自然災害が多く異民族支配を受けずにきた
自然災害が多く異民族支配を受けずにきた
日本は①太平洋北西の島国である地理学的位置、②太平洋プレート、フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートの4つがぶつかり合う地球物理学的条件にあります。
この地理学的、地球物理学的な位置条件は太古から住む日本人の精神文化の背景をつくりだしました。
1つは、自然環境。毎年必ず発生する台風、地震が頻発することと津波が多いこと、全国にある多くの火山、これらは世界でも珍しいほど災害の多い国土をつくりました。
山岳が多く平地は少なく、川は急流になることも自然条件に入れてもいいでしょう。
この自然災害国土においては、非常時に備えて住民の協力が求められてきました。
日常において住民は決定的な対決を避ける関係をつくり、他方では地域に必要な水利、道路などの共同施設をつくり、穏やかな社会生活を形づくりました。
もう1つは、島国であることにより海の幸に恵まれました。
周囲の海は暖流と寒流が入り交じり、日本は古くからの漁業国でした。
ある本には江戸時代のころ世界にある漁船の半分は日本のものであったと記されたのを見たことがあります(出典探し中)。
先進工業国でありますが、今も漁業はかなり重要な産業です。
そして季節の変化が大きく、四季がかなり明瞭に分かれています。
山の幸が多いのはこれを有効に生かしてきた先人の勤勉と知恵によります。
大陸を隔てた島国であることにより、少なくとも歴史時代に入ってからは他民族支配を受けたことがありません。
これは特筆できる日本の特徴ともいえます。
鎌倉時代の蒙古来襲は“神風”なる台風によって防がれました。例外は戦後におけるアメリカによる沖縄支配です。
ついでに言うと20世紀前半の朝鮮の植民地支配はこの逆のばあいです。
*沖縄や植民地朝鮮の状態に対する本土人の想像力の不足は、自分で植民地支配を受けたことがない歴史に関係するかもしれません。
これは広島・長崎の原爆被害のリアリティと対比して考えられるものです。
民俗学者・宮本常一『日本文化の形成・上』(ちくま学芸文庫、1994)では、後者を次のように話しています。(61-62p)
《結論を先に言っておくと、文化の形成が武力的な征服によって融合というか集合していったということが日本は非常に少ない国ではなかったか、と思うのです。
それが日本の文化の特色ではないかと思います。
つまり強い民族がやってきて上へバーッと乗っかり、そしてその下に入りながらこき使われ抑えつけられして我々が身につけた文化ではなかったのではないか。
上から抑えつけられて文化を吸収するということが極めて少なくて、自分たちに必要なものを吸収していくというかたちで文化を受け入れていくことに、日本の民族文化の特色があったと思うのです。
これはたいへん大事なことで、これからだんだん話していってみたいのです》
宮本さんの引用は結論だけで、具体的な内容はこの上中下3巻本のあちこちに分散していますが省略します。
異民族支配を受けていないことが、日本人の精神文化を、穏やかな、攻撃的でないものにしたというのは確かだろうと思います。
災害の多い国土と、多民族支配を受けなかった国民の中に生まれたのが現在の国民性の背景にあるというのがここでの1結論です。
私の母(大正生まれ)の口癖の1つは「他人様に迷惑をかけない」でした。
最近の若者世代がよく言うのは「人の役に立つことがしたい」になるようです。
両方とも人との関係を意識した「穏やかな、攻撃的でないもの」です。似たような精神状態を表わしながら片や自分に向かい、もう一方は周囲の人に向かいます。
使われる言葉の頻度の違いに精神文化の時代の変化が表われていると思うのです。これが世代間ギャップの一部です。
1945年生まれの私は両者の中間で、ときに踏み外していますが母の言い方の気持ちが強いように思います。