不登校情報センターの活動内容(概略)
不登校情報センターの活動内容(概略)
「かつしか子ども・若者応援ネットワーク」作成の冊子に載せた紹介文です。
松田武己の1 引きこもり当事者に同行する取り組み
電話をとりました。低い聞きとりにくい声がします。
「…もしもし…不登校情報センターですか?」
「そうです。何か話したいことがありますか?」
「不安になって苦しいです。どうすればいいんですか?」
「どんな不安なのか、少し話してみませんか」
「親がぜんぜん協力的でないので、どうしたらいいのかわからなくて苦しいです」
「親にはどんな協力をしてほしいのですか?」
「自分の話しを聞いて、ちゃんと答えて欲しいのですが、逃げちゃうんですよ」
ここから始まって40分ほどのやり取りでした。この人は30代後半の男性Pくんです。
数か月のあいだ家から一歩も外出できないでいます。
引きこもった状態の本人から直接の電話は珍しいです。
ネット上の情報か紹介されて電話をしてくるのです。
Pくんとはこういうやり取りを数回して、自宅に行くことになりました。
ブザーを押してしばらくしてドアが開き、家の中に入ります。暗くて周りがよく見えません。
玄関近くの台所風のところにあるイスを勧められて落ち着きます。
窓もカーテンも閉められていますし、これという暖房もありません。
これがPくんとのは初めての対面です。電話を受けてから2か月くらい過ぎた頃です。
その後しばらくして親と3人で会う機会もありました。
Pくんからはときどき電話があり、ときには自宅を訪ねます。
親と3人で会った時には、一人暮らしがしたい(親と2人で家にいると気分が不安定になる)、以前に精神科に受診し服薬を続けているので(親が薬をもらいに行っている)、障害者年金で暮らせるようになりたい、などを親に話します。
親はそれにあまり納得してはいないのですが、その方向には協力する姿勢を示しました。
数日後、Pくんはなんと自転車を買いました。
一人住まいをするアパートを探すために家の周辺を見て回るためです。
しばらくして電話があったときに、「ここなら住めそうというアパートは見つかった?」と聞いてみますが、はっきりした返事はありません。
しばらく後に電話で「不動産屋さんに行きたいのですが、どう話していいのかわからないです」といいます。
こうしてPくんに同行して不動産屋さんに行くことになりました。
駅前の待ち合わせのとき、彼は自転車に乗ってきました。
不動産屋さんの車に同乗し、アパートの部屋を数か所一緒に回ります。
しかし、アパートの一人暮らしはまだ先のことです。この行動は、Pくんには一種の社会体験です。
自治体の障害者福祉課にも一緒に行きました。
障害者年金の説明をしてもらうためです。これもまたPくんの外出機会であり、社会勉強の場です。
初めの電話から半年くらい経っていたのですが、あるとき「中学時代の友達に誘われてアルバイトのような形で手伝いをしている」と言います。
意外な展開に驚きです。行動するなかで生まれてきたことです。
といってもまだほんの入り口です。友達の仕事は屋外を移動する仕事です。
その出発の時間に間に合わずに、友人が事務所で帰ってくるのを待っていることも多いし、家から出られずに休んでしまう日が続いたりします。
毎日が引きこもり生活の調子は変わりません。
親は、Pくんからいろんなことを要求されても何をしていいのかわからず、帰宅しても部屋に入らずまた出かけたり、別にある倉庫のようなところで寝泊まりしています。
帰ってくるのは食事を用意し様子を見るためです。
無責任なのではなく暴力事件になるのを回避する親なりの距離の取り方です。
これまでも暴力になりそうな事態はときどき発生していたのです。
ここにはPくんの親への依存が見られますが、私との関係はそこまでにはなりません。
ここが家族と第三者との違いです。
私はこのような20代後半以上の高年齢化している引きこもり状態の人に相談・訪問・同行という形で関わったことがいくつかあります。
「当事者に同行するオーダーメイドの取り組み」として列挙します。
(1)病院に同行
同行した人は十名以上います。女性が多いですが男性もいます。
診察室に一緒に入った人もいます。本人の診察後、医師に呼ばれて診察室に入り事情を説明したり、医師から状態判断を聞くこともありました。
家族と一緒に医師に面会したこともあります。
予診のときに本人に代わって知り得る状況を話さざるを得ないこともありました。
本人が話せない状態なので、最低限のことを私が話さなくてはならずやむなく話しましたが、あとで「…あのことは話してほしくなかった」と言われたこともあります。
多くの医師の印象は開放的です。
ときには医師の描く治療方針に協力を求められることもあります。
これまでに協力できる提案はありませんでした(医師とは独立した活動でないとできないため)。
医師ではなくカウンセラーの面接に同席したこともあります。
これらは当事者が医師と話すのが不安というより、病院に行くのに不安があり(特に初診時)、それへの同行です。
その結果、診察の場などにも同席することになったのです。
(2)一人暮らしのためのアパート探しに同行
例は多くありません。
不動産会社に一緒に行った例、そこで不動産会社の社員と一緒にアパート等の部屋を一緒に見て回ることがあります。
どちらでもなく一人暮らしをするのだと言って、転居先の候補を外から見て回ったこともあります。
本人は自分だけで判断するのに不安があり、そのための同行になったものです。男女両方います。
不動産会社の社員はごく普通の対応です。これも社会経験になります。
(3)生活保護のための社会福祉事務所に同行
きわめて切迫した状態で福祉事務所に一緒に行ったこともあります。
直接間接に生活保護の申請に関わったのは4名ですが、他に生活保護の受給条件を聞くために一緒に福祉事務所に行ったこともあります。
福祉事務所の職員は基本的に親切丁寧です。
ときどき聞く“冷たい対応の職員”というのは、一人で福祉事務所に相談に行ったときに発生するのではないかと、うがった見方をしたくなります。
(4)職探しに同行
職探しの同行経験はそうありません。
ある程度の会社組織のときはありえないし、個人的に知る事業者への紹介が数名います。
障害者手帳をもつ人と一緒にハローワークに行ったことがありました。
ハローワークでは障害者枠での雇用と一般枠での雇用を別にして対応しています。
障害者枠での雇用の実例を知るための私の社会勉強です。
(5)入学先・転校先の学校に同行
これは比較的若い人です。多くは家族と一緒に学校に相談に行きます(本人と私の2人だけもあります)。
その家族と学校に行き、担当者と話す場に同席します。
家族は判断するのにあとで意見を聞きたいのです。
本人は低学力のために入学できるかどうかを心配します。
しかし、学校ではそれはあまり問題ではありません。
生徒が通学できるのか、通学できないときの対応方法があるのかなどが重要です。
私にはこの学校はどういう雰囲気の学校なのかを観察する機会になります。
松田武己の2 30代以上の引きこもりへの訪問と居場所ワーク
20代後半以上から40代の人まで、引きこもる数人を訪問しています。
基本は月に一度のペースで訪ね、実践的な対応を考える機会です。
訪問先の人と会って話すにしろ、会うまでの算段を考えるにしろ、この年代の人が対象になると、誰かに代わってもらうのが難しいです。
誰にも共通する方法を当てはめ、それを引き継ぐ形にできないからです。
一度の訪問と会話が次への経過になり、引き継ごうにも言葉にできないものがあり、引き継ぐ人は何を引き継ぐかがわかりづらいのです。
訪問先の当事者とは“これから”を明確にすることが重要です。
その方向をだす前に本人の気持ち、関心、妨げている環境条件など不安要素を聞ける関係になることです。
そうなって初めて考える材料、これからの選択肢などが一緒にみえてきます。
そういう当事者の心の奥にあることを聞ける関係になることが本当に必要なことです。
それを度外視して物理的に外に引っ張り出しても傷が深める結果になりやすいと思います。
この取り組みにおいて、定型的な指導プログラムを用意し、その流れに沿ってことを進めるやり方は私にはなじめません。
当事者の状態を見立て適切な指導方針に沿って進むといいますが、当事者の状態は徐々にわかるものです。
初めてあったときの事情を元に見立て・評価したものを基準に進むのは無理がでます。
関係が強まり、より深い真実を話してくれるようになるにつれて当事者の様子も状態の意味もわかり、それに合わせて軌道修正する、こういう方法が必要です。
私はこれを伴走型対応と考えています。そこには依存的な様子も表われますがそれは当然ではないでしょうか。
依存を意識しながら自立に向かうのです。
それを避けると管理的でレールに乗せるタイプの“指導”になります。
伴走型対応の特色は、当事者が横道にはずれたり、動きを停止するのを許容できることです。
それは当事者だけではなく人間ならだれにとっても必要なことと理解しています。
周りを見回しながら進むのは無駄ではありません。
こういう訪問活動において、多くなるのが「不登校情報センターに来てみないか」という誘いです。
これなら誰かと交代しなくても継続ができます。
しかし、それは唯一の方法ではありません。
訪問する側にとってのやりやすさであり、相手側の事情ではありません。
そこを理解しないと上滑りになります。
情報センターに誘う内容は相手によって違います。
何でもいいから来てくださいではなく、複数の提案の一つに情報センターへの誘いが含まれる形です。
この誘いが最優先ではないことも多いです。訪問する相手の興味・関心との接点の内容によります。
相手の状態をよく聞かなくては何のために誘うのか内容がわかりません。
聞ける関係、相手がこの人なら話してみようと思える関係になることが話せる状態(というよりも話してみようという気持ちになる)です。
それは引きこもっている人自身が、自分は何が好きで何が苦手なのか……それを確認する過程です。
人によりますが2、3回ではまずダメです。5回、10回…と必要になります。
この方式で浮かぶ言葉は「スカウト」です。
その人に「〇〇を手伝ってほしいから情報センターに来てください」または「〇〇をしてみませんか」となります。
これなら関心を持ちそう、出来そうとイメージが浮かぶとスカウトする提案になります。
これは十代や二十代前半までの引きこもり状態の人にも当てはまるかもしれません。
とりわけ30代以上の人格では当然でしょう。
振り返ると50人以上に訪問をしてきました。
何度も訪問を繰り返しながら、前進がなかった活動にはこの企画提案のスカウトの面で弱点があったと感じます。
4年前から情報センター内に事務作業グループができました。
パソコンを使えなくても参加できる形です。これにより情報センターに誘いやすくなりました。
事務作業は特別の技術や創作的な能力がなくてもできます。
その場で、何をどうするかを話しながらすすめられます。
当事者が自分で好きなこと、できそうなことを探していく時間・場にもなります。
作業内容は請求書を書いて郵送する、入金を確認し台帳に記録する、FAXで情報提供を依頼する、定式文書をつくり貼付メールで依頼する、やり取りしたことを台帳に記載する……などが事務作業です。
何かを話さなくても進められます。人と一緒にいる時間を体験するうちに何かができるのです。
その日にすることをその場で、私が指示をしながら進めます。
FAX送信をした経験がない人も初めて事務的な文書を送信する経験をします。
添付メールのしかたを覚えます。これらをできる人から聞いてできるようになります。
少なくとも事務作業のためのやりとりが生まれます。
得意分野がわかる前に苦手なものが先に表われます。
パソコンの知識や技術は私なぞ初心者です。
むしろ彼ら彼女らが上級です。慣れてくるとある作業を担当します。
事務作業の内容は広がりつつあります。
たとえば新分野の情報を集めようとするとき私はメンバーから意見を聞くことが多くなりました。
そうすると事務作業グループが企画検討会になります。
不登校や引きこもりなどを経験した当事者の意見はこの分野の情報集めに必要なリアル感があります。
例えば2015年11月から全国の教育委員会あてに不登校への対応をアンケートにして依頼しました。
問いかける内容が具体的に絞られ、答えやすくなったと思うのです。
このような企画を通して考え、話せる場ができた経験はこれからも生かせそうです。
訪問先の当事者で情報センターに来て何をするのかわかりづらい人には、この事務作業グループに参加を呼びかけます。
それでも情報センターに来るように誘えないタイプの人もいます(これは「同行する取り組み」の報告を見てください)。
誘えない理由は、双方にあります。
当事者側がそれを考えられる状態ではない(不安感・警戒感が張り巡らされている、戸惑っている状態)、自分の興味・関心がつかめない(何をしていいのかわからない、何もしたくない)、電車に乗れない場合などです。
逆にせっかく「こうしたい」と言われても、情報センター側では対応できないこともあります。
最近の例では「パソコンを組み立て、パソコンの構造を知りたい」というのがあります。
解体用のパソコンを入手したいのですが、うまくいきません(解体や組み立て自体は一緒にできそうな人はいるのですが…)。
これは時期を待つしかありません。
ヤフーオークションをしたいという人もいました。
「誰かがそれを運営してくれて、そこに自分が時たま参加する形なら」という条件が付きます。
これも条件ができる時期を待つしかありません。
このようにしたいことを聞けてもすぐには手の出せないことは多いものです。
すぐには何かをできない人であっても、情報センターに来続ければ条件ができることもあります。
本人の気持ちが変わることもあります(心理的・社会的な成長でしょう)。
必要な材料など条件がそろうこともあります。対人関係の発生する場のケミストリーです。
まだこれという特別のものがわからなくても事務作業グループに参加を勧められるようになりました。
ここで、不登校情報センターの居場所を振り返ってみます。
特徴はワーク(作業)があることです。ですから居場所ワークとして紹介します。
それ以前は小グループでの話し合い(お茶会)、パソコンの教えあい、相談会などの準備、私の編集作業の手伝いなどが同時並行にできるフリースペースでした。
14年前の2002年に十人ほどのグループ「30歳前後の人の会」から、「不登校情報センターを働ける場にしてください」という要望がありました。
これに「小遣い程度を得られる場にしよう」と答えて始まったのが、現在の居場所ワークです。
始まったころの仕事はポスティング(情報誌『ぱど』などの配布)やDM(学校案内書のダイレクトメール)の作業が中心です。
並行して進めていた不登校情報センターの情報提供のサイト制作(学校や支援団体の紹介)の役割がだんだんと大きくなりました。
いまでは居場所ワークは情報集め、サイト制作と運営に収れんしています。
これは不登校や引きこもりを応援する学校や支援団体の情報を集めてサイトに掲載し更新する作業内容です。
これという終わりがありません。そのなかでパソコンの技術を身につける要素も生まれてきました。
サイト制作を始めて数年後から広告収入が得られました。
情報センターとして収入を得、サイト制作にかかわる人にわずかですが作業費を支払う形をとりました。
しかしサイト制作・運営により収益を得ることは難しい課題です。
不登校情報センターのサイトが収入の最下段レベルになったのは、やっと数年前です。
数年間の居場所ワークの積み重ねにより、信頼性が高くきわめて規模の大きなサイトに成長したおかげです。
それでも公的な支援は期待できません。
いろいろな引きこもり支援団体が資金面から活動休止に追い込まれているなかで、このサイトを生み出したことは幸運でした。
しかし、いまのサイト制作の方法では当事者にとっては直接の収入源にはなりません。
不登校情報センターのサイトを活用しながら、各自が収入を得られる方法を見つけるのが現在の課題です。
その具体例を挙げてみます。
(1)当事者が活用した最初は個人ブログです。
不登校情報センターのドメイン内のブログは無料使用できます。
そしてブログを書く人が得られる収入(これも広告収入)の大部分を得られる形にしました。
しかし、そのレベルで活用できているのはまだ2名にすぎません。
収入はわずかです(商業運営のブログは無料で活用できますが、収入を得るレベルになるのは至難です)。
(2)次も広告の一種ですがアフィリエイトと呼ばれます(有名なのはAmazonの商品紹介)。
7年前に不登校情報センターが広告会社Amazonと契約しました。
ここ数年は放置していましたが、昨年秋から活用を再開しました。これはまだ十分な収入レベルではありません。
当事者が活用できるのは、この運用を別のアフィリエイト会社に応用する形です。
契約・運用すればその担当者の収入にできます。そうしながら運用のしかたを学ぶのです。
不登校情報センターのサイトは大きいのでそれが可能な状態です。
(3)パソコンのハード面に詳しい人がいます。
以前から不登校情報センターのパソコンの管理や修理をお願いしています。
ときおり協力者などから「パソコンの動きが遅い」などの話があり、出かけて行って点検・修理をしています。
これはヘルプデスクという仕事です。
この人の取り組みを個人バナー広告にしてサイト内の数か所に張り出しました。
個人の活動をバナー広告の形で応援する“仕事づくり”です。
*〔バナー例1〕
(4)文通で相談活動をする人もいます。引きこもり経験を生かしたものでカウンセリングに近いです。
この人の取り組みも個人バナー広告でサイト内に張り出しました。
*〔バナー例2〕
サイトに紹介している支援施設のカウンセラーには、もともとは引きこもり的と思える人もいます。
この人たちにも同様の個人バナー広告を案内しました。
(5)以前に通所していた人で手作りのアクセサリーを制作し、自分のホームページで販売をしている人がいます。
この人にも個人バナー広告の案内をしています。
販売上の手助けに利用してもらうのです。このタイプは他にもいます。
個人バナー広告は、引きこもり経験者によく表れる職業指向(カウンセリング・家庭教師など対個人サービス、手芸などの創作活動)を応援していく役割がみてとれます。
不登校情報センターのサイトへのアクセス数は毎日2~3000件です。
このレベルをさらに上げることが、これらの“仕事づくり”をめざす人への応援効果を高めます。
サイト全体の充実を不断に考えています(ここは省略します)。
居場所ワークによる収益活動の特色は、居場所としての不登校情報センターの運営費を得る方法と、参加する当事者の収入方法が連動する点です。
具体例を見てわかると思いますが、こういう形の引きこもりからの社会参加を進めているところを私はほかに知りません。
学校(職業訓練)型や福祉(社会保障)型に対して、私は自営(仕事づくり)型と理解しています。
自分を生かす仕事づくりですが、一般的ではなく独特な方法です。公開するのにためらいがありました。
しかも、現状は収入を得る方法といってもこれから手掛けるもので、収入はわずかなレベルです。
いきおい引きこもりからの自立の大部分は“戦場”ともいえる就職活動に向かいます。
だがその結果は楽観できません。
いったん働きだしたのに、続かずに引きこもり生活の戻る人もいます。
働く条件が変わって辞める人もいます。生きづらい生活を耐え忍んでいる人もいます。
就職型でなく個人が独自に収入を得る方法を願うのはこのような実例を多く見てきたからです。
就職(派遣やパート)やアルバイトなどで得た体験を交流しあい対応策を考えています。
ときおり親の会などで参考意見として話し、非公式に集まり交流します。
顔見知りになったとはいえ互いになじめない状態もあります。
それでも類似の苦楽をしてきた互いの経験が役立つ関係者です。
社会の変動は大きく、この数年は社会の側が引きこもり状態に近づいているみたいです。
似ているようでそれぞれ異なる体験者のまだら模様のつながりを生かしたい。
不登校情報センターを社会に通用する方法を獲得する試行錯誤の居場所にしたいわけです。
この仕事づくりタイプの活動を公開する時期がきたと感じています。
これが居場所ワークの新しい形です。
松田武己の3 引きこもりの親の会の役割と最近の様子
不登校情報センターの親の会が始まったのは、2001年5月です。
以後毎月欠かさずに開いていますので、累計180回になります。
15年の間には大きな変化もあり、親の会の名称も2度変わりました。
2012年5月からは「大人の引きこもりを考える教室」と称しています。
運営の基本形は同じですが、4年間には変化もありました。主に最近の様子を報告します。
親の会の参加者数は10名から15名ぐらいです。
そこに当事者(引きこもりの経験者)が数名加わるのが特色の一つです。
会合の時間が2時間(30分から1時間くらい延長することもあります)、発言を希望しない親以外は全員から発言してもらいますので、1人当たり10~15分で近況を話します。
そして対応のしかたを含む意見交流になります。
これを参加者が全員で聞きます。他の人の話しを聞きながら自分と子どもの場合を考えるのです。
これを聞くのが中心の参加者もいます。
5人から10人が話しますので、短時間に収めるにはあまり脱線はしないような運営が必要です(その良し悪しはあります)。
以前には数十人という多数の親が参加した時期もありました。
当時は引きこもる子どもの状態の理解や感情面を共有することはできましたが、対応を具体化する点が弱かったと思います(参加者が多すぎてできなかった)。
対応をある程度は具体化するいまの内容を維持するには現状の参加者数がいいはずです。
常連の親から聞く話は、子ども側の様子もある程度わかるので、一通りの状況報告と意見交流は短時間で終わります。
初めて参加した人は、状況報告や意見交流が長くなります。
会の終了は3時過ぎなので(3時半を過ぎることもあります)、そのあと当事者を交えてのフリートークです。
隣り合わせの人や、当事者の誰かを囲んで話すなど、2、3か所で会話が広がります。
この時間帯は正式な会ではないのでいつでも帰れるわけです。
全体の場では具体的に話せないときは、そのタイミングで私が個別に聞く機会をつくります。
このような終了後のフリートークや個別相談の時間がすぐに終わる日もあれば7時、8時まで続くこともあります。
公式の親の会よりもこちらのフリーの時間に関心・期待を持つ人もいます。
かつての親の会にあった雰囲気がここにあり、しかも当事者が混じっている分いい形ができているのでしょう。
意見交流の内容面では、子どもが示すちょっとした動きや言葉をどう理解したらいいのか、親としてどう対応したらいいのか、外出の手掛かり、人とつながる手がかり…などをはじめいろいろな問題がでます。
これには出席している当事者が体験から答えてもらうとわかりやすくなります。
彼ら彼女らのことばは飾りがなく真情があふれているので納得しやすいのです。
時には年金の支払い、遺産相続、親族との関係などにもテーマが広がり…葬儀のしかたになったこともあります。
これらは高年齢化している当事者にも関心があり貴重な参考意見です。最近よく出るのは生活困窮者の福祉制度です。
とりわけ関心が高いのは当事者がどうして引きこもりから抜け出したのか、動く気持ちになったかを聞くことです。
アルバイトを始めた、派遣会社に登録した、仕事についた話にはよく耳を傾けています。
当事者の体験談は断片的なことでも聞き逃さないみたいです。
当事者の話しで多いのは対人関係やコミュニケーション、職場での動き方などです。
働き始めている人の話しは私にとっても貴重な情報源であり、引きこもり経験者の心理やふるまいを理解する機会になります。
親の会の役割は親にとって有効であるばかりでなく、参加する当事者にとっても有効です。
自分の体験したことを客観視する、出席者から質問されたことに答える形で経験を言葉にできるのです。
言葉にすることは自分が経験したことを深く理解することです。
その意味では引きこもり経験者も親の会に参加するといいと思います。
親の会の役割はさらにあります。
「親が引きこもりの親の会に参加すれば、子どもは引きこもりから抜け出すのですか」と聞かれたことがあります。
この質問に答えるとすれば、親の会は引きこもりから抜け出す手掛かりを得る場です。
その条件を家族のなかにどうつくるのか、その方法を考える場です。
引きこもりの当事者の多くは自分から動かずに待っているタイプが多数です。
その期間が長くなればなるほど出にくい状況は強まります。
家族以外の人との接点がない、まったく外出しない引きこもり状態の人とつながる方法を探すのは難題です。
親の会に参加する親からの情報を元に接点をつくる手掛かりを考えるのです。
親と一緒に情報センターに来るようになった人もいます。
不登校情報センターには作業をする居場所があり、ここにつなぐ方法が1つです。
そのご情報センターに来るようになった人もいます。
訪問から始めて同行して公共施設や福祉団体につながった人もいます。
これらは親の会に参加したことの結果と言えるでしょう。
接点づくりの多くは自宅への訪問になります。
訪問するには家にいる引きこもる当事者と会える関係をつくらなくてはなりません。
この場面では家族の役割が重要であり、その方法をいろんな状態から考えるヒントを得るのが親の会での交流です。
私は自分の訪問を考えますが、無造作に訪ねても顔を合わせられません。
親の会のあとの時間に、出席する親とその“作戦”を個別に考えることもあります。
その基本のスタンスはすでに述べたとおりです。
しかし、さらに多様な接点づくりの方法をつくらなくては多くの引きこもり状態に対応できないことは確かです。
親の会はそれを考える情報源です。
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