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アスペルガー的な私はこのように生きてきました(上)

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アスペルガー的な私はこのように生きてきました(上)

会報『ひきこもり周辺だより』(2018年2月号)に掲載
数名の方から発達障害と診断された、発達障害の可能性があるなどのお便りをいただきました。
今回は発達障害について、特にアスペルガー障害とひきこもりについて私の経験的なことを書いてみます。
専門的なことは出版物が出まわっていますからそちらに任せます。
10年以上前にカウンセラーさんによる発達障害の学習会があり、それを聞きながら自分の少年時代の様子を聞く感じになりました。
そのとき自分はアスペルガー障害、アスペルガー気質の持ち主であると理解したのです。
小学校時代に数人から「変わっている」と言われたこと、中学時代に父から「社会科はできるが社会性はできていない」と言われたこと、20代に病院で働いていた後輩職員から「賢いのかアホなのかわかりません」と喝破されたこと、30代の編集者時代に「日本人じゃないところがある。自分にはできない」とあきれられたこと、これらに共通する“解”がアスペルガー気質なら説明できるからです。
発達障害が社会的に知れ渡ったのは90年代あたり、特に2000年に入ってからです。
それ以前にも可能性をもつ人は多数いたはずですが、今日ほど問題にはなりませんでした。
ひきこもりが社会的に顕在化したのも90年代以降ですから、時期には大差なかろうと思います。
両者にはほぼ共通する社会的な背景があります。

20代に大学病院で事務職員として働いていました。
小児科を担当したときカルテに発達遅延や発育不全という病名や症状があったのを思い出しました。
これは発達障害という言葉を知った後で、そういえばカルテで見たことがあったなぁ、と思い返したことです。
当時(60年代末)はまだ発達障害という診断名はカルテには登場しなかったと思います(私の記憶の範囲です)。
これはどういうことなのか? 医師の不勉強とばかりは言えません。
子どもの状態として、発達障害と診断すべき対象が少なかった、そこまで明瞭な状態に表面化していなかった、今日なら発達障害と診断されたものも当時は独自の症状と認識されなかったのだと思います。
たぶんに私の行動様式や思考方法はアスペルガー的であったと思いますが、それらはありうる性格の範囲であり、独自の症状とされなかったのです。
人間関係や社会的なことで不都合はあったでしょうが、だれしも完璧ではないのですから特別の問題とみられなかったのです。
周囲の人から見ればお前はそのレベルじゃなかったというかもしれませんが、それは私にはわかりません。

この30年~40年で社会的な背景はどう変わっているのか? そこに1つの鍵があります。
社会的な背景の変化は人の振る舞い方、人間生活が姿を変えたのです。
社会と人間が変わりつつある時代ともいえます。
先に目立つ例を1つ挙げると、思春期を終え成人になるのはかつては18歳前後でした。
20歳成人式はその時代に制定されました。
ところが現在は成人になるのは30歳前後といわれます(個人差があります)。
数十年にして成人に達する年齢がこんなに大きく変わるのです。
動物の(種として平均的な)成長で幼児期を終え、成年までに時間がかるほど高等生物といわれます。
言い換えるとこの30年に日本人はさらに高等生物化を遂げたともいえるわけです。
発達障害やひきこもりはこの高等生物化過程を示しています。
では社会背景はどう変わったのか。経済社会の全体は専門家に聞いてください。
私に見えることは子ども時代の変化の一部です。
この時期に日本の子どもたちは「子ども時代」を失いました。 少なくとも以前とは子どもの生活が大きく変わったと私は見ています。
そのぶん大人になりにくくなっていると思います。
1950年代の途中までは、(親や教師の目が届かない)子ども世界がありました。
子どもの異年齢集団がありました。
年長者を中心に“非公式の自治的な”グループです。
この中で子どもたちの関係がつくられ育ちます。
私は幼年期から一人でいることが多かったです。
それでも周りには大勢の子どもがいます。
子ども世界があり、それ相応の友達が生まれ人間関係を経験しました。
もし私が現代に生まれていれば、かなりひきこもり傾向は強くなったと思います。
何しろ一人でいることが苦痛ではないし、好きだからです。
50年代までは日本の子どもの割合も多かったのです。
親しい関係の友達はできませんが知り合いぐらいの仲間はできました。
60年代になり高度経済成長の時代を迎えるとともに、子どもの数は徐々に減っていきます。
この転換点はたぶん1970年前後であろうと思います。
子ども世界が縮小するとともに友達間の接触が少ない子どもが増えていきます。
対人接触に細かく気を遣う子どもは友達が少なくなりやすいです。
そのまま思春期を迎えると、それ以前の人間関係の空白は無視できない影響をもってしまいます。
最初の現れは不登校の子どもの増大でした。
不登校の子どもが増えたのは1980年代の中ごろです。
つまり1970年以降に生まれた子どもが思春期を迎えるとともに不登校の子どもの割合が増えました。
ひきこもりになる人もおおよそ1970年以降に生まれた人が多いです。
個人差がありますから、60年代やそれ以前に生まれた人にも不登校やひきこもりを経験した人はいます。
不登校やひきこもりを経験した人の同世代に占める割合は数%です。
それでも社会に大きな影響を与えている現状を見なくてはならないでしょう。
こういう私の経験を含めて(ほかの事情を考えて)、不登校やひきこもりには持って生まれた身体的な事情とは別に社会的な背景が関係すると判断するのです。
それを身体的な事情に矮小化して、医療的な対処で改善しようとするのは見当違いです。
不登校やひきこもりを生む背景には子ども時代の人間関係、社会関係があります。
私のいう身体的な事情とは体質・気質をさします。
すなわち感覚の特異性、特に繊細な感覚の持ち主です。
アスペルガー障害は周囲の様子を感じ取れないといわれますが、いくつかのタイプがあります。
感じ取れる場面と感じ取れない場面が両極に別れやすいタイプもいるのです。
発達障害的な体質・気質が自動的に、社会生活に重大な支障をきたすレベルの障害とは言えません。
障害とは自分の身体能力に不全があり、他者の助けを借りて社会生活をする状態です。
繊細な感覚の持ち主が身体能力に不全となり、子ども時代からの対人的接触の少なさによるもの、その人たちが社会生活に大きな抵抗感を感じる状況、それが今日みられる発達障害の多数をしめています。

アスペルガー的な私はこのように生きてきました(下)」につづく

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