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大胆に協力居住/共同家族の形成を想定

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大胆に協力居住/共同家族の形成を想定

会報「ひきこもり周辺だより」(2024年8月1日、88号)
先月の会報に「就労・結婚そして地域共生社会」を書きました。
結婚に向かう男性側の思いの低下を、ひきこもり経験者の言葉を参考に「仕事に就けないのが基本原因」としました。今回はその続きになります。
「結婚することに何が期待できるのか、特に感じるものがない」と話した人は30代男性です。
「大人になることは苦労と負担ばかりが多くなって大人になりたくない」と語ったのも30代男性です。
この2人はひきこもり、半ひきこもり経験者ですが、この状態・気分はひきこもり経験者だけではなく、男女とも大きく増えています。
やや飛躍しますが、核家族した家庭は負担の大きさが見えて、家族をつくる意欲が低下しているのです。
家庭を主に分担してき女性は社会進出し(就業増加)、男女の経済的基盤が変わり、家族を必要とする精神文化も揺れ動いています。
経済生活面の変化が、家族を考える精神文化が根本的に変わるには長い期間を要します。その変化がある程度進んできたのが現在でしょう。
もう一歩深く見るとすれば、男女間のうち経済面で主な役割を持つと想定されている男性側の就業条件が停滞・悪化している点も認めなくてはなりません。
それらの1つの結果が人口減、少子化の進行です。
女性の生涯出生率が全国で1.20、東京都で0.99…という大都市と地方との格差を考えると、東京(大都市)の過密さ、住宅条件を含む生活条件が女性の出生率に影響していると考えなくてはなりません。
それはほぼ結婚へ向かう意欲とか意識を低下させてきた結果と考えられます。
少なくともこのままでは社会は存続が危ぶまれます。それは地方からすでに始まっています。
このような時間的(社会状況が時間経過で変わること)、地域的状態は全体的なことです。それが各人のいろいろな個別事情を通して表われています。
個別事情は必ずしも全体事情と一致するわけではありませんが、個人事情、生活条件や気持ちや日常のこまごまとしたことは、この大きな流れのなかで生まれています。
人口減や少子化は、現在日本の一大問題です。
結婚の減少と少子化は強い相互関係があり、その意味で核家族化の広がり・定着は1つの達成であったとしても、いまは行き詰まりの面が明瞭になりました。
社会状況としてはこうなる要因は他にもあると思いますがそれらは省きます。
各人の個別条件においては女性の地位が不十分ながら(世界順位ではかなり下位!)上向きになり、就業における賃金格差など男女格差は根強く続くなど達成にはほど遠いとしても徐々に進んでいます。
それでも各人の個別条件が結婚に向かう壁を越える条件を得づらくなっています。では壁を越えたところにある結婚、家族とは何でしょうか。
ここでは『農村の幸せ、都会の幸せ』(徳野貞雄、NHK出版・生活人新書、2007)がまとめられた家族の6つの機能を参考にします。
徳野さんは、日本は高度経済成長期の後の40年(2007年の著作なので、今日では60年近い)で、家族をとりまく状態が大きく変化していることを考慮して、現在の家族の機能を動態的に著しました(P120-127)。
徳野さんの説が日本における家族(家庭)の状態としてどの程度認められているかはひとまずおきます。私にはうまくまとめられていると思います。
各項目[ ]内は要点で徳野さんの説明に私の考えを加えました。
⑴ 生産共同の機能(役割)——[農業・個人商店など家業的な仕事が典型的です。
高度経済成長後の現在は家族の就業先がバラバラになり、家族構成員の収入の合計がこれにあたりますから、この機能は複雑になりました]
⑵ 消費共同機能——[子どもも年寄も自分で生産できなくても食べて生活できる]。
衣食住を中心とするこの機能は主婦が中心に担当しています。
⑶ 性的欲求充足機能——[恒常的性関係は、夫婦間の特別の情動的な関係を深め、文化的で精神的な部分のつながりを強めます]
⑷ 子どもの生殖と養育機能——[養育機能の一部は保育園などで代替できますが基本は親の役割。出産は代替できない(はず)]。
*私はこの部分を「世代の継承を図る機能」と想定したいのですが、強弁しないで徳野説を残します=高齢者の介護を含めて考えるなら、ここは「世代の継承を図る機能」になります。
しかし、核家族になり小規模な家族で介護を担うのは困難です。
子どもの教育を学校に委ね、疾病を医療機関に委ね、介護は(訪問を含めて)介護施設に委ねざるをえないのです。
幼児期の子育ては保育園の役割が重要と認めますが、家族機能の特別の役割は残ります。
しかし他の部分は家族の外に持ち出さざるをえません。
⑸ 生活拡充機能——[食事、掃除、健康、遊びなどありとあらゆる機能。専門分業がサービス産業化し、外注できる部分が広がっています]
⑹ 精神的安定機能——[別名を家族の愛情・家族の絆。徳野さんは近代社会・産業社会で家族の愛を維持していくのは困難といいます。
理由は十分に説明されていませんが、私には核家族化、家族の小規模化が関係すると考えます]

徳野さんの説明には、高齢者などの介護の機能を加えていません(介護保険制度ができて間もなくの著作)。
私はそれを加えた上で(4)の理由から徳野説を肯定します。
結婚(と同然の関係を含む)の壁を越えて獲得するのが、このような家族です。
日本の結婚に向かう条件の低下は、各人(特に女性)が経済生活をできやすくなってきた状態で直面する状態です。
男性側は相対的に地位が低下していますが、多くの男女ともに十分な経済的・社会的条件をもっていない壁です。
その壁は高いばかりではなく、変化の途上にもあります。
その壁を超えることとは、核家族化した状態で家族が抱える困難を超えることになると考えます。
そうなることで得られるはずのものがより明確になります。
要約すれば経済的安定を一応充足させたうえ得られるものは、子ども(世代の継承)であり、より安定する精神的文化的な内容ではないでしょうか。
これは利便性を超えた精神文化的な要素を含む家族の成立とも言えます。
もしこの壁が超えられないまま進んでいくとどうなるのか? 
もちろん各人の事情が絡みますから個人差は大きいのですが、一言で言えば「孤立・孤独」の広がりでしょう。
それは高齢者のうちですでに見られますが、私の知る範囲の中高年ひきこもり経験者のなかでも発生しつつあります。
さらに一部の富裕層を含む社会層にも見られます。
核家族化による家族の機能低下とともに利便性を超えた要件である精神文化、「精神的安定機能」が劣化した状況ではそうなるのは避けられない一定層がいるのです。

私にはこの解消策は、結婚によるだけでは不十分だと思います。もちろん結婚(婚姻)は1つの欠かせない要素です。
そのための社会的条件、政策的な対応が求められるでしょう。
どんな対応でしょうか? 
大胆に予測すれば、私は集団家族(合同家族)に進むとみています。
独身の若者も中高年者も高齢者も混ざって共同生活をする集団家族です。そこには婚姻関係にある人も含みます。
養子縁組の(公式・非公式の)動きがあるでしょう。同性婚の人が混ざる集団家族も表われるでしょう。
きわめて多様であり、今日の時点で全体を描くのは適当とは思えません。
それ以前に発生するのは個人間や家族間の協力が進み共住に近いものです。
親戚縁者が中心のグループ、困難を抱えた人を共同で援助するグループ、食事など生活上の利便を図るグループ等から生まれるでしょう。
居住状態は隣近所に住むかアパートなど共同住宅での分住になります。
これに該当するものは、日本にはすでに存在すると予測しています。やがて集団家族(合同家族)に進みます。
別の1つは自治体で手を着け始めた地域共生社会の実質化です。
ある程度の広さを持った地域での共同協力的な関係が進んでいくことです。

この集団家族の想定は5月の親の会の話し合いのなかで私に浮かんだものです。
家族の変化を必要性という利益の視点から見るとそうなります。
そこに精神文化的な面が加わるとさらに進む姿が見えてきます。

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