自分の意志ではどうにもならないといわれた。
生きるとか死ぬとかは自分の思い通りにはならないらしいです。》
総じていろいろなことばで自己否定感を示しますが、やけになっていないです。
人に話すことのうちにそういう抑制が生まれてくるのでしょう。
それが対人関係のもつ重要な役割です。