家族の変化と世代間のギャップ
家族の変化と世代間のギャップ
ひきこもりの社会的・歴史的な基盤(試論の素描4)
自分の過ごした家族の記憶があるので、家族にもいろいろというのはともかく、変遷の歴史があって変化してきたといわれてもピンとこない向きもあるでしょう。
自分の家族がどのような特色をもつのか、現在の日本の家族関係は重大な曲がり角にあるとはいったい何なのか。
ひきこもり経験者から相談などで話す内容には家族に関係することは多いです。
悩み、難しさ、不満など家族・家庭に関する訴えや相談事です。
立場は違いますが親の相談にも家庭内の問題はあります。
ただ親の相談には「これでよかったわけではないのですが…」「どうすればいいのでしょうか…」など反省や戸惑いが多いのが特徴です。
こうした相談をしてくる親の大半は、一生懸命であり誠実です。
ひきこもったのは子どもの事情であり、親や家族が出る幕ではないとする子どもの独立性を肯定しているように見える人もいます。
親が相談する問題ではなくあくまでも子どもの問題とするのですが、自分を含む家族・家庭にも関係するし、より深い原因がある場合もあります。
『ひきこもり国語辞典』のなかに子ども側から挙げられた例です。
〇鬼門:「うまくいかない場所、苦手なことを鬼門といいます。
私にとって疫病神がやってくるところが家族です。
その意味で家族が鬼門です」
〇知的な親:「親が妙に賢いと理屈でものを言います。筋は通っているので受け入れます。
しかし、その理屈に流されていくと自分を失います。
子どもの感覚や気持ちを受けとめて、理屈で「ノー」のところも見てほしいです。
子どもは理屈で育てるよりも愛情をもって受け止めてほしいのです」
これらはひきこもり経験者の言葉ですが、ここに見えにくい家族の問題が潜んでいるように思えるのです。
それは「建前」に基づき、子どもが社会に生きるための「期待」を表わすものでしょう。
それをたどっていくと、親側が理解している世間像とか、その枠内に子どもがどう入るのか期待が見えてきます。
そこから外れないように、そのコースにうまく乗れるように「建前」や「期待」が子どもに向けられるのです。
ここに親子間・家族間のズレ、文化的なギャップが含まれていると思うのです。
鷲田清一『悲鳴を上げる身体』(PHP新書、1998)の一節にこうあります。
「近代社会では、ひとは他人との関係の結び方を、まずは家庭と学校という二つの場で学ぶ。
養育・教育というのは、共同生活のルールを教えることではある。
が、ほんとうに重要なのは、ルールそのものではなくて、むしろルールが成り立つための前提がなんであるかを理解させることであろう。
社会において規則がなりたつのは、相手が同じ規則に従うだろうという相互の期待や信頼がなりたっているときだけである。
他人へのそういう根源的な<信頼>がどこかで成立していないと、社会は観念だけの不安定なものになる」(70p)。
親子のすれ違いは、生活のベースが違ってきているのに、同じルールを適応する親側にあると思えるのです。
私も親世代の1人ですから、曲がりなりにも(相当におかしいといわれますが)親世代の感じはわかるつもりです。
典型的な家父長的な家族関係を基準とする人はもはや例外的にしか見当たりません。
しかしその残像と言える現実はあります。
そのあたりをかつての人はどのように説明していたのかを見ていきましょう。
和辻哲郎さんの有名な『風土』(岩波文庫、1935)は自然条件が人びとの家族関係や精神文化に影響すると考えていたようです。
『風土』では、人間存在の構想契機として、人々が住む風土をモンスーン、砂漠、牧場の3類型を上げ、日本をモンスーン型風土とします。
そして「家族的な生活の共同に最も強く重心を置いたのは、モンスーン的な家族である」(169p)と、気候的な環境条件から日本的な家族が生まれていると指摘したうえで、その特徴を、次のように描きます。
《「家」は家族の全体性を示す。
…現在の家族はこの歴史的な「家」を担っているのであり、従って過去未来にわたる「家」の全体性に責任を負わねばならぬ。
「家名」は家長をも犠牲にし得る。
だから家に属する人は、親子・夫婦であるのみならず祖先に対する後裔(こうえい)であり後裔に対する祖先である。
家族の全体性が個々の成員よりも先であることは、この「家」において最も明白に示されている。》(170p)
家父長的とされる家族制度は子どもなど家族の成員にとって大きな束縛になるだけではなく、その家長も家名に束縛されるのです。
そうでなければ世間(家の外の社会)の中で生存し続けがたい条件があったと読み取れます。
《親のために、また家名のために、人はその一生を犠牲にする。しかもその犠牲は当人にとって人生の最も高い意義として感ぜられていた…。
「家名」のために勇敢であった武士たちは皆そうであった。家の全体性は常に個人よりも重いのである。
…しかし資本主義を取り入れた日本人は「家」において個人を見ず、個人の集合において家を見るようになったであろうか。
我々はしかりとは答えることができぬ。》(171-173p)
家族の一個人ではなく家族全体で自然と世間(社会)に対して立ち向かっていた。
その意味で家族の全体性が優先し、そこに属する個人は後回しになり個人はそれに貢献するように求められた。
今日から見れば不条理な理解も悲劇もこの中で生まれていたというべきでしょう。
私はそこに時代的な制約をもちながら日本人が生きながらえるために家族をこのように整え、闘いに備えたと感じるのです。
このような伝統的な家制度の下での精神性を新渡戸稲造『武士道』(1899)や、山本周五郎(1903-1967)の時代小説・大衆小説にも見ることができます。
そこに表われる家族は理想化され美化されていることは確かでしょう。
それは歴史的な条件がないなかでの出来事です。
和辻さんは資本主義を取り入れた日本にもそれは継続しているというのです。
このような家族の考え方は個人的な特色を持ちながらも、特に親世代にはいろいろな形で続いています。
それが新しく生まれた子ども世代とのすれ違いや衝突を引き起こすことになります。
いわば旧家族像の残像と新しく生まれた個人を生かす家族像との違いです。