家族が離れて暮らす
家族が離れて暮らす
会報『ひきこもり周辺だより』2022年4月号
長期ひきこもりには外から支援の手が入らないと膠着したままになりやすいものです。
外から支援がないことには始まらないことも多いです。
しかし、それができた後には親と子の共依存関係の壁に妨まれ、そこからなかなか前進しない場合もあります。
道のりは続き、そこからどう進むのかが改善された支援策になります。
今回は親子間の共依存的な関係からどう抜け出していくのかのうち、少数例になる家族が離れて暮らす方法を考えます。
その前に多くの例を簡単に話しておきます。親が支援者とつながった経過にある家族会(親の会)とのつながりを持ち続けます。
当事者がひきこもり経験者の集まる居場所に通い、比較的世代が近い、性格にも似たところがある人たちと交流を重ねることの大切さです。
多くのばあいは支援者の介在するときは、こういう親も当事者も家族会や居場所につながる時期と重なります。
両者は相反するのではなく、並行して行われていることが多いのです。
不登校情報センターがひきこもり経験者の居場所のなっていた時期、多くの当事者は意識的か無意識的かいろいろですが、家族との関係をつくり替える、他の人との関係をつくることにより相対化していきました。
それが家族内の共依存的な関係から動いた過程になると思います。
さてこの家族内の共依存関係の時期とはどういうものでしょうか。ここを理解しておくことも大事です。
それまでの緊張していた家族関係、対立一辺倒の親子関係だったところに、ひとときの安らぎの時期が訪れる。そういう時期のことが多くあります。
それが支援者の介在によって(それだけとは言えないですが)、その平穏な時期を大切にしたいと思うのは、人の情としてはわかります。
しかし、この場合でも家族内にひきこもり生活をする一人がいるという状態を乗り越えたことにはなりません。
どこか不安を持ちながらの平穏を保つ状態ともいえるでしょう。
ひきこもりから抜け出すには、その平穏な家族関係を維持しながらさらに道をたどるのです。
平穏を保ちながら次の道に進む―その願いもまたよくわかる話です。そうできるかもしれないし、そうできないかもしれない。
そういう道であると申し上げるしかありません。
ある程度年齢を重ねたひきこもりの当事者、私はここでは30代を想定しますが、下は20代前半から上は50代にまで及ぶ広い年齢層です。
そのひきこもる彼ら彼女らには、外の世界、世間、社会は、よく知らない世界です。当人なりにはわかっていることもありますが、自分の個人的な経験により結局は社会に入れない・入らないことを裏付ける方向の理解が多いものです。
これも個人差があるので、いろんなバリエーションがあります。
その社会に「命がけの気持ちで」入るようにすすめるのが、ひきこもりからの脱出になります。
この場合の当事者は世間一般の30代の男女とは違います。年齢にして10歳は年下の社会経験しかない人です。
いやもっと少年少女っぽい人もいます。言い換えますと純粋な感覚や感情が強く、対人関係を重ねることによる心のタフさができていない、傷つきやすい状態とも言えます。
別にズーズーしくなるように勧めているのではありません。
そういう人を世間に押し出す役割を、家族は支援者の手をかりて勧めるのです。
口にすることはまずありませんが、当事者の方が家族以上にその必要性を感じていることが多いものです。
この場面を何とか避けてきた家族が今回もまた危険と感じて回避しようとしている、それは不思議ではないかもしれません。
せっかく手にした平穏な家族関係を再び以前の、ときには子どもがダメージを受けている状態を目にする、ストレスから暴言のある家族に戻してしまうおそれを感じるのです。
親と子の共依存関係といわれる内容には、この状態が全てに共通するとは言わないまでもかなり広くある、という点は理解しておきたいものです。
私が知る取り組みの方向は大まかに2つあります。
1つは親子がそれぞれ、あるいは一緒に居場所あるいは親の会(家族会)に参加することです。これが主流で多くの当事者がしていることです。
もう1つがこの状態を親と子が別に暮らす方法で乗り越えていこうとする例です。
数人の例を紹介します。
同じ家族との別居の形でもひきこもっている本人がアパートなどに移る形が多いでしょう。ある人の場合です。
とくに母親への暴言がひどかったので、親が自治体に相談に行ったところ介在してくれる支援団体を紹介されました。
難しい問題もあったみたいですが、ひきこもる息子に働きたいという意欲もあり、支援団体が仲介して一人離れてアパートに住むことになりました。
支援団体から示された条件は本人が家族とは直接に会わないことです。携帯電話の所持は認められました。
私はその彼の住むアパートを訪ねたことがあります。
食事、洗濯など日常生活は全て自分でしなくてはなりません。訪ねたときは部屋が清潔にされているのに気づきました。
几帳面に片付けられているか乱雑に準ごみ屋敷に傾くかにわかれやすくて、動き出すときは部屋の掃除から始まることが多いです。
彼の場合は非正規雇用ですが職に就いていました。
彼のばあいは本人の状態が比較的安定していること、仲介の支援者が距離をおいて見守っていること、そして自治体も何らかの支援をしています。
この支援団体への費用を助成していると勝手に推測しています。
家賃を含む生活費は家族の負担であり、預金通帳は父母が預かり収支面から生活を見ています。
私はこの形が1つの参考例になりうると考えています。
もう1人の例です。家族と相談して一人住まいになった女性です。
母との関係がきつくて、自分から距離をおく方法を選びました。
彼女は働いていませんが(ときたまボランティア的な活動に参加)、一人住まいとともに自分から居場所を探して通い(相談から始めたようです)、好きな手づくりの作品に打ち込んでいます。
彼女の生活費はこの一人住まいのアパート代を含めて家族の負担です。
彼女は一人暮らしと居場所での人の関係づくりや趣味を生かすことで自分なりの進む道を探していると思えます。
彼女の場合は一人住まいを自ら選んだのです。
これを参考にひきこもり当事者が現状から抜け出そうとするとき、その条件づくりを自治体等の施策にできると思います。
家族内の共依存から前進するには、物理的に別住まいする方法を紹介したのですが、機械的、事務的にそうすればいいわけではありません。
訪問先のある人が「親と離れたい」と言い、私も加わり近くの不動産屋さんに頼んで、一緒にアパート探しをしました。
彼が口にしたのは部屋の様子や立地等のよしあしもさることながら、家との距離です。
何かあったら家には戻りやすいところが条件になります。
数ヵ所のアパートを見学させてもらい、「後で考えます」と不動産屋さんにお礼を行って終わりました。
そのアパート探しをしながら彼にわかったことは、自分一人では生活するのに大きな不安をかかえていることです。ここはかなり迷うようです。
何人かの例で、親とは別居生活になった人がいますが、うまく行かないでまた元の家に戻った例は少なくありません。
しかし家に戻ればまた同じ状態が繰り返されると予測できます。
共依存の傾向は親側にもあるからです。
食べる、着る(洗濯)、寝る、部屋をかたづける…という生活を一人で続けることは、やってみないとわからないことがあります。
おそらく共依存的家族関係で平穏な生活が取り戻せたときには、このあたりの準備が必要になると考えます。
ひらたく言えば生活リズムの確立です。
部屋のそうじ、小遣い・生活費の使い方、などを可能な形で身につけていくようにすすめることでしょう。
判断の難しい例を次回に話します。
失敗例とみられるかもしれないですが、それも含めてやめるように言う気はしないです。
田舎から上京して一人アパート住まいになった息子がいる。
だんだん親との関係が途切れ上京して3年あたりからは定期的な送金するだけになりました。
家に戻ることもないし、なんの便りもなくなったのです。
「便りがないのはよい便り」とはいいますが、母の体調が悪くて入院した、今月の送金は少し遅れるなどの連絡をしてもうんともすんとも返事がありません。
たまりかねて父が上京して、そのアパートを訪ねますが、留守です。時間帯をかえ、朝、昼、夜と訪ねるのを数日くり返します。
数日後のやっと夜に灯がついたので住んでいる(生きている)ことはわかりました。
しかし、ドアをたたいても誰もいないかのように応答はありません。
この人のばあいはどうであったのかは、それ以上はわかりません。
親(家族)とは送金を受けながら他は完全に切り離された状態で自分の生活を確立している。これがよく考えれば(?)のばあいです。
悪く考えればどうなるのか。想像できないですが、生きているのを確かめられればよしとするのでしょうか(?)。
これらを紹介するのは、親とは断絶になっている人も確実にいると思えるからです。
これを一方的に「悪い例」と決めてかかる理由はないかもしれません。
これも家庭内での暴力事件を避ける方法になる、もしかしたら子どもの側から親との関係を断って自立する方法かもしれません。