修業による全身の訓練から呼吸法に至る
修業による全身の訓練から呼吸法に至る
(2014年10月5日)
人体を感知しようと試した古代人はたいていの日本人なら知っている人です。
お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ。生存時期は諸説あり、紀元前7世紀ー紀元前5世紀頃)といいます。
参考にしたのは『セロトニン欠乏脳』(有田秀穂、生活人新書、2003年)です。
書名のように私はこの本を脳・神経系を学ぶために読み始めたはずです。
そのなかに釈迦の呼吸法が、セロトニン神経を鍛える方法につながるものと紹介されています。
「意識的で、適当な負荷がかかった呼吸…それこそ、釈迦が世界に広めた座禅の呼吸法、ヨガの呼吸法ということなのです。
この呼吸法では、意識しないと収縮させることができない腹筋を使い、リズム運動を行います。
負荷をかける呼吸という点では、無意識の呼吸よりもはるかに深く、ゆっくりしたテンポのサイクル運動にセットされます。
腹筋を使って意識的に深く長く吐く呼吸法が「意識的な」呼吸ということになります」(66ページ)。
*著者は腹筋呼吸(意識的呼吸)と横隔膜呼吸(無意識的呼吸)を明瞭に区別します。
こういう呼吸法にたどり着くまでの修業が紹介されています。
「釈迦の時代には、現代のような最新の研究設備もなければ、サイエンスについての豊富な知識もありません。
自らを被験者にして、自分の心と感覚に耳を澄まして、ひたすら実験を繰り返した、と私には想像されます。
その負荷の程度は自己の耐えられる限界にまで達しています。
6年の歳月をかけて、あらゆる種類のストレス実験をしています。
断食、極寒、窒息、猛暑、さまざまな苦痛です。
…心理的なストレスとして、猛獣や闇の恐怖、死の不安などを課しています。
仏教聖典によると、茨のむしろの上で寝る、片足で立ち続ける、あるいは息をとめる、しかも、鼻と口だけではなくて耳までもふさいでしまう様子が記されています。
こうすると、息が全身をかけめぐり、何とも言いがたい激痛をもたらすのです。
そのため、頭痛の域を超え、はらわたがちぎれる思いを味わい、火で焼かれるほどの発熱を体験します。
断食も4、5週間にわたることもあり、そのために身体はやせ細り、手で皮膚をさすると、毛根がくさってポロポロと地に落ちたと言われます。
さらには、身に油を塗り、燃えさかる薪で炙る苦行、あるいは水に入って寒さに耐える苦行、あるいは害獣のいる恐ろしい森で過ごし、屍の散らばる墓場で夜を明かす苦行、羊飼いの子から唾を吐きかけられ、泥を投げられても、怒りを表さない、などの想像を絶する苦行を行ったと記録されています。
ここまで苦行を重ねることによって、自己の脳と身体がどのようにできあがっているかを徹底的に調べつくしたのです」(100-101ページ)。
脳・神経というより周囲から受ける全身の反応を確かめ、耐える訓練を通して心身とは何かを理解しようとしたものに思えます。
釈迦の呼吸法はその周辺にさまざまな健康法や身体訓練法を派生させました。
ただそれは釈迦一人のものではなく、古代インドのその地域の風習、世界観に根ざしていたものと考えられます。
日本に入ってきた方法が記載されています。
著者が考えるセロトニン神経の強化に有効なリズム運動が中心です。
姿勢、座禅、呼吸法、気功法、太極拳、散歩、ラジオ体操、丹田呼吸法、西野式呼吸法、α(アルファ)波法、リラックス法などと続きます。
今日のアーユルヴェーダおいても医療と健康法は分離されていません。
運動やスポーツに属するものも含まれます。
それぞれが実践者・施術者による型や手順などにより違い、ときには秘術とされます。
そうであるからまた科学や西洋医学が全盛の時代に生き残ってきたわけです。
すべてを無条件に肯定できるとは思えませんが、逆に非科学的とか、迷信・ガセネタなどと無視すべきものではないでしょう。
むしろ近代科学や西洋医学が機械的にはじいてしまった要素が保存されているとも考えられるのです。
ここまで書き進めてきてようやくサイト「メンタル相談」施設に結びつくところに到達できました。