子どもの手伝いからみる家事の変化
子どもの手伝いからみる家事の変化
小学校の先生が、「家の手伝いで何をしていますか」と子どもたちにききました。
買い物に一緒に行き自分が持って帰る、食事づくりや食器洗い、洗たく物を干すのを手伝うというのが多かったそうです。
なかに炊飯器のボタンを押すとか風呂のお湯を入れるため蛇口を開けるというごく簡単なものもあったといいます。
衣食住を中心とする家事の様子も高度経済成長期の前後では大きく変わったようです。
私は田舎育ちで、1950年代までの景色を思い返すと、今ではすっかり聞かないもの、なくなったもの、対して新しく生まれているものがあります。
▲家業 秋には学校に農繁期休暇というのが2、3日ありました。
農家の子どもが多くて、子どもたちは収穫の手伝いをしていたのです。これは家業手伝いというべきものです。
私は丘の畑のイモ畑から収穫したイモを背負子(しょいこ)に背負って自宅まで数回往復したことがあります。
自宅の床下はイモ倉庫になっていて石灰(ネズミ対策?)と一緒に貯えていました。
▲衣 衣食住の衣に関しては、かなり多くの家にミシンとアイロンがありました。
ミシンは足踏みだったのですが、いつの頃からか電動ミシンになっていました。
針仕事というのもあって母は漁師町に遠方から住み込んでいる若い漁師たちの衣類の仕立直しをしていました。
ミシンとアイロンは多くの家から消えました。自宅には今は洗濯機があり、クリーニング店とコインランドリーが街中にあります。
▲食 衣食住の食に関しても衣と似たようなものです。
私の子どものころは、カマドがあり、七輪があり、薪と炭があってこれでごはんを炊き、食べ物の煮焼きをしていました。
今では炊飯器とガスコンロ、湯沸し器がこれに代わっています。
今の“最先端”ではマナ板のない家庭がありますし、アパートの一室、個人宅では炊事場のない家庭もあります。
ほとんどの家庭には(代わって)冷蔵庫がありますし、オーブンも多くの家にあります。
▲住 衣食住の住の中心は、掃除でしょう。
帚(ほうき)は室内用と土間用があり、雑巾(これは今もありますが)の活用分野は広がったと思います。
部屋の仕切りには障子があり、何度か破れた障子紙を張りかえたことがあります。
帚や雑巾はいまも使われていますが、掃除機が多くの家庭に備わっているのが現在です。
冷暖房に関してはエアコンが普及していますし、電気ストーブや冷風機もふえました。
かつてはコタツと灰火鉢でしたが、これに代わっています。
家事のなかで、以前より多くの時間を占めるようになったのは買い物でしょう。とくに食料の買い物は日常化している家庭が多いと思います。
これら衣食住に関わるもので、子どもたちの家の手伝いはここにありました。
かつては見かけて今は見ないものに子守りがあります。子どもとくに女の子はあかちゃんを背負って遊んでいる姿も珍しくなかったと思います。
これは衣食住ではなく子育ての手伝いです。
この30年前後は人口の高齢化にあわせて、介護の役割が多くなりました。
障害者や病気もちの家族がいると子ども時代からそれを受けもち、程度によってはヤングケアラーとなる人も表われています。
これらの家事・育児の基本も学校教育の対象となります。
文科省の学習指導要領、高校「家庭」編 中学校「技術・家庭」編を見るとこれらはかなり体系的に示されています。
それがどのように実践されているのか——進学指導中心の学校教育において期待すべきものとはいえないでしょうが…
それでも日本の片隅にそれに熱意をこめている教師がいること忘れないでおきます。
私の子ども時代の家庭科に属することでは、食に関してはドーナツ作りと衣に関しては雑巾作りの記憶があるだけです。
中学校「職業科」の時間にカンナの刃を研いだ時間がありました。
今はどうなっているのかわかりませんが、男子は職業科、女子は家庭科と別々の授業でした。