ナガエ『私の物語』の手作り本発行に際して
ナガエ『私の物語』の手作り本発行に際して
不登校報センター・松田武己
二重人格とか多重人格というのをきいたことがあるでしょう。
R.L.スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』という善人と悪人が一人の人間のなかに同居する人物として描き、それが二重人格の一つの典型と描かれ、理解(あるいは誤解)を広めているもののようです。
精神医学の診断名としては解離性人格障害とされています。
ひきこもり経験者として自由に集まれる場になった不登校情報センターにも、私の知る限りにおいて複数の人がこれに該当します。
自称(自覚)するしないかの違いもあるし、また私にはその判断に明確な一線を引けないので、誰がそうであり、誰がそうでないのかは迷います。
実際の振るまい、言動において、一人の中に複数の人間(人格)がいると確認できた人はいます。
ある事柄に対し自分の内側に異なる受けとめ方が生まれることもあるので、その拡大固定版とでも理解できそうです。
ここに紹介する『私の物語』(作者ナガエ)には、それがどのような形で表われるのかを表わしました。
これが典型的なものなのか例外的なものかをいえるほど私には多くの実例は知りません。
作者は、鬱のような精神状態におかれたなかで、自分と同世代の人が何かを言うのを聞いています。
あるとき、それがもう一人の自分自身のものであるとわかります。
こういうことを何回か経験し、それを描いています。
たぶん作者はそれが解離性人格障害になるとは、少なくとも意識していないでしょう。
そして私も、彼女がこの体験手記を送ってくれた20年前には、そうとは気付きませんでした。
ナガエ「私の物語」は『ひきコミ』2000年●月(●号)~●年●月(●号)に8回にわたり連載したものです。
彼女の15~17歳のころの体験です。
2001年の夏ごろ「意思を離れて自分が動く」という最後の部分を送ってくれた後、「続き」は送られてこなくなりました。
2025年5月「文学フリマ・東京」に、1つの作品として手作り本にまとめ展示するために、私は改めてこれを読み直したのです。
読み始めて感じることは、文章のすばらしさです。十代にしてこの表現力はどこからくるのでしょうか?
それは人を見るときの観察力のすごさによるものでしょう。
それは目の前にいる、周囲にいる人の気持ちを察知する感受性の強さが土台にある。
それを“頭のよさ”と巧みな比喩によって表わすことにより実現していると思います。文才とはこういうことを言うのでしょう(?)。
ときには思いすごしともいえるほど相手の気持ちを察知し、自分を追い込むこともあります。
多重人格とか解離性人格障害は、幼児期に虐待を受けた人によく表われるといいます。
実物の自分を守るために、自分の中に別人格をおいて攻撃を回避する精神作用が要因になっている……という説も読んだ記憶があります。
私はここで1つの〈仮説〉をおいてみました。
幼児期に虐待を受けた人は、目の前や周囲の人の気持ち・感情を察知する感受性能力を際立って発展させる。
それは生存をかけた命がけの対応になると思えるからです。どうでしょうか?
案外すでに知られていることでしょうか。それともすでに俗説として否定されているのでしょうか。
ナガエさんは十代においても(乳幼児期とは異なるのでしょうが)虐待ないしは虐待レベルの攻撃を受けていました。
「私の物語」でもそれは描かれています。私は、子ども時代に虐待を受けた数人から話をきいています。
しかし、彼ら彼女らは(おそらく虐待を受けた人の多くは)それを具体的に語ることは難しいのです。
記憶が遠くにあることと、苦痛を伴う記憶は(成長を阻害する要因として?)消去されやすいメカニズムが働いているためではないかと思います。
しかし十代において虐待を受けたことは単純にそういうわけにはいきません。彼女はそれと気づかずにその様子を記述しています。
私たちは乳幼児の虐待をとり上げるとき、そのリアルな状況を知ることは難しいのですが、ここにその1つの例示を見ることができるでしょう。
虐待を受けた経験がどのようにその後の少年期・思春期に表われるのか——これが読みながらうかがえる第二の点です。
彼女はいま40歳前後になっています。この体験手記を手作り本にするために彼女に連絡をしました。
少なくとも2001年中ごろ以降、連絡は24年ぐらい途絶えています。
もしその連絡が復活すれば成人した時期の様子を知ることができるでしょう。私はそれを期待しているのです。
なぜなら人間の復元力は見捨てたものではないと信ずるからです。
個人差とか個人のおかれた生活条件に大きく左右されるとしてもです。
⇒体験記・ナガエ・私の物語(1)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(2)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(3)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(4)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(5)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(6)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(7)
⇒体験記・ナガエ・私の物語(8)
⇒ナガエ『私の物語』の手作り本発行に際して