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不登校情報センター・親の会の歴史

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不登校情報センター・親の会の歴史

不登校情報センターの親の会の歴史を、記憶によりおおまかに振り返ります。
不登校情報センターは1995年、不登校に対応するフリースクール・親の会・相談室などを出版物によって情報提供する目的で設立したものです。
情報センターに親の会や居場所を設けることは想定していなくて(相談活動はしていました)、事務所はありません。
ところがすぐに不登校の経験者から連絡が来るようになります。
その人たちを互いに合わせるのがよいと考え、1年後に通信生・大検生の会をよびかけました。
3年後(1998年夏)に大塚に事務所を設けたころには狭いスペースに毎週30名以上が押しかける状況になりました。
通信生・大検生というよりは多くは引きこもりの経験者でした。
この状況を新聞に投書したところ(2001年)1つの反響がありました。
新小岩にある第一高等学院が閉校になり、この校舎を無料で貸し出すという申し出です。
借り受ける前に、その校舎で引きこもりをテーマにする集会を開きました。
この集会では前半に全体集会を、その後4つに別れて話し合い等をしました。
十代の引きこもりの親の集まり(高柳美知子さん担当)、20代以上の引きこもりの親の集まり(松田武己担当)、訪問サポート・トカネットの学生説明会(藤原宏美担当)、それに引きこもり経験者が校舎内を見学しました。
私が担当した20代以上の引きこもりの親の集まりはグループ相談になりました。
終了後、この会を継続してほしいと要望が出ました。
これがいまに続く親の会のスタートです。
それから毎月親の会合を開き、2001年11月に正式に「いいな会」の名称の親の会になりました。

当時の親の会は30名から50名が参加しました。
1教室で私が短いレクチャーをした後、5名から10名ぐらいに分かれて教室などで話し合います。
分かれるテーマは「20代前半まで」「20代後半以上」「親との会話がない」「仕事を探す」などで、「親との会話がない」グループの参加がいちばん多かったです。
10代の人と30代も少しいましたが、多くが20代です。
「女性」グループも分かれて話したことがあります。
このテーマ別の話のどれかに私も参加します。
複数の集まりを渡り歩くこともありました。
どれにも参加せず別の作業に追われることもありました。
この時期のことを考えると、引きこもりの一人ひとりの状態に即して改善策を追求する方法ではありません。
引きこもりの基本的な理解と多様な状態を学び、方向性を考えていた時期だったと思います。
その点では週に数日は通ってくる引きこもり経験者たちの日常のふるまい、話す内容、個人的な相談や体験を聞いていたことが、引きこもりを理解するうえで多くの役割を持ちました。
多くの引きこもり経験者が集まる居場所(フリースペース)があり、それに重なる形で親の会ができていたのです。
参加する親もまた、親の会で話を交流しながら、通所してくる引きこもり経験者の様子を見聞きし、ときには話を交わし、自分の子どもの状態を理解し、対応策を考えていた時期になったのです。
私もまたそのような状態でした。
ときおり全体会を講演会のようにして、引きこもりを全体として理解する場を設けました。
*「大人の引きこもりを考える」(2002年10月)や「引きこもりから社会参加へ」(2003年10月)などいくつかの講演記録があります。
当事者と親から引きこもりを学ぶ状態はいまも変わりません。
10年以上はこの状態が続いています。
しかし、時代環境が変わり、集まる引きこもり経験者も変わり、場所も変わり、親の会も変わりました。
その変わってきた経過にいま直面している中心点が浮かんできます。

「いいな会」の当時(2001年から2006年)に戻ってみると、それ以後一直線に進んできたのではないことがわかります。
2004年に第一高等学院の旧校舎を離れたころ、親の会の参加者も通ってきた当事者も半減しました。
これは全国的な状況で2004年3月にNHKの「ひきこもりキャンペーン」が終了してことが関係すると私は理解しています。
この時期には各地の引きこもりの居場所が消滅しました。
私の引きこもり理解に関してはいろいろな状態像を当事者や家族から学んだと言えます。
しかし、引きこもりを否定的な現象ではなく肯定面から理解するうえである理論との出会いがありました。
“感覚が鋭く多くをとらえるために(大胆ではなく)小胆になる”ことを示した『天才の心理学』(E.クレッチュマー)です。
それを自分なりに消化するにはある時間が必要でした。
新ひきこもりを考える会での講演(2004年)、『不登校・ひきこもり・ニート支援団体ガイド』発行に際しての序文の執筆(2005年)などが、それを助けたと思います。
これらの時期に書いたものを読むと引きこもりの状態像の理解を徐々に系統的・実践的にまとめた過程が表われています。
*Naoさんは引きこもりとして多くを感じとる感覚の鋭さと現実対応にとまどう気持ちを詩「I suppose so」にあらわしました。
第一高等学院の旧校舎を引き払った後は近くのマンションに移りました。
不登校情報センターがこの時期を乗り越えたのは、当事者の居場所での作業が継続していたからだと思います。
それにより親の会も存続できました。
親の会は新小岩地区センターに会場を移して続きます。
さらに人数が少なくなったとき(2008年ごろ)には、事務所内のスペースで親の会を続けています。
事務所内を会場とすることで2つの変化がありました。
1つは引きこもりの当事者が参加する機会が増えたこと、もう1つは参加した親一人ひとりの対応策を具体的に考えられるようになったことです。
2006年にトカネット親の会と「いいな会」は合流し、新小岩親の会になりました。
一時的に人数は増えましたが、十代の不登校の親の参加は子どもの状態が変わりやすく、参加者は減りました。
親の会は20代以上の引きこもりの親の会の性格を強めます。
情報センター内で居場所ワークとして、HP(情報提供のサイト)制作の場になったことは親の会が続いた背景事情です。
その逆に親の会が続いたことも居場所ワークが発展した背景理由です。
引きこもりの当事者にとりHP制作やそれに関係する事務作業があることは、通所先として有機的につながって親の会の存続になったと思います。
HP制作とは、不登校・引きこもりに関係する学校・相談室・親の会・就業支援団体などの情報を集め、情報提供する居場所の活動です。
パソコンに関心と技術知識のある当事者により2004年に始まり、2006年にはグループ的な形に成長しました。
個別の対応策を考えるとき、私が引きこもる当事者を訪ねる方法を積極的にとったことも有効と考えられます。
かなり前から自宅訪問などはしていましたが、対応策を具体的に考え始めた2008年ごろからは積極的に出かけるようにしました。
十代から始まったトカネットの訪問活動も20代・30代対象に広がりました。
どの人に対しても訪問活動が必要という判断はできませんが、対応策として有力な方法です。

2010年以降の親の会の参加者は、30代以上の子ども(当事者)が大半を占め、40代もいます。
親年齢は60代・70代です。
当事者が就職の形で社会参加するとは考えられないケースも増えています。
どのような生き方が可能なのかを探ることが重要になっています。
2012年に親の会は「大人の引きこもりを考える教室」と名称変更しました。
“親の集まり”の色合いから広げようと考えたのです。
参加する親を通して個別にどう対応するのかを考える場にすることが目標ですが、それにプラス要素を期待したものです。
当事者と関心を持つ社会人の参加です。
それが現在の“グループ相談的な”親の会に役立っているはずですが、目標の達成は十分ではありません。
親の会で話されるテーマが広がってきました。
それまでの引きこもり状態の理解、それによる家族内の関係改善、どうすれば外出や就業に結び付くか…にとどまりません。
(本人に代わる)年金の支払いのよしあし、一人暮らしの可能性や方法、兄弟の関係、家屋や遺産の相続、葬儀の出し方、親亡き後の対策…
など当事者からも親からも予想できるし既に直面している事態への対応方法が求められます。
制度の利用や行政機関に関する方法も必要になっています。
生活保護の相談や申請、障害者福祉・障害者就労の窓口の活用、生活困窮者自立支援法と社会福祉団体の様子、地域の保健所や精神保健関係の役所の利用、医療機関への同行、住宅問題など、引きこもりに起因しつつ、それとは別個と考えられる事態が増えています。
個別に生まれたことに私は1つひとつ取り組みますが、予備知識は極めて乏しいのです。
しかし、これらにも何らかの情報を得、対応することが長期の引きこもり、高年齢化している引きこもりへの対応方法を特徴づけています。
どういう形でなら働くことができるのか、就職以外での収入を得る方法を探すこと、収入を得られないなかでの生存の保証をめざして何をするのか、そういう面にも目を向けなくてはなりません。
とても1人でできる任ではありません。
現在の親の会の有効な面を生かしながら、上のような問題を考えながら幅広く対応することが求められています。
これらを考えたときにできそうな手段がいくつか思い浮かびます。
その1つがKHJとつながることです。
幅広い社会問題に関わる方法を学ぶ、行政機関と交渉し、関係をつくることです。
そのためには親と家族の参加、力を借りることです。
また、引きこもりを通して周辺の社会問題の取り組む協力者に参加をお願いすることです。
言い換えると、不登校情報センターと親の会は、引きこもりの対応組織ですが、周辺の社会問題にもできる形でかかわっていくことです。
高年齢化している引きこもり状態の人を社会問題として道を開いていこうと考えるのです。
このためにKHJ(全国引きこもりKHJ家族会連合会)のほかに、「全国若者・ひきこもり協同実践交流会」(日常的な運動体ではない)への参加も考えています。
これらは「かつしか子ども・若者応援ネットワーク」への参加につぐものです。
KHJに加わることで家族会になり、いろいろな場に行ける人に参加を呼びかけます。
広い視点から引きこもりを社会問題として考え、改善し、生きる道が開けるように願っています。
(2016年7月)

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