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息子にとっての父親

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息子にとっての父親

会報『ひきこもり居場所だより』2021年7月号

男の子にとって父親はある時期とても大切な存在だと思っています。
それは、ロールモデルとして、または反面教師として、そして何よりも乗り越える存在として。

まずは「ひきこもり国語辞典」から

【社会の掟、約束事、世間体を示す原理主義者になりやすい立場の人。
家庭内の独裁者。家ではいろいろと弱点を示すけれども、外面がよく、周りに対してはいい親をしたがります。
その落差は驚くほどですが、当人はそれに気づいておらず一個の統一体を続けられる不思議な存在です。
これが私の父親観です。】

かなりシビア-な「父親観」ですね。
でも、ある面、とてもよく見ている気がします。
こうして子どもが自分の父親を客観視することは彼らの成長にとってとても大切な、そしていつかは通る道なのではないでしょうか。

そう、子どもは自分の成長とともに今までは自分にとって絶対的な、保護してもらう存在、大きな存在だった父親が実は自分と同じような、どこにでもいるような「普通の」大人であることがわかってくるのでしょう。
間違ったり、迷ったり、悩んだりする、自分と同じような小さな存在であることに気づく日が来るのでしょう。
それに気づくことは子供にとってはショックであったり戸惑いであったりするようです。

以前話したある高校生は「中学のころから父親とは取っ組み合いの喧嘩をしてきた。
だけど最近ある時自分が掴んだ父親の肩が『あれっ!』と思うほど小さかった。
それからはあまり手を出す気がしなくなった」と言っていたのが印象的でした。
こうやって自分の成長、これは身体的な気づきからですが、そこから彼は一つ成長していった気がしています。

つい最近話した大学生「20歳ぐらいの男子って父親のことどう思ってんのかな?」という問いから始まりました。
中学からフリースペースを利用していた二十歳の大学生です。
彼は小さい頃に親が離婚して母親と一緒に生活してきました。
父親とはほんの時々電話で話すぐらい。
ところが今回父親と話していてどうしても怒りが収まらなかったと言うのです。
きっかけはちょっとした行き違いでしたが、父親が愚痴をこぼしてきたり「お前には悪かった」という言葉に切れてしまったというのです。
後味が悪くて、そして自分の感情を整理できなくて私に電話をしてきたのでしょうが、こうして父親に感情をぶつけたことは良かったと思っています。
今まで長い間一緒にいないからこそできなかったことですから。
長い間自分の中にたまっていた感情を吐き出すことができたという側面もあります。
「自分は謝ってほしくなんかない。
愚痴るくらいならもっと何とかしてよ。
あんたにも生きていて幸せだって思ってほしいんだよ」と言ったそうです。
「父親というのはもっと大きいと思っていたのにすごくちっぽけに見えた」というのです。
中学のころから見ている私は彼の戸惑いとは別に、ずいぶん大人になってきたということの方に目が行っていました。
「そういう風に思ったのはあなたが大人になってきた証拠だよ」と話しましたがどこまで腑に落ちたことか。
徐々に彼も大人の階段を上っていくのでしょう。

こうして父親を客観視して「なんだ、親も大したことないじゃないか。
自分とおんなじに迷ったり間違ったりする存在だ」と感じることは大人への第一歩なのでしょう。
そうしてもっと成長していろいろな体験をした後に今度は「親父も大変だったんだな」「この点は尊敬できる」とか「ここは見習いたい」もしくは「こういうことは自分はしない」なんていう気持ちが生まれてくるのでしょうね。

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