動物の個体維持と種族維持の本能も天体の動きを映す
動物の個体維持と種族維持の本能も天体の動きを映す-2の11
〔2014年10月19日〕
植物ほどではないにしても、動物の個体維持(食)と種族維持(性)の本能も天体の動きを映します。
鮭の産卵や、鳥の渡りを例に食の相と性の相が場所的にも分かれているのでわかりやすい例です。
「動物の体内にもこうした宇宙リズムが、初めから宿されていると思う
…その場が内臓である…もっと厳密にいえば、内臓のなかの消化腺と生殖腺…
この二つの腺組織の間を、そうした食と性の宇宙リズムに乗って「生の中心」が往ったり来たりしている」
(『内臓とこころ』75ページ)。
ところが「人間の内臓系を見ますと、この食と性の宇宙リズムは、ほとんどなくなりかかっている」のです。
例外は女性の月経で、これは月という天体のリズムに関係しています(76ページ)。
動物と人間が連続して説明されていますが、動物の場合はなぜどうして、人間の場合はなぜどうしてという説明は不十分です。
著者の説明はおおまかで整理しづらいのですが、この他にも2つのいくぶん相反する事情が重なります。
一面では植物と比べて動物の2大本能は天体リズムを映す程度が低くなっているといいます。
低くなっているとはいえ動物が天体リズムを映す中心は内臓のなかの消化腺と生殖腺です。
もう一面の説明は、植物から分かれるためにできた動物の体壁系器官にも宇宙のリズムはあるとする点です。
体壁系器官とは動物器官と呼ばれ、脳につながる神経系(伝達)を中心に、外皮系(感覚)と筋肉系(運動)から構成されます。
この2つの説明は正統派生理学の説明の仕方と比べてウェイトの置き方やバランスの違い、表現方法の違いにすぎず、
言っている内容は基本的に同じと捉えるかもしれません。
私は違うととりたいのですが、著者の説明ではわかりづらいところです。
体壁系器官の宇宙リズムは「睡眠と覚醒日リズム」がいちばんはっきりしています。
「昼間動物では夜がくれば、まず目・耳・鼻といった順序で感覚器官が眠り、ついで五体の筋肉すなわち運動器官が眠りにつく。
そして朝がくれば、ここでも再び同じ感覚・運動系の順序で目がさめてくる」。
「動物にしか見られない感覚・運動系の器官は、身近などんな些細な変化にも、いちいち反応するため、ともすればこの自然なリズムは乱されがちになる」
(76ページ)。
正統派生理学では、内臓系器官であれ体壁系器官であれ、両者により「個体維持・食と種族維持・性」の解剖学的・生理学的な説明がされます。
そこには「睡眠と覚醒日リズム」などの一部を除いて天体リズムは関与しません。
あえて天体リズムに結び付けようとはしないでしょう。
動物は植物と比べて食の相と性の相の循環、すなわち「生の波動」からは離れてしまいます。
正統派生理学において天体リズムの関与をレアケースまたは痕跡と認めるとすれば『内臓とこころ』論的な理解ではそれは本質的な要素とするのです。
正統派生理学になるはずの『進化のなかの人体』では「個体維持・食と種族維持・性」の説明はこうなります。
とくに人間の場合は“文化”になりその説明が中心になっています。
「食生活というものは、もともと生理的にからだを健康に維持するのが目的である。
ところが人間になると、それぞれの食習慣に応じて材料をえらび、それぞれの民族的伝統にしたがって調理する。
…食うということは、生物学的な個体維持という本来の目的から質的に変わってしまって、満足感やアミューズメントの追求のほうが主になる。…
性についても同じようなことがいえる。
性はもともと、子孫をふやし、種族を維持するための生物の基本的ないとなみだった。
それを人間の物質的・精神的文化がすっかり変質させてしまった。
本来の種族維持の目的がなくなったわけではないが、そこにいたるまでに、成人式や婚約や結婚などがあり、
出産に際しても、それにまつわるいろんな儀式や祝いなどがある。男女は恋愛や愛情など精神的なもので結ばれたりするようになる」
(177ページ)。
この説明は生理学の範囲を超えた説明ですし、ある特徴を正しくとらえているといえます。
この説明は生理学を超えているだけに『内臓とこころ』的な見地からも同じように説明できることになります。