Center:2008年8月ー社会学的アプローチへの所見
社会学的アプローチへの所見
〔論文「」を書いた堀口佐知子さんへの2008年8月9日への手紙です。
この論文はミネルヴァ書房『「いきこもり」への社会学的アプローチ』に所収されています。
タイトル「社会学的アプローチへの所見」はサイト掲載時につけました。〕
さっそくゲラを拝見しました。
支援団体B・CとB氏、C氏は見えすいているので不登校情報センターおよび情報センター、トカネット、松田、藤原の実名にしてみてはどうかと思います。
藤原さんも同意(というよりも賛同)しています。
内容については観察者の意見として私からいうべきことはないです。
苦情(注文?)はあります。
もっとつっこんで批判めいたものがあってもいいです。
事態の描写があるだけ、というと違いますか?
私は社会学(社会学的アプローチ)を知らないためかもしれません。
たとえていえば中学生のグループが裁判員制度の導入について親にアンケート調査をしてクラス単位でまとめてみた。
数表にして「~の点は関心を持つ人が多かった」「自分から積極的に参加する人は少なかったのは、まだ制度がよく知られていないからでしょう」みたいな発表をする――あのまとめ方にもう少し知恵をつけた程度という印象なんですが、これは極端でしょうか。
「事態の描写があるだけ」と思うのは、この点です。
病気でいえば症例を示す現象の描写(病理現象学)がある。
しかし、原因、経過、結果を内的に関連づける病理学(的追求)がないという感じです。
社会学というのはその部分は社会科学(経済学など)に任せた学問なんでしょうか?
このように偉そうに言うわりには、私の方はあいかわらず停滞、あるいは沈滞をつづけています。
多少はもがいています。
『ひきコミ』最近号に「受けとめる姿勢、受容する感性、事態の理解のしかた」という短い評を載せました。
対人(私のばあいはひきこもり)の理解が、私の個人的理解の枠を超えた、より深い(誤差に少ない)ものに近づけることとはどういうことなのかを考えている、と読みとってください。
これが私の努力であり、私のもがきです。
くり返し実験できない現象でも科学として立証できる――自然科学のことで地球物理学から唱えられたA.ヴェゲナーの大陸移動説は、地磁気の極点が地球上をどのように移動したかを調べたことによっても立証された。
異なる合理的な証拠によって1回しか生じなかったこともほぼ確定的に言うことができる――これが科学、科学的な理解になるはずです。
人間観察のばあいはそこまで確定性を求めることはできないでしょうが、思いつきのくり返しを超えた、少なくとも人間理性で判断できる範囲の(しかし、物理学上の新発見は、ときどきその当時の人々の理性をひっくり返したが)理解に接近したい――私のもがき、漂流はこのあたりにあります。
社会学を学問にする、事態の描写を超えた法則性と人間味のあるものにするためにがんばってください……。
2008年8月9日