大阪府立西成高校となりカフェ
大阪府立西成高校となりカフェ
スクールカウンセラーが「一人となりカフェ」を
■中学生からイメージ
少し前に僕は当欄で、支援としては成功しているものの、その数が一向に減らない日本の不登校問題について「高止まり現象」と表現した(「不登校の高止まり」は「学校」の終わり)。
不登校支援は、たとえば大阪市では、10ヶ所以上も公的な「居場所」(サテライト事業)を設け、行政サービスとして居場所を小中の不登校生は利用することができる。
これは一定の効果をあげており、学期はじめや学年が変わる4月の「学校への再デビュー」はそれほど珍しくはない。
居場所(サテライト)を中心とした不登校支援は大阪では(おそらく全国的にも)一定の成果を上げている。
けれども不登校は減らない。これはもうシステムとして今の教育制度が疲弊しているのだろうとしたのが上の引用記事なのだが、最近になって現在の状況を突破するかもしれない考え方と僕は出会ったような気がしている。
それは、前々回に当欄で取り上げた「中学生ライフプランニング」という概念で(中学生ライフプランニング ~生活困窮エイジのための、新しい中学生支援)、従来の不登校支援でもなく対児童虐待支援でもなく発達障害支援でもない、中学生たちが自分の人生90年を自分自身でイメージし具体策を考えるというものだ。
僕もまだ模索しているのだが、これは従来の「支援」とは違う。
また、高校の総合学習などで行なわれている人生設計のためのワークショップとも若干違う。
まだ「親の支配」が強いローティーンのうちから、自分の長い人生すべてについてイメージしていく。
これは従来の中学生教育にはおそらくなく、日本の教育システムが苦手とするジャンルかもしれない。
が、10代の早いうちから、自分が将来、親のもとを出て独立し家族を形成する人はし(ひとりの人はひとりの生き方で)、仕事を確定し新しい住居を見つけ50才になり更年期になってそれもスルーし、年金受給年齢となりそれでも働く人は働き、やがて75才あたりになると徐々に身体も言うことを聞かなくなり、そして80才になっても案外くだらないことで身内と喧嘩し、やがて徐々に社会のオモテ舞台から消えていくが自宅ではそれなりに粘って人生に臨む……そうした「ライフ」のあり方を中学生からイメージしていく。
■ティーンエイジャーは学校での1対1面談を嫌う
これは今ある専門職のなかでは、キャリアカウンセラーが最も得意とするジャンルかもしれない。
が、キャリアカウンセラーはまだ公的には中学には入っていない。
次に適切なのは、10代の「サードプレイス」の代表格である「居場所カフェ」の仕事かもしれない。
が、居場所カフェは、当欄の読者であれば御存知の通り、現在はまだ高校内にそれをシステム化している段階であり、中学はだいぶ先の話だと思っている。
できるだけ早く中学にも、大阪府立西成高校となりカフェや神奈川県立田奈高校ぴっかりカフェのような居場所カフェを設置し、そのサードプレイスの住人であるスタッフたちとコミュニケーションすることで、生徒たちにそれぞれの「ライフプランニング」をたててほしい。
けれども今はまだ難しい。
となると、誰がそれを行なうか。
僕が気軽に考えるには、全中学に配置されているといわれるスクールカウンセラー/臨床心理士がそれを行なえばいいと思う。
教育業界のような保守的でリジッドな世界では、新たなシステムを導入するには早くて数年単位の時間がかかる。
それよりも、現在ある仕組み、たとえばスクールカウンセラーによる面談支援の枠内で、ライフプランニングを生徒とともに考えていけばいい。
それも、できるだけ閉鎖的なカウンセリング的なものではなく、数名の生徒たちとお菓子でも食べながらわいわいとそれぞれのライフプランを空想していほしい。
よほどお勉強できる生徒以外は、現在のティーンエイジャーは学校での1対1面談を嫌う。
それは、教師による「指導」の悪夢がどこかに残っているためで、密室での教育専門家との時間は、多くの生徒たちにとって拷問だ。
また、僕が知る範囲では、現在のスクールカウンセラーは学校にとって「お客様」であり、そのお客様がくる月1回の面談日にどの生徒をあてがおうか、教師たちは頭を抱えている。
一言でいうと、学校現場にとってはその存在は「お荷物」でもある。
■不登校の高止まり現象を予防する決定打
そうではなく、複数の生徒と外部の大人であるスクールカウンセラーがお茶を飲みお菓子を食べながらオープンに生徒たちの人生全般について語る。
その語りには、恋愛トークやそれにまつわるセクシュアリティのシェアや、仕事イメージやそれにまつわる仕事の馬鹿らしさと素晴らしさ、家族イメージの窮屈さやそれを突破する10代らしいアイデアが交錯するだろう。
つまりは、スクールカウンセラーが一人で、となりカフェのような居場所カフェのマイスターとなっている。
そんなトークの中に、中学の息苦しさに穴をけるヒントがたくさん埋もれている。
これは、従来の心理的支援でもないし福祉的支援でもない。中身は単純なものだけれどもなぜか今のリジッドな教育業界にはない、「人生すべてを語る」ために必要なオープンな価値を前提としている。
こうした自由な価値が、中学時代に体験できたら、生徒たちにとって「学校」の比重が軽くなる。
これこそが、不登校の高止まり現象を予防する決定打のように僕には思えてきた
〔2018年1/9(火) 田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表〕